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第3話 配り方が、間違っている

本作は全70話で完結予定です。

毎日5話ずつ、06:40/11:40/17:40/19:40/21:40 に予約投稿しています。

続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

翌朝、砦の下の集落で、レンは小さな手に袖を引かれた。


「おじさん、お腹すいてないの?」


痩せた女の子だった。歳は十二、三か。腕も脚も、棒のように細い。後ろに、もっと小さな弟と妹が二人、不安そうに身を寄せている。


「あたし、ミナ」少女は腹を鳴らしながらも、にっと笑った。前歯が一本、抜けている。「ねえ、倉庫のおじさんでしょ。すごいんだって? 数えるの。代官のおじさんが、悪いことしてたの、見つけたって」


「耳が早いな」


「砦じゃ、噂はすぐ回るもん」ミナは弟妹を背に庇うようにしながら、得意げに言った。「みんな言ってる。流れ者のおじさんが、樽の数を、ぴたって当てたって」


数えるのがすごい。そんな褒められ方は、前世でも一度もされたことがなかった。倉庫の数が合っていて当たり前、合わなければ叱られる。それが裏方の仕事だった。誰も、褒めはしない。


「お腹、すいてるのか」


「平気」ミナはからりと言った。「昨日は配給、あたしたちの並びまで来なかったけど。明日は来るかもしれないし」


来るかもしれない。


その言葉の軽さが、かえって胸の奥に刺さった。来るかどうか毎日わからないものを、この子は「平気」と笑うことで、やり過ごしている。


集落を回るうち、レンの目に灯る数字が、おかしなことを告げ始めた。


砦全体の食料は、確かに足りない。それは事実だ。だが――「足りない」だけでは説明のつかない、偏りがある。砦の北側の区画には、傷み始めた麦がうずたかく積まれ、余っている。鮮度の残り日数を示す文字が、赤く点り始めているものさえある。一方、ミナたちのいる南の端には、もう三日も配給が回っていない。


物が、ない。のではない。


物が、滞っている。


前世で、何度も見た光景だった。倉庫の奥に在庫が眠っているのに、店頭は欠品している。届け先を間違えたトラックが、空荷で帰ってくる。流れが、どこかで詰まると、片方で物が腐り、片方で人が飢える。需要と供給が、すぐ隣にあるのに、繋がっていない。


集落の奥で、レンは足を止めた。


戸口に、痩せた老人が座り込んでいる。盤面の文字が、その身体に赤く点っていた。〈衰弱・重〉。何日も、まともに食べていない数字だった。傍らで、孫らしい子供が、水で薄めた粥をすくって口へ運んでいる。匙が、震えていた。


ここには、何日も配給が来ていない。一方、北の倉庫では、麦が腐り始めている。同じ砦の中で。歩いて半刻の距離で。


腹の底が、冷たくなった。


「配り方が、間違ってる」レンは呟いた。「足りないんじゃない。回ってないんだ。物が余って腐ってる横で、人が飢えてる。こんな、馬鹿な話があるか」


「レン殿、と言ったか」


背後から、よく通る声がした。


振り返ると、女が立っていた。短く切り揃えた髪、磨かれた胸当て、腰には実用一辺倒の剣。立ち姿だけで、剣を生業にしてきた者だとわかる。砦を守る騎士団長、リーゼ。馬の汗と、鉄の匂いが、風に乗って届いた。


「倉庫の件は、聞いた」リーゼの目が、冷たくレンを射た。「代官の不正を暴いたそうだな。礼は言う。だが、配給に、よそ者が手を出すのは話が別だ。裏方の小細工で、兵の腹は膨れぬ」


「小細工じゃありません」


「では、何だ」


レンは、北の余った麦と、南の欠配を、順に指した。


「同じ物資で、配る順番と道筋を変えるだけで、飢える人を減らせます。元手は要りません。新しく食料を仕入れるわけでもない。今ある物を、ちゃんと流すだけだ」


リーゼの眉が、寄った。信じていない目だった。当然だ。流れ者が、来たばかりの砦で、何を偉そうに。剣も持たない男が。


「物資は、決まった量しかない」リーゼの声は硬い。「北に多く回るのは、そこに兵の詰所があるからだ。守りの要に厚く配る。それの、どこが間違いだ」


「守りに厚く配るのは、正しいです」レンは静かに返した。「でも、厚く配った先で、食いきれずに腐らせてたら、意味がない。余った分は、流せばいい。詰所の取り分を削れとは言ってません。腐る前に、余りを南へ回すだけです」


リーゼの口が、わずかに閉じた。反論の糸口を探して、見つけられずにいる顔だった。


「口で言うのは、容易い」


「なら」レンは少し考え、最も小さな賭けを口にした。相手が断りようのない、ほんの一手を。「この一区画だけ、配り方を変えさせてください。明日の配給で。それで何も変わらなければ、二度と口を出しません。失う物は、何もないはずです」


ミナが、不思議そうに二人を見上げていた。


リーゼは長く、レンを見据えた。剣の柄に置いた手は、動かない。砦の食料に余裕などないことを、誰より知っているのは、この騎士団長のはずだった。だからこそ、わずかな可能性でも、捨てきれない。


「……一区画だ」やがて、低く言った。「期限は明日。それで終わらせるなよ、流れ者」


短く言い捨てて、踵を返す。だが去り際、リーゼの視線が、痩せたミナの腹のあたりで、ほんの一瞬だけ止まった。すぐに逸らされたが、レンはそれを見ていた。


この騎士団長は、冷たいのではない。守れないものが多すぎて、感情を殺しているだけだ。


レンは羊皮紙を広げ、明日の配給の道筋を引き始めた。たった一区画。だが、ここで物を動かせなければ、何も始まらない。


「おじさん」ミナが覗き込む。「明日、ご飯、来る?」


「来るよ」レンは初めて、はっきりと答えた。「ちゃんと、流してみせる」

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