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第33話 爆弾の在処

本作は全70話で完結予定です。

毎日5話ずつ、06:40/11:40/17:40/19:40/21:40 に予約投稿しています。

続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

夜の領館に、灯りはひとつだけだった。


俺は卓に大陸の地図を広げ、その上に盤面を重ねていた。麦の流れ。塩の流れ。メルクリオが買い占めた物資が、どこへ吸い込まれていくのか。指でなぞるたび、見えない管の先に、蔵が一つずつ、浮かび上がる。


「全部は、見えないな」俺は呟いた。


盤面は、俺が触れた物、観た物しか映さない。メリディオの蔵の中まで、ここからは届かない。こめかみが、じわりと痛んだ。範囲の外を無理に覗こうとすると、頭の奥が軋む。


「見える必要、ある?」


向かいで、ヴィオラが算盤を弾いていた。茶の代わりに、塩の相場表を肴にしている女だった。


「見えなくても、計算すればいいのよ。あの男が、どれだけ買ったか。どこに積んだか。いつまでに、売らなきゃならないか」珠が、小気味よく鳴る。「商人の頭ってのは、そういうふうにできてるの。あなたの、その目の代わりにね」


二人で、数字を持ち寄った。俺の盤面が掴んだ「流れの入り口」と、ヴィオラが商人の伝手で集めた「蔵と借金の噂」。それを突き合わせていくと、見えなかった爆弾の輪郭が、少しずつ、形になっていった。


「メルクリオが、ひと月で買った麦の量」ヴィオラが、算盤を弾く。「この値の動き方からすると、ざっと、隊商五百台ぶん。塩も、それに近い」


「買うのに使った金は、ほとんど借り入れですね」俺は盤面の、金の流れを追った。資本が、どこから湧き、どこへ流れたか。「自分の蓄えだけじゃ、足りない。これだけの量を一気に押さえるには、よその金貸しから、相当借りてる。その利息が、毎日、増えていく」


「気づいてるじゃない」ヴィオラが、楽しそうに目を細めた。「そう。あの男は今、借りた金で、腐る物を、山ほど抱えてるの。時間が経つほど、損が膨らむ。砂時計の上で、踊ってるのよ」


「メリディオの大蔵に、麦が山積みのはず」ヴィオラが地図を指す。「あそこは港が近い。湿気る。塩はまだもつけど、麦のほうは、ね」


「ふた月、もたない」俺は引き取った。前世で、嫌というほど見た数字だった。「夏越えの麦を、密閉もせず蔵に積めば、下のほうから蒸れて、虫がわく。三月もすれば、半分は飼料にしかならない。あの量を、傷む前にさばききるには、どうすればいい?」


「毎日、馬車何十台分も、売り続けなきゃならない」ヴィオラが目を細めた。「そんな大口の買い手、大陸にそうはいない。あの男の儲けの絵図は、たった一つの前提で、成り立ってるの」


「ノルドが、音を上げて、言い値で買うこと」


二人の声が、重なった。灯りの芯が、ぱちりと爆ぜた。


絵図の正体が、はっきり見えた。メルクリオの会頭ザイルは、ノルドを唯一の出口だと決めてかかっている。喉が渇いた相手が、最後に頭を下げて、高い水を買いに来る。その一点に、買い占めた山全部の運命を、賭けている。


「だったら、やることは、二つだ」俺は地図に、二本の線を引いた。


「ひとつ。ノルドは、頭を下げない。メルクリオを通さない、別の麦と塩の流れを、自分で作る。庶民が飢えなければ、向こうの値吊り上げは、空振りになる」


「代替の供給、ね」ヴィオラが頷く。「言うは易し、よ。あの男が上流を握ってるのに、どこから持ってくるの」


「メルクリオが押さえたのは、太い本流だけだ」俺は盤面の、細い支流をいくつも示した。「大商会は、大きな取引しか相手にしない。小さな領、小さな商人、端数みたいな量。そういう細い流れには、手が回ってない。その細い管を、何十本も束ねれば、一本の太い管になる」


「面白いわね」ヴィオラが、算盤の手を止めた。「で、ふたつめは」


「待つこと」俺は言った。「こっちが飢えずに、ただ、待つ。向こうの蔵で、麦が傷んでいくのを。蔵代と利息が、毎日、向こうの肉を削っていくのを。売り先がないまま、山が腐り始めれば――」


「あの男は、自分から、安値で投げ売るしかなくなる」ヴィオラが、ゆっくりと、笑った。「買い占めた値より、安く。損を、確定させて。……ぞっとするわね。あなた、刃物を一本も抜かずに、相手の喉を掻き切る気でしょう」


「掻き切りません」俺は地図を畳んだ。「向こうが、自分で抱えた荷物の重さで、勝手に沈むだけです。俺は、出口を、そっと閉めるだけだ」


ヴィオラが、しばらく俺の顔を見ていた。値踏みではなく、何か、確かめるような目だった。


「あなたみたいな読み方をする男を、もう一人、知ってるわ」ぽつりと、女が言った。「会ったことはない。噂でね。大陸の相場を、神様みたいに先回りする、顔の見えない助言者がいるって。メルクリオの裏に、いるって話よ」


その言葉に、灯りの輪の外の闇が、急に近く感じられた。読みすぎる誰か。俺と同じ目で、物の流れを見て、それを人を潰すために使う、もう一人。


「……気にしないで」ヴィオラが、表情を戻した。「今は、目の前の山を腐らせるのが先。で? 細い管を束ねる、最初の一本は、どこから引くの」


「ガロです」俺は即答した。「あの男は、大商会が相手にしない、小さな取引の網の目を、誰より知ってる。メルクリオに踏み潰された顔も、たくさん知ってるはずだ」


「敵の敵、ね」ヴィオラが算盤を懐にしまった。「いいわ。私の伝手も、貸す。あの会頭に煮え湯を飲まされた小商人なら、心当たりがいくらでもある」


逆転の鍵は、代替供給。メルクリオが取りこぼした細い流れを、何十本も束ねて、一本の太い管にする。その面倒で泥臭い仕事に、明日から、領をあげて取りかかることになった。


蔵の麦が傷み始めるまで、ふた月。時間との競争が、始まっていた。

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