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第26話 数字は、嘘をつかない

本作は全70話で完結予定です。

毎日5話ずつ、06:40/11:40/17:40/19:40/21:40 に予約投稿しています。

続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

その日の領主会議の広間は、はじめから、レンを潰す空気で満ちていた。


長卓を囲むのは、領の主立った役人と、商人ギルドの代表たち。病に臥せった領主の代わりに、彼らが領政を握ってきた。新参の代官代が、改革案などという小賢しいものを持ち出してきた。そう言いたげな、冷ややかな視線が、レンに注がれる。


香を焚いた広間は、息が詰まるほど甘ったるかった。


「では、改革案とやらを、聞かせてもらおうか」役人頭が、形ばかり促した。否決する算段は、すでについている。そういう顔だった。


レンは、立ち上がらなかった。声も、荒げない。ただ、一枚の大きな羊皮紙を、長卓の中央に、静かに広げた。


「これは、この十年の、領の税の流れです」レンは羊皮紙の端を、指で押さえた。


羊皮紙には、税が「どこから入って、どこへ消えたか」が、線で描かれていた。民から集めた税。その大半が、本来あるべき領の蔵には届かず、途中でいくつもの商館を経て、霧のように消えている。


「集めた税の、四割が、蔵に入る前に消えています」レンは線の途切れた箇所を、指でなぞった。「鼠でも、これほどは食わない。どこかで、人の手が、抜いている」


広間が、しんとした。


役人頭の顔が、わずかに強張る。「……何かの、間違いだろう。帳簿の付け方が」


「では、確かめましょう」レンは、二枚目の羊皮紙を広げた。「これは、皆さんがそれぞれ納めた税と、免除された額の一覧です。誰が、いつ、いくら免れたか。帳簿に残った数字を、突き合わせただけだ」


ざわめきが、広がった。卓を囲む商人たちが、互いに顔を見合わせる。


レンは、誰一人、名指しで責めなかった。ただ、数字を並べる。誰がいくら税を免れ、その免除と引き換えに、役所へいくらの金が流れたか。線が、一本ずつ、繋がっていく。免税の見返りに渡された金。それを受け取った役人。受け取った金で、また甘い汁を吸った商人。すべてが、帳簿という鏡に映っていた。


この一覧を作るのに、三日三晩、レンは帳簿に齧りついた。盤面で金の流れを追い、紙の数字と突き合わせ、洗い直す。彼らが流れを辿りにくくするために、わざと金を何度も持ち主に変えていた、その遠回りの一つひとつまで、解きほぐした。隠したつもりの道筋ほど、辿られたときに、言い逃れができない。隠す手間が、そのまま証拠の重みになる。


商人たちの額に、汗が滲み始めていた。誰の名が、次にこの図の上に乗るのか。それを、互いに探り合う目だった。


「私は、誰が悪いとは言いません」レンは静かに言った。「ただ、数字を見せているだけです。数字は、嘘をつかない。皆さんの帳簿が、皆さんのしてきたことを、語っているだけだ」


役人頭が、立ち上がった。「言いがかりだ! こんな……こんな出鱈目な図で、儂らを陥れる気か!」


「出鱈目かどうかは」レンは、彼の納めた税の額を指した。「ご自分の帳簿と、見比べてください。あなたの蔵には、あなたの俸給では、決して買えないものが並んでいる。その差額は、どこから来たんです?」


役人頭の口が、開いて、塞がった。


弁解しようとするほど、別の数字とぶつかる。免れた税。受け取った金。蔵の中身。それらが、互いに辻褄を失っていく。砦の代官が、自分の嘘で崩れていったときと、同じだった。ただ、今は、桁が違う。そして、見ている目の数が、違う。


列席した者たちが、ひとり、またひとりと、役人頭から目を逸らし始めた。明日は我が身、という顔で。


「この改革案は」レンは、最初の羊皮紙に戻った。「歪んだ税を、まっすぐに戻すだけのものです。免税の特権を、すべて取り消す。貧しい者の負担を軽くし、富んだ者から、応分に取る。これに反対する方は、どうぞ。ただし、反対する理由を、この数字の前で、述べていただく」


誰も、反対しなかった。


できなかった、と言うべきだろう。反対すれば、自分が何を失うのかを、認めることになる。数字の前で、嘘はつけない。


改革案は、反対の声ひとつ上がらないまま、その日のうちに、可決された。


会議のあと、リーゼがレンの隣に立った。「お前は、一人も、声を荒げて責めなかったな」


「責める必要が、ないんです」レンは羊皮紙を巻き取った。「俺が一人を罵っても、恨まれるだけで、何も変わらない。下手をすれば『新参が、私怨で領政を引っかき回している』と言い返される。でも、数字は違う。数字には、感情がない。誰も、数字を恨めない。恨めるとしたら、それを残した自分自身だけだ」


「だから、お前は、ただ並べたのか」


「ええ。並べて、見えるようにする。あとは、見た人が、勝手に答えを出す」レンは言った。「砦の代官のときも、そうでした。俺は『横領だ』とは言わなかった。あの人が、自分で言った。今日も同じです。俺は、何も告発していない。彼らの帳簿が、彼らを告発したんです」


リーゼが、ふっと息を漏らした。感心とも、呆れともつかない、けれど確かに温かい色が、その横顔にあった。


「恐ろしい男だ。だが――頼もしい」


膿は、出始めた。だが、レンは知っていた。今日崩れたのは、領の腐敗の、役人側の半分だけだ。もう半分、商人ギルドのザッハは、まだ、何の傷も負っていない。


その夜、ザッハの商館では、灯りが遅くまで消えなかった。

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