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第57話 飢えるのは、どちらか

包囲二十四日目。盤面の中で、攻守が、静かに、入れ替わり始めていた。


「妙なんです」俺は、采配所に集まった指揮官たちに、地図を広げた。「うちの蔵は、確かに減ってる。あと十二日で、底をつく。でも――それより先に、向こうが、おかしい」


俺は、城を囲む帝国軍の、糧の流れを指でなぞった。本国から伸びる、長い補給線。その線が、日に日に、細く、途切れがちになっている。


「焦土で、現地調達を断ちました。残ったのは、本国からの一本道だけ。その道を、真冬の雪と、こっちの遮断が、削り続けてる」俺は線の先を叩いた。「十万の腹は、毎日、莫大な糧を食う。運びきれてない。今、向こうの前線は、配給が、回ってません」


「攻めている側が、飢えるのか」王国軍の老将が、眉を寄せた。「囲んでいるのは、向こうだぞ」


「囲むのにも、糧が要るんです」俺は答えた。「籠るこっちは、蔵から出すだけ。囲む向こうは、十万ぶんを、雪道で延々と運ぶ。長引くほど、運ぶ側のほうが、苦しくなる。それが、籠城の理屈です」


「そんなに、違うものか」若い隊長が、首をかしげた。


「運ぶ、というのは、思った以上に、物を食うんです」俺は、地図に、本国から伸びる長い線を引いた。「荷を運ぶ馬も、麦を食う。御者も食う。護衛の兵も食う。遠くへ運ぶほど、運ぶ者自身が、道中で、運んでる荷を食い減らす。十日かかる道なら、着く頃には、積んだ糧の何割かが、もう消えてる」


「運ぶほど、減るのか」


「真冬の雪道なら、なおさらです」俺は線の途中を、こつ、と叩いた。「橇は雪に取られ、馬は凍えて倒れる。一度に運べる量が、半分以下に落ちる。それでも十万は、毎日、容赦なく腹を空かせる。供給が、消費に、追いつかない。今、向こうの帳尻は、確実に、合ってません」


ベルクが、白い顎鬚を撫でた。


「ヴァルターほどの男が、その理屈を、知らんわけがあるまい」


「知ってます。だから、強攻に出た」俺は頷いた。「あの人は、長引けば自分が飢えると分かってた。だから、その前に、城を落とすしかなくなった。短期で決める。それが、唯一の勝ち筋だと踏んだ」


「だが、城は、落ちなかった」


「ええ」俺は、采配所の隅で眠るリーゼの方を、ちらりと見た。「疎開で、城の口を減らした。配給を、一粒まで管理した。リーゼさんが、城壁を、命がけで守った。だから――城は、ヴァルターの想定より、ずっと長く、もった」


そこに、ヴァルターの誤算があった。彼は、こちらの籠城が、ここまで保つとは、読み切れなかった。武力でも、用兵でもない。徹底した「物の管理」が、彼の計算を、わずかに、上回った。


「あの将ほどの相手が、なぜ、そこを読み違えた」老将が、訝しんだ。


「読めなかったんじゃ、ありません」俺は答えた。「あの人は、普通の籠城を、想定してた。どんぶり勘定で配給し、奪い合いが起きて、内側から崩れる。それが、籠城のお決まりだから。けど、うちは違った。木札で水を配り、粥で麦を伸ばし、一粒まで数えた。疎開で口まで減らした。そんな籠城、あの人も、見たことがなかったんでしょう」


「お前のやり方が、敵の常識の、外にあったわけか」


「ええ。前線で派手に戦ったわけじゃない」俺は、盤面を見つめた。「ただ、後ろで、地味に、数え続けた。それだけが、十万の想定を、超えたんです。裏方の数勘定が、初めて、名将の読みを、出し抜いた」


「向こうの強攻は、空振りに終わった」俺は、盤面の数字を見つめた。「城は落ちず、時間だけが過ぎた。その間に、自分の補給線が、限界まで痩せた。今、帝国軍は――攻める力も、退く力も、削り始めてる」


「臨界点が、近いんだな」老将が、身を乗り出した。


「あと数日、こっちが持てば」俺は、低く言った。「攻めているはずの帝国が、先に、飢えて崩れます。剣を交えるまでもなく」


その読みを、裏付ける報せが、夜に届いた。帝国軍の陣で、配給を巡る小競り合いが起きているという。飢えた兵の、士気が、ほころび始めていた。


「逃亡兵も、出始めてるそうよ」ヴィオラが、商業圏の伝手で拾った噂を、運んできた。「夜陰に紛れて、隊を抜ける兵が、ぽつぽつと。腹が減って、寒くて、もう戦どころじゃないって顔で」


「軍は、糧が切れると、人から崩れます」俺は頷いた。「剣が折れるより、先に。腹が減れば、誰のために、何のために戦ってるか、分からなくなる。ガルディアは、自国の村まで空にして、この戦に賭けた。負ければ、国そのものが、危うい。それが、兵にも、伝わり始めてる」


「焦って、無理に攻めた、そのツケね」


「ええ。ヴァルターは、それを、誰より分かってるはずです」俺は、敵将の陣の方を見た。「分かっていて、止められない。一度動かした十万は、もう、簡単には退けない。退くにも、糧が要るんです。攻めるも地獄、退くも地獄。あの人は今、一番苦しい盤面に、座らされてる」


俺は、盤面の前で、息を整えた。


ここまで、ずっと、守る側だった。耐えて、しのいで、削られて。だが、流れは、変わりつつある。攻めている十万が、先に崩れる。その一点を、的確に突けたなら。


守りの戦が、攻めの戦に、変わろうとしていた。耐えるだけだった数字が、いま、反撃の刃に、姿を変えつつある。盤面の中に、勝利への、細い針の穴が、見え始めていた。

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