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第4話 流れを、変える

本作は全70話で完結予定です。

毎日5話ずつ、06:40/11:40/17:40/19:40/21:40 に予約投稿しています。

続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

夜明け前から、レンは倉庫にいた。


「順番を、まるごと組み替えます」眠そうなベルクに、羊皮紙を広げて見せる。ランプの油の匂いが、暗がりに漂っていた。「今までは、近い区画から配ってましたよね。北の倉庫を開けて、近い順に。だから南の端まで来る頃には、何も残ってない」


「それの、どこが悪い」ベルクが欠伸を噛み殺す。


「悪くはないです。楽だから。でも、楽な順番と、正しい順番は、違う」


レンは指で、道筋をなぞった。


「やることは三つ。まず、先に傷む麦から出す。奥にしまった良い麦を後生大事に取っておくと、手前の古いのから腐っていく。鮮度の落ちる物から、人の口へ。次に、遠い区画から先に届ける。荷車が元気なうちに、いちばん遠い南の端へ走らせる。最後に、荷を運ぶ手を、空で戻らせない。帰りに、南の空き樽と空き袋を回収させる。それだけで、同じ人手と同じ物で、端まで届きます」


ベルクは羊皮紙の線を、しばらく睨んでいた。やがて、白髭を撫でる。


「……先に傷む物から出す、か」


「もったいない、が、逆に働いてたんです」レンは頷いた。「貯めるんじゃなくて、回す。倉庫は、物を寝かせる場所じゃない。流す途中の、通り道だ」


「待て」ベルクが口を挟んだ。「南から先に配ったら、詰所の兵が黙っとらんぞ。いつも、自分らが先だと思っとる」


「だから、量は減らしません」レンは即答した。「順番を変えるだけです。先に南へ走らせて、戻りがてら北を回る。北の兵には、いつもと同じ量が、いつもと同じ日に届く。ただ、届く時刻が半日遅れるだけだ。文句が出たら、俺が説明します」


ベルクは唸ったが、反対はしなかった。


その日の配給は、レンの引いた道筋どおりに動いた。


荷車は、遠い南の端から配り始めた。傷みかけの麦を先に捌き、空で戻る車はなく、帰り道で空樽と布袋を集めて回る。無駄に往復していた手間が、一本の流れにまとまっていく。御者たちは最初こそ戸惑っていたが、半日も回すうちに、「こっちのほうが、楽だな」と口々に言い始めた。空荷で坂を上り下りしていた骨折りが、まるごと消えたのだ。


レン自身も、荷車の脇を歩いて回った。机の上の絵図が、現場でどう詰まるか。それは、足で確かめないとわからない。坂の勾配、ぬかるみ、車輪の傷み。盤面に映る数字と、現場の泥の感触を、何度も突き合わせた。


昼を過ぎる頃、ミナの区画に荷車が着いた。


三日ぶりの配給だった。ミナは弟妹の手を引いて並び、麦と豆を受け取ると、信じられないという顔で袋を抱えた。麦の匂いに、幼い妹が顔を埋める。


「来た」掠れた声だった。「ほんとに、来た」


戸口に座り込んでいた老人にも、粥に混ぜる麦が届いた。孫が、震える手で受け取り、何度も頭を下げる。盤面の赤い文字が、ほんの少しだけ、色を薄めた気がした。すぐにどうにかなる衰弱ではない。それでも、明日へ繋ぐ一食には、なる。


その様子を、少し離れた馬上から、リーゼが見ていた。動かず、ただ、配給の列が端まで途切れないのを、確かめるように。


夕刻、レンが倉庫で帳簿を締めていると、リーゼが一人で現れた。供はいない。鎧を脱ぎ、簡素な上着姿だった。そうしていると、思いのほか若い。


「端の区画まで、配給が届いたそうだな」


「物を増やしたわけじゃありません」レンは手を止めた。「ただ、流れを変えただけです」


リーゼはしばらく黙って、倉庫の天井を見上げた。梁から吊るされた干し肉が、風に小さく揺れている。何かを言いあぐねているようだった。


「……礼を、言っておく」やがて、そっぽを向いたまま言った。「砦の、子供らのことだ。勘違いするな」


胸の奥が、こそばゆくなった。


前世なら、こんな礼の言われ方も知らずに、ただ数字を回して終わっていた。誰かの腹が満ちたことも、自分の仕事の先にあったはずなのに、見えていなかった。


「お前の言う、その『流れ』とやら」リーゼがレンに向き直った。冷たさは、少し薄れている。「続きを見せてみろ。砦の運営に、お前の目を貸せ」


ベルクが、傍らで初めて笑った。


「四十年、倉庫番をやってきたが」しわがれた声で言う。「樽の数を当てて、配給まで立て直した流れ者は、お前が初めてだ。……悪くねえ采配だった」


悪くねえ采配。


その言葉を、レンは胸の中で、何度か繰り返した。


剣も魔法も使えない。それでも、この世界には、自分の知っていることが効く場所があるらしい。前世で誰にも見られなかった裏方の仕事が、ここでは、誰かの腹を満たしている。机の上で死んだ男に、もう一度、出番が回ってきた。


「お安いご用です」レンは羊皮紙の角を揃えた。「やることは、まだ山ほどある」


「欲のない男だ」リーゼが、わずかに目を細めた。「代官の不正を暴いて、配給を立て直して、見返りに何も求めん。普通は、地位か、金をねだるものだ」


「地位も金も、もらっても使い道がない」レンは正直に答えた。「俺は、合わない数字が合うのが、ただ気持ちいいだけです。砦の帳簿が、ちゃんと流れて、ちゃんと合う。それが見たい。それだけだ」


リーゼは、しばらくその答えを吟味するように黙っていた。やがて、小さく息を吐く。呆れとも、感心ともつかない吐息だった。


「変わった男だな、お前は」


「よく言われます」


その夜、砦は久しぶりに穏やかだった。かまどの煙の匂いが、いつもより長く、集落に漂っていた。


だが、レンの目に灯る数字は、別のことも告げていた。


街道から、来るはずの隊商が、もう何日も入ってきていない。砦の外で、別の流れが――途絶えかけている。

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