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第51話 命の配り方

包囲三日目の朝、城の井戸に、最初の列ができた。


水を汲む順番を待つ、民の列だった。まだ、争いは起きていない。だが、桶を抱える手に、こわばりがあった。誰もが、薄々、気づき始めている。この城の中にあるものは、有限だと。


俺は、城の大広間に、即席の采配所を構えた。卓の上に、城の見取り図。その上に、盤面を重ねる。


城内のすべてが、数字になって、立ち上がってきた。蔵の麦、塩、干し肉、豆。井戸の水量。薬草の束。矢の本数。薪の山。そして、それを食い、使う、八千の人。兵が二千、民が六千。負傷者が、すでに三百を超えていた。


井戸の列で、小競り合いが起きかけていた。先に来た男が、後から来た者を押しのけ、桶を二つ、満たそうとしている。


「順番だ」俺は割って入った。「一人、一日、桶一つ。木札を配ります。札のない人は、汲めない。札のある人は、必ず汲める。それなら、早い者勝ちで、押し合う必要がなくなる」


「俺の家は、五人もいるんだ。一つじゃ足りん」男が、唾を飛ばした。


「五人なら、札を五枚、世帯主に渡します」俺は静かに言った。「家族の数だけ、ちゃんと行き渡る。だから、横入りも、ため込みも、要らない。皆が札の分だけ汲めば、井戸は、最後の一日まで、誰も渇かせない」


男は、口をへの字に曲げたが、やがて、桶を一つに戻した。並んでいた者たちの肩から、こわばりが、すっと抜けた。


数を、見える形にする。誰がどれだけ取れるかを、はっきりさせる。それだけで、奪い合いは、ぴたりと止む。前世で、品薄の倉庫を何度も捌いてきた。人が荒れるのは、物が足りないからじゃない。「自分の分があるか分からない」からだ。


「ヴィオラさん。配給の帳簿を、三つに分けます」俺は采配所に戻り、紙を滑らせた。「戦う兵。働ける民。動けない者――子供、老人、負傷者。それぞれ、必要な量が違う」


「兵を厚く?」


「いえ。働ける者を、まず立たせます」俺は指を折った。「城壁を直す。矢を運ぶ。粥を炊く。城が回るのは、この人たちが動くからだ。彼らが倒れたら、兵も民も、共倒れになる」


ヴィオラが、算盤を弾いた。珠の鳴る音が、張り詰めた広間に、妙に小気味よく響いた。


「で? 全員、何日もつの」


俺は、盤面の数字を、もう一度、見渡した。麦の山を、八千の腹で割る。水を割る。薪を、真冬の日数で割る。冷たい答えが、せり上がってくる。


「切り詰めて、三十八日」声が、低くなった。「籠城前の計算より、二日、短い。負傷者が、想定より多い。手当てに使う薬も、清潔な布も、見込みより速く減ってる」


広間が、しんとした。ベルクが、白い顎鬚を、ゆっくり撫でた。


「三十八日で、帝国は退くのか」


「退かせます」俺は、地図の外、城を囲む十万を指した。「向こうは、あの数を、毎日食わせなきゃならない。本国から、雪道を越えて、延々と運んでくる。運ぶほうが、籠るより、ずっと多くの糧を食う。長引けば、必ず、向こうが先に音を上げる」


「それまで、城が、もてばな」リーゼが、城壁の方を見た。鎧の擦れる音がした。「攻めは、しのいでみせる。お前は、中を、頼む」


その日から、俺の戦が、本格的に始まった。


誰に、どれだけ、どの順で配るか。それは、数字の作業の顔をして、その実、命の重さを量る作業だった。粥を一杯増やせば、その分、別の日の誰かの一杯が消える。今日を厚くすれば、明日が痩せる。


麦は、そのまま炊くより、粥にした。水で薄く伸ばせば、同じ一合が、三倍の腹を満たす。塩を効かせれば、薄くても、体に残る。具のない粥でも、熱いだけで、冷えた体には薬になった。


「薪も、数えてあるのか」ベルクが、湯気の立つ釜を覗いて言った。


「薪が尽きれば、粥も炊けません。煮炊きは、朝と晩の二回にまとめます」俺は答えた。「一度に大釜で炊いて、冷めたら、湯を足して温め直す。一回ずつ小さく炊くより、薪が、ずっと長くもつ。真冬の籠城は、麦と同じくらい、薪との勝負なんです」


子供と、重い負傷者には、こっそり、ひとさじ多く回した。兵には、戦える最低限を。働ける民には、動ける分を。そして、自分の椀は、誰にも気づかれないよう、一番薄くした。


「おじさん、ちゃんと食べてる?」配給を手伝うミナが、俺の椀を覗き込んだ。「それ、薄いよ。お湯みたい」


「数えてると、腹が減らないんですよ」俺は笑ってみせた。「それより、ミナのおにぎり、今日も固く握れてますか」


「うん! 傷まないように、ぎゅってね」


その健気さに、胸の奥が、きしんだ。この子を含めた六千の民を、俺の数字が、生かしも殺しもする。


夜、采配所に一人残って、盤面をにらんだ。麦の数字が、今日も一日分、確かに減っている。三十七日。明日には、三十六日。


このまま、籠って待つだけでは、足りない。城が干上がるのが先か、敵が音を上げるのが先か。今の計算では、際どすぎる。天秤を、こちらへ傾ける一手が、要る。


帝国の大軍が、現地で奪える物――近隣の畑、村の蓄え、水源。それを、断てるなら。


その考えに行き着いたとき、俺の指は、盤面の上で止まった。背筋が、冷たくなる。それは、敵を干上がらせる、ただ一つの確かな道だった。同時にそれは、味方の土地を、味方の手で、焼くということでもあった。


誰かの一年の蓄えを。誰かの、生まれ育った畑を。数字の上では、正しい。だが、正しさだけで、人の暮らしを焼く決断が、できるのか。俺は、冷えた粥の椀を、握りしめた。

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