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第34話 細い管を束ねる

本作は全70話で完結予定です。

毎日5話ずつ、06:40/11:40/17:40/19:40/21:40 に予約投稿しています。

続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

ガロは、俺の話を聞き終えると、しばらく口を開かなかった。


「旦那」やがて、ぼそりと言う。「正気かい。大商会のメルクリオに、行商の俺たちが、喧嘩を売るってのか」


「売りません」俺は地図の上に、銅貨を何枚も置いていった。「束ねるだけです。一枚じゃ、踏まれて終わる。でも、百枚集めれば、向こうだって、無視できない」


銅貨の一枚を、指で弾く。


「ガロ。あなたが今まで商売してきた相手で、メルクリオに泣かされた連中、何人いる?」


ガロの目が、すっと細くなった。商人の顔だった。


「……腐るほどいるさ」呷るように言う。「買い叩かれて、店を畳んだ穀物屋。値で潰された塩問屋。あの大商会は、あちこちで、小さい奴の首を絞めてきた。恨んでる奴なら、いくらでもいる」


「その恨み、銭に換えましょう」


ガロが、にやりと笑った。久しぶりに見る、悪い顔だった。


翌日から、領館は、出入りの商人で騒がしくなった。ガロが声をかけ、ヴィオラが伝手をたぐり、メルクリオに踏み潰された小商人たちが、北の峠を越えて、南の川を上って、ノルドに集まってきた。


俺は、彼らの前に、ノルドの産物を並べた。


「うちには、鉄があります」机に、磨かれた農具を置く。「織物も、塩漬けも、保存の利く加工品もある。これを、あなたたちの麦と、塩と、交換したい。銭じゃなく、物と物で」


「物々交換かい」白髪の穀物屋が、農具を手に取った。鍬の刃を、爪で弾く。澄んだ音が鳴った。「いい鉄だ。メリディオの市場じゃ、こいつは高く売れる」


「あなたが扱う麦は、一つ一つは、隊商一台分にも満たないでしょう」俺は言った。「だからメルクリオは、見向きもしない。でも、あなたみたいな人が、二十人いれば、隊商二十台分の麦が、毎月、ノルドに流れ込む。本流を握られても、支流を束ねれば、領は飢えない」


「うまい話には、裏があるもんだ」白髪の穀物屋が、鍬を置いた。声に、長年裏切られてきた者の重みがあった。「メルクリオに目をつけられたら、今度こそ、店じまいじゃ済まんぞ。あんた、それを、どう守る」


もっともな問いだった。俺は、すぐには答えず、地図の上で、二十の取引先を、線で結んでみせた。一本一本は細い。だが、束になると、放射状の網が浮かぶ。


「メルクリオが潰せるのは、太い一本の管です」俺は線を指でなぞった。「どこを締めれば相手が干上がるか、一目で分かるから、狙える。でも、二十本に分かれた細い管を、全部同時に締めるのは、あの大商会でも割に合わない。手間と金が、釣り上げた値の儲けを、食い潰す」


穀物屋が、しばらく網の図を見ていた。それから、ふっと、肩の力を抜いた。


「数の盾、ってわけか」


盤面に、新しい流れが、いくつも灯り始めた。細い、頼りない管。けれど、一本、また一本と繋がるたび、ノルドへ向かう物資の総量が、じりじりと増えていく。潰されかけた領が、また少しずつ、息を吹き返していく。その数字を追う指先が、止まらなかった。


「面白いものね」隣で帳簿をつけながら、ヴィオラが言った。「あの会頭は、大陸で一番太い管を、力ずくで握った。あなたは、誰も拾わなかった、糸くずみたいな管を、丁寧に拾い集めてる。さて、どっちが先に、息切れするかしら」


時間との戦いだった。代替の供給が間に合うまで、領内の蓄えで、食い延ばさなければならない。俺はベルクと組んで、領中の蔵を回った。


「ここの麦、下の段から、傷み始めてます」薄暗い蔵で、俺は盤面を見ながら言った。「上下を入れ替えて、古いほうから配る。新しいのを、奥に寝かせる。それだけで、捨てる量が、ぐっと減る」


「先入れ先出し、ってやつだな」ベルクが、ふんと鼻を鳴らした。煤けた手で、麦袋を担ぎ直す。麦の、かすかに饐えた匂いが、鼻をついた。「四十年倉庫番をやって、誰も教えてくれなかったぞ、そんな当たり前を」


「当たり前を、誰もやらないから、物が腐るんです」俺は古い袋を、手前に積み替えた。「派手な手柄にはならない。誰も褒めません。でも、これをやるかやらないかで、冬に飢える人数が、変わる。地味なんですよ、兵站ってのは。地味で、いつも、いちばん最後に感謝される」


ベルクが、麦袋を担いだまま、ちらりと俺を見た。何も言わず、ただ、もうひと袋、手前に積み替えた。それが、この無口な老兵なりの、返事だった。


蔵の隅で、ミナが、配給の麦を桝で量っていた。きっちり、すり切り一杯。こぼさないように、舌を噛んで。


「おじさん」ミナが顔を上げた。鼻の頭に、麦の粉をつけている。「あたしね、計算、覚えたんだよ。一人に、これだけ。十人なら、これだけ。間違えると、誰かのぶんが、なくなっちゃうから」


「えらいな」俺は、その小さな頭に手を置いた。「お前のその一杯が、誰かを飢えさせない。立派な、兵站だ」


「へいたん?」ミナが首をかしげる。


「……難しい仕事の名前だよ」


ひと月が過ぎる頃には、市場の塩の値が、じわりと下がり始めていた。細い管が、束になって、効き始めたのだ。メルクリオの吊り上げは、出口を失い、空回りしていた。


「旦那、勝てるぜ、これ」ガロが、興奮を抑えきれない声で言った。「向こうの蔵で、麦が腐っていく音が、聞こえるようだ」


「まだです」俺は地図を見つめた。「支流だけじゃ、太さが足りない。とどめを刺すには、向こうが絶対に押さえられない、大きな流れが、もう一本いる」


「もう一本? どこにそんなもんが」


俺は、北の山並みを指した。麓の岩肌に、黒い口を開けた、誰もが恐れて避ける場所が、一つあった。


「あそこです」俺は言った。「危ない、儲からない、命がいくつあっても足りない――そう言って、みんなが避けてきた場所。だから、メルクリオも、手をつけていない。ダンジョンですよ」

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