第53話 逃がす順番
城の消費を減らすには、食う口を、減らすしかなかった。
非情な言い方だ。だが、籠城とは、そういう算術だった。戦えない者が城内に多いほど、貴重な糧が、戦いと関係のない腹に消えていく。城を長くもたせ、より多くを生かすには、戦わない民を、安全な場所へ、逃がすしかない。
「包囲の、北西の一角」俺は地図に指を置いた。「ここの帝国兵の配置が、薄い。盤面で見ると、糧の届きが悪くて、三日前から、見張りの数が減ってる。腹を空かせた隊は、夜の見張りが、甘くなる」
「そこを、抜けさせるのか」リーゼが、地図を覗き込んだ。
「夜陰に紛れて、少しずつ。一度に大勢は動かせない。気づかれる」俺は盤面に、人の流れを描いた。「問題は、誰から、逃がすか、です」
それが、一番、重かった。
俺は盤面で、城内の民、一人ひとりを視た。年齢。体力。疲労度。負った傷の深さ。逃走路を、何日で歩けるか。途中で力尽きないか。冷たい数字が、人の生き死にの確率を、容赦なく並べてくる。
「歩けない重傷者と、体力のない老人を、先に」俺は決めた。「彼らは、城に残っても、長くはもたない。でも、今、護衛つきで、ゆっくり運べば、安全圏まで生きて届く。次に、子供と、その母親。最後まで残ってもらうのは、自分の足でいつでも走れる、若くて健康な者です」
「弱い者から、逃がすのか」ベルクが、意外そうに、白い眉を上げた。「足手まといから、先に?」
「逆です」俺は首を振った。「強い者は、最後の最後でも、自力で抜けられる。弱い者は、今を逃したら、二度と機会がない。だから、今、一番、生き延びる確率が低い人から、先に出す。それが、一人でも多く生かす、順番です」
「護衛は、どう割り振る」リーゼが訊いた。
「重傷者の列に、一番厚く」俺は盤面を見た。「歩くのが遅い列ほど、敵に見つかる危険が長い。速い列は、護衛が薄くても、駆け抜けられる。荷物も同じです。動けない人ほど、運ぶ手を増やす。健康な者には、自分の足と、最低限の食料だけ持たせる」
「荷を、減らすのか」
「逃げる道では、荷は、命取りです」俺は言った。「重い荷を背負えば、その分、足が遅れる。遅れれば、見つかる。だから、安全圏まで二日なら、二日ぶんの食料だけ。それ以上は、捨てさせる。惜しんで持てば、かえって、命を落とす」
リーゼが、しばらく俺を見ていた。それから、剣の柄を、ぽんと叩いた。
「お前のその計算は、いつも、弱い者の側に立っているな」
「立ってるんじゃありません」俺は言った。「数えると、そうなるんです。一番死にやすい人を先に助けるのが、合計で、一番多く生き残る。冷たい計算が、たまたま、優しさと同じ答えを出す。それだけです」
疎開の夜が来た。リーゼ隊が、包囲の別の一角で、わざと火を焚き、騒ぎを起こす。囮だ。帝国兵の目が、そちらへ向いた隙に、民が、北西の闇を、列を作って抜けていく。
ミナも、その列にいた。母親の手を握って。俺の前で、足を止める。
「おじさん、一緒に行かないの?」
「俺は、まだ、ここで数えることがあるんです」俺は、しゃがんで目線を合わせた。「ミナは、向こうで、待っててください。みんなのおにぎり、握り方、忘れないように」
「……ぜったい、来てね」ミナの声が、震えた。「あたしのおにぎり、食べてくれるって、約束。来なかったら、怒るから」
「約束します」俺は、小指を差し出した。「指切り」
小さな指が、俺の指に、固く絡んだ。冷えた、けれど確かに生きている、温かい指だった。
「これ、持ってって」ミナが、布に包んだものを、俺に押しつけた。固く握った、おにぎりが一つ。冷たく、ずしりと重かった。「おじさん、ちゃんと食べないでしょ。だから、一個だけ。あたしが握ったの。元気、出るよ」
返す言葉が、喉の奥で、つかえた。俺は、ただ、その小さな頭に、手を置いた。
「ありがとう。大事に、食べます」
列が、闇に消えていく。最後の一人が見えなくなるまで、俺は、城壁の上で見送った。雪の匂いと、遠い囮の火の、焦げた匂いが、混じっていた。手の中のおにぎりだけが、まだ、ほんのり温かかった。
「一つ、礼を言わせろ」出立の前、リーゼが、囮の支度をしながら言った。「お前の逃がす順番。あれを聞いて、隊の若い連中が、納得して囮を引き受けた。弱い者を先に逃がすためなら、命を張れると」
「囮は、一番、危ない役です」俺は言った。「無事に、戻ってください」
「戻る」リーゼは、兜の緒を締めた。「お前との約束を、破るつもりはない。無茶はしないと、言っただろう」
明け方、リーゼ隊が戻った。民は、一人も欠けず、安全圏へ抜けたという。囮を張ったリーゼ隊にも、深手を負った者は、いなかった。
盤面の中で、城内の消費の数字が、目に見えて、軽くなった。三十六日だった籠城可能日数が、四十一日まで、延びた。逃がした分、残った者が、長く生きられる。
「五日、延びました」俺は、誰にともなく呟いた。だが、その五日と引き換えに、城は、ずいぶん静かになった。子供の声が、消えた城は、妙に、広く、寒かった。守るべきものを逃がして、初めて、その賑やかさが、どれほど城を支えていたかを、知った。
延びた日数を、にらみながら、俺は気づいた。盤面を視続けた目の奥が、さっきから、鈍く、脈打っている。視界の端が、時々、白く、滲んでいた。




