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第45話 数を握る者

王国軍の本陣は、葬式のように静かだった。


天幕の中で、将たちが、地図を囲んでいる。だが、誰も、それを見ていなかった。卓の上には、手をつけられていない軍議の酒が、冷えたまま並んでいる。その酸い匂いだけが、敗北の重さを、嗅がせてきた。


俺が天幕に入ると、視線が、いっせいに集まった。あの、酒杯を高く鳴らした肥えた将も、いる。今は、酒杯を握る手が、震えていた。


「来たか、ノルドの代官」上座の老将が、口を開いた。総司令官だった。「単刀直入に言う。中央騎士団は、壊滅した。剣を、ろくに交えぬうちにだ。理由は、貴公が四日前に言った通りだった」


天幕が、しんとした。誰も、反論しなかった。反論できる者は、もう、雪原に倒れていた。


「貴公の警告を、我らは嘲笑した」老将が、深く頭を下げた。白髪が、揺れた。「そのことを、まず詫びる。そのうえで、頼みがある。王国軍、全軍の補給と兵站を、貴公に任せたい」


肥えた将が、何か言いかけて、口をつぐんだ。誰も、もう、彼の言葉を求めていなかった。


俺は、すぐには答えなかった。盤面を開けば、退却してきた全軍の惨状が見える。糧の尽きた隊。荷駄を失った隊。ばらばらに崩れた、無数の流れ。それを一本に束ね直すのが、どれほど泥臭い仕事か、痛いほど分かっていた。


「一つだけ、確かめさせてください」俺は言った。「俺が立てた段取りを、騎士の誉れに合わないからと、誰かがまた、勝手に破る。それでは、同じことが起きます。俺に任せるなら、武も血統も、いったん脇に置いてもらう。糧の流れに関しては、俺の数字が、最後の決定です。それを、飲めますか」


肥えた将が、顔を赤くした。だが、老将が、それを手で制した。


「飲もう」老将が言った。「武勇で、国は守れなかった。ならば、別のもので守るしかない。貴公の言う、数字とやらで」


俺は、頷いた。


「では、引き受けます」地図を、卓の中央へ引き寄せる。「剣は、振れません。でも、兵が三日後に何を食うか、どこで足りなくなるかなら、俺が、誰より正確に言えます」


その瞬間から、俺の戦が始まった。


盤面を、全軍に広げる。退却してきた各隊の、残った糧。動かせる荷駄。通れる街道と、雪で塞がった道。湧き上がる無数の数字を、頭の中で、一本の流れに編んでいく。連続して視れば、また頭が割れるように痛む。だが、今は、その痛みに構っている暇はなかった。


「まず、生きてる隊から、糧を吐き出させてください」俺は次々と指示を出した。「余ってる隊から、尽きた隊へ、横に回す。縦に王都から運ぶより、何日も早い」


「横に、回す?」老将が、眉を寄せた。「友軍の糧を、別の隊へ譲らせるのか」


「ええ。一つの大きな蔵だと思って、全軍を回します」俺は地図に、横向きの線を何本も引いた。「ある隊は麦が余って、ある隊は塩が切れてる。隣同士で融通すれば、王都からの長い列を待たずに済む。距離が近いほど、荷は早く、目減りも少ない。これが、いちばん速い止血です」


次に、ノルドの蔵を開いた。冬越えの備蓄を半分、前線へ。残り半分で、領の民と避難民を食わせる。ぎりぎりだが、粥にして薄く伸ばせば、回る。


「もう一つ、決めておきます」俺は地図に、小さな丸を、点々と打った。「前線の手前に、糧の中継地を、三つ。一度に遠くまで運ぶんじゃなく、近場の蔵で受け渡しを繋いでいく。馬が一日で往復できる距離で、区切るんです」


「なぜ、わざわざ区切る」老将が訊いた。


「一本の長い線は、どこか一か所断たれたら、全部が止まります」俺は、レオハルトの伸びきった補給線の跡を、指でなぞった。「これが、その失敗です。短く区切って繋げば、一か所断たれても、手前の蔵で踏みとどまれる。中央騎士団は、線が長すぎて、一度断たれただけで、丸ごと飢えた」


老将が、地図の上の点々を、じっと見た。武人の目に、初めて、理解の色が差した。


ガロが、街道の手配に飛び出していった。雪に強い、抜け道の御者を、片端から集めてくる。ヴィオラが、商業圏の早馬と倉を、惜しみなく貸してくれた。リーゼが、前線の各隊長に、俺の段取りを、剣の権威で通して回った。


崩れかけた戦線に、細い、けれど確かな糧の流れが、一本ずつ、繋がり始めた。飢えて止まっていた隊が、粥を口にして、もう一度、立ち上がる。


「お前の数字が」リーゼが、戻ってきて言った。久しぶりに、その目に、火が戻っていた。「死にかけた軍を、繋ぎ止めてる」


「まだ、止血しただけです」俺は盤面から目を上げなかった。「攻めに転じるには、足りない。それに」


俺は、敵の集積地から伸びる流れを、もう一度、たどった。レオハルトを罠に誘い込んだ、あの手際。退きながら糧の線を断った、あの正確さ。


「向こうにも、流れを読む誰かが、いる」俺は呟いた。「武力で勝てない相手じゃない。けど、糧を読む者同士の、本物の頭脳戦になる。今度は、こっちが嘲笑される側じゃない」


「今度は、こっちが嘲笑される側じゃない」


「ああ」リーゼが、静かに頷いた。「お前を笑った連中は、もう、雪の下だ。残った者は、お前の数字に、命を預けている。父が、最後まで欲しがったものを、お前が、配っている」


その横顔は、もう、遠い暗い場所を見てはいなかった。まっすぐ、地図の上の、灯り直した光を見ていた。


天幕の外で、雪が、また降り出していた。だが、俺の盤面の上では、消えかけていた光が、一つ、また一つと、灯り直していた。


侮られた流れ者が、いま、一国の軍の、数を握っていた。

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