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第40話 武と、糧と

本作は全70話で完結予定です。

毎日5話ずつ、06:40/11:40/17:40/19:40/21:40 に予約投稿しています。

続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

王都が動いたという報せは、雪の匂いと一緒に届いた。


「中央騎士団が、出陣する」リーゼが、一枚の布告を、卓に置いた。騎士団の伝手で、いち早く写してきたものだ。「団長レオハルト。王国最強と名高い男だ。一万の精鋭を率いて、国境へ向かう。帝国を、迎え撃つ」


「一万」俺は布告を手に取った。「補給の計画は」


リーゼが、口をつぐんだ。それが、答えだった。


布告には、兵の数も、進む道筋も、誇らしげに書いてあった。だが、糧食の段取りは、たった一行。「現地にて徴発、および速戦により早期決着」。それだけだった。


「速戦」俺は、その二文字を、指で押さえた。「短期間で、剣で押し切る。だから、兵糧は最小限しか持たない。足りない分は、現地で奪う。――そういう作戦ですか」


「中央の、伝統的なやり方だ」リーゼの声が、苦い。「騎士の誉れは、速さと勇にある。荷駄を長々と引き連れるのは、臆病者のすることだと、奴らは思っている」


俺は、盤面を開いた。布告の数字を、流れに変えていく。一万の兵が、一日に食う麦。飲む水。馬の飼葉。それを、進軍の日数で掛けていく。視界の中で、数字が、みるみる膨れ上がった。


「足りません」俺は呟いた。「まったく、足りない。三日分の糧食で、ひと月かかる戦場へ向かってる」


「徴発で、補うつもりだ」


「国境の村は、もう帝国に徴発されて、空ですよ」俺は地図の、白い余白を指した。「奪うものが、ない土地で、奪う前提の軍が、戦う。剣を一度も合わせないうちに、腹が減って動けなくなる。盤面が、そう言ってる」


「帝国は、それを、待ってるんです」俺は、敵の集積地から伸びる線を、もう一度たどった。「自分たちは、たっぷり兵糧を蓄えた。逆に、王国軍を、補給のない土地へ、おびき寄せる。飢えて崩れたところを、叩く。剣を抜く必要すら、ないかもしれない。――兵糧で、勝負は、もう半分ついてる」


「卑怯な」リーゼが、吐き捨てた。


「兵法ですよ。糧を制する者が、戦を制する」俺は首を振った。「卑怯なんじゃない。賢いんです。だから、怖い。向こうの采配を振るってる誰かは、それを、よく分かってる」


言葉にすると、それは、はっきりした未来の形をしていた。雪の中で、一万の精鋭が、敵ではなく、空腹に膝をつく。剣は、錆びてもいないのに、振るわれないまま。


「警告は、また、無駄になるでしょうね」俺は、自分でも驚くほど、静かに言った。「流れ者の代官が、最強の騎士団に、麦の数を説く。鼻で笑われて、終わりだ」


「だろうな」リーゼが、窓辺に立った。外では、初雪が、音もなく降り始めていた。


しばらく、二人とも、黙っていた。雪が、窓枠に、薄く積もっていく。


「私の父はな」リーゼが、雪を見たまま、口を開いた。「同じ戦で、死んだ」


俺は、何も言わずに、続きを待った。


「武勇では、誰にも負けない人だった。砦を、最後まで、守り抜こうとした」リーゼの指が、窓枠の雪に触れた。「だが、後方が、補給を、寄越さなかった。中央が、辺境の砦など、見捨てたんだ。父の隊は、矢も、食料も、尽きた。それでも、退かなかった。誉れのために」


雪を払う、その手が、止まった。


「最後の手紙に、こう書いてあった。『腹が、減った』と。武勇の人が、最期に書いたのが、それだ」リーゼが、こちらを向いた。瞳が、潤んではいなかった。乾いて、固い光をしていた。「私は、ずっと、武が父を殺したと思っていた。違った。父を殺したのは、糧を、軽んじた連中だ」


俺は、立ち上がって、リーゼの隣に並んだ。冷たい風が、二人の間を抜けていく。


「同じことを、繰り返させません」気づけば、そう言っていた。「あなたの父上のときは、誰も、後方を見ていなかった。今度は、俺が、見てる。一万人が、いつ、何を食うか。どこで、足りなくなるか。全部、数えてみせます」


「中央は、お前の声など、聞かんぞ」リーゼが、静かに言った。「巡察の役人を、見ただろう。あの連中は、崩れるまで、気づかない」


「ええ。聞かないでしょうね」俺は頷いた。「だから、聞かせるんじゃない。崩れたあとに、拾える形を、用意しておくんです。あの騎士団が、空腹で立ち往生したとき、誰かが、後方から糧を流し込む。その『誰か』に、俺がなる。今から、ノルドの蔵を、戦に備えて、組み直しておきます」


「勝つ算段ではなく、負けたあとの算段を、先にするのか」


「負けは、もう、半分見えてます」俺は正直に言った。「なら、その負けを、どこで止めるか。それを考えるのが、後方の仕事だ。前線が剣を折ったあと、国が立っていられるかどうかは、蔵の中身で決まる」


「お前一人で、一万の腹を、どう満たす」


「一人じゃ、無理です」俺は、降る雪を見た。「でも、この戦は、剣の勝負には、ならない。糧の勝負になる。それなら――俺の戦場だ。剣は振れない。でも、兵が三日後に何を食うかなら、俺が、誰より正確に言える」


リーゼが、俺の横顔を、じっと見ていた。やがて、ふっと、肩から力が抜けた。


「お前は、本当に、おかしな男だ」掠れた声だった。「最強の騎士団が出ていく日に、麦の話で、人を、こんなに安心させる」


その時だった。砦の鐘が、けたたましく鳴った。一度、二度。早馬の蹄が、雪を蹴って、門へ駆け込んでくる。


伝令だった。雪まみれの兵が、転がるように広間へ飛び込み、息も整えず、叫んだ。


「申し上げます! ガルディア帝国軍、国境を、突破!」


リーゼの手が、剣の柄を、握った。俺は、地図の白い余白を見た。もう、そこは、白くなかった。


戦争が、始まった。武を誇る者たちが、糧の重さを思い知る、長い冬が。

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