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第42話 白い鎧の英雄

レオハルトは、最初の三日で、帝国の前哨を二つ蹴散らした。


報せが届くたび、領都は沸いた。酒場では、見知らぬ者同士が肩を組んで歌っている。窓の外を、勝利の噂が、雪を溶かすように駆け抜けていく。


「やっぱり中央は強えや!」ガロが、麦酒の泡を口の端につけて戻ってきた。「旦那、心配しすぎだったんじゃねえか? あの白い鎧、化け物みてえに強いって評判だぜ」


「強いんでしょうね、剣は」俺は地図の上に、進軍の線を引いていた。「問題は、剣じゃない」


俺は盤面を、その線に重ねた。レオハルト軍の本隊と、それを養うはずの荷駄の列。二つの距離が、日に日に、開いていく。


「ガロ、櫛を思い浮かべてください」俺は線の間を指で示した。「歯が抜け落ちていくでしょう。前線だけが勢いよく前へ伸びて、糧を運ぶ列が、雪と泥に足を取られて、置いていかれる。今、本隊と荷駄のあいだが、もう三日分も開いてる」


「三日分って、どのくらい不味いんだ」


「兵は腹が減っても、半日は気力で歩けます。一日で動きが鈍る。二日で、剣を構える腕に力が入らなくなる。三日で、馬が先に倒れる」俺は地図の上で、線の先端を叩いた。「勢いってのは、燃料を食って走る荷車だ。麦が切れれば、どんな名馬が引いてても、その場で止まる」


「馬ってのは、そんなに食うのかい」ガロが、麦酒の杯を置いた。


「兵一人が一日に麦一斤なら、軍馬一頭はその十倍の飼葉が要ります」俺は指を立てた。「人は我慢できても、馬は我慢が利かない。飼葉が切れれば、二日で動けなくなる。騎士団ってのは、馬がいて初めて騎士団だ。馬が止まれば、ただの、重い鎧を着た歩兵の群れになる」


ガロが、ひゅう、と口笛を吹いた。「旦那の頭の中じゃ、英雄の進軍も、ぜんぶ飼葉の勘定なんだなあ」


「華々しく見える戦ほど、足元は、地味な数字でできてるんですよ」


その夜、俺は前線の野営地へ呼ばれた。リーゼの口添えで、ようやく将たちの天幕に、足を踏み入れることが許された。


天幕の中は、汗と、燃える獣脂の匂いで満ちていた。その中央に、レオハルトがいた。鎧を脱いでも、その背は大きく、声は天幕の布を震わせた。


「おお、貴公が噂の代官か」レオハルトが、葡萄酒の杯を掲げた。「算盤で戦を読む、変わり者だと聞いた。ははは、面白い! して、何用かな。私に、麦の数でも教えに来たか?」


「進軍を、一度、止めていただきたい」俺は地図を広げた。「あなたの本隊は、もう三日、糧の列を引き離しています。このまま進めば、四日後、前線に麦が届かなくなる。馬の飼葉は、もっと早い。線を引いて、計算しました。ご覧ください」


レオハルトは、地図を見なかった。代わりに、俺の顔を見て、声を上げて笑った。


「止まる? この、勝ち戦の最中に?」杯の酒が、揺れて卓に散った。甘く、酸い匂いが立った。「貴公、戦を知らぬな。勢いというものを。敵が逃げる今こそ、追って追って、踏み潰すのだ。ここで荷駄を待って足を止めれば、敵に立て直す暇をくれてやる。それこそ臆病者の戦だ」


「逃げているのではなく、引いているのかもしれません」俺は、地図の上の、敵の退き方を指した。「ご覧ください。敗走なら、武具を捨てて散る。なのに、この退き方は、整いすぎている。誘っているんです、奥へ。糧の届かない、奥へ」


「勢いは、腹が減れば、消えます」


「消えぬよ」レオハルトは、自分の胸を、拳で叩いた。鋼の鳴る音がした。「騎士の勇は、麦から湧くのではない。誇りから湧くのだ。三日飯を食わずとも、わが騎士団は剣を振るう。それが、貴公のような後方の者には、わからぬのだろうな」


天幕の将たちが、どっと笑った。その笑い声の中で、リーゼだけが、笑っていなかった。


「団長」リーゼが、低く言った。「この男の数勘定は、当たります。砦で、領で、私はこの目で見てきました」


「ほう、アルデンの娘か」レオハルトの目が、すっと細くなった。「没落した家の娘が、商人の肩を持つか。なるほど、似合いだ。剣を捨てた者同士、後ろで樽でも数えているがいい」


リーゼの拳が、白くなった。だが、何も言い返さなかった。言い返せば、この男の言う「臆病者」を、自分で認めることになる。そういう、巧妙に逃げ場のない侮辱だった。


俺は、地図を畳んだ。ここで何を言っても、酒杯の縁で跳ね返される。壁は、城壁よりも厚かった。


天幕を出ると、雪はやんでいた。澄んだ夜気が、肺の奥まで冷たい。リーゼが、無言で隣を歩いた。


「止められませんでしたね」俺は言った。


「あの男は、崩れるまで気づかない」リーゼの声が、夜の中で固かった。「父の死んだ戦の将と、同じ目をしている。勝っているあいだは、後ろを振り返らない」


「あなたの隊の段取りは、変えません」俺は言った。「あの人が前へ突っ込んでも、あなたの兵だけは、足を止めて受け取れるように組んであります。崩れたとき、無事な隊が一つあるかどうかで、拾える命の数が、変わる」


リーゼが、ちらりと俺を見た。何か言いかけて、やめた。代わりに、剣の柄に置いた手を、わずかに緩めた。


俺は盤面を、もう一度開いた。レオハルト軍の前線。その糧の残量を示す数字が、闇の中で、静かに減り続けていた。


あと、四日。崖までの距離を、盤面が、冷たく刻んでいた。

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