第25話 歪んだ天秤
本作は全70話で完結予定です。
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役所の帳簿は、ようやく、レンの前に積まれた。
埃をかぶった羊皮紙の束が、卓いっぱいに広がる。古い紙と、黴の匂いが鼻をつく。役人頭は「ご随意に」と慇懃に言い置いて、勝ち誇ったように去っていった。素人には、どうせ読みこなせまい――その顔に、そう書いてあった。
だが、レンは数字を読むことにかけては、この世界の誰にも負けない。
三日三晩、レンは帳簿に没頭した。盤面で領の金の「流れ」を追いながら、紙の上の数字と、現実の蔵の中身を、一つずつ突き合わせていく。長く視続けて、こめかみが割れるように痛んだ。それでも、目を離さなかった。
そして、領を蝕む「歪み」の正体を、二つ、突き止めた。
「税の取り方が、めちゃくちゃだ」レンはリーゼに、書き出した図を見せた。「貧しい民から、重く取って、富んだ商人からは、ほとんど取ってない。逆です。完全に、逆だ」
レンは、具体的な数字を指で示した。路地裏の、日に一度しか火を焚けない貧しい家。そこから取り立てられる税が、街でいちばん豪奢な商館の主が納める税と、ほとんど変わらない。いや、家族の頭数で割れば、貧しい家のほうが、重い。
「これじゃ、逃げますよ。誰だって」レンは溜息をついた。「働いても働いても、税で持っていかれる。残るのは、明日の粥にも足りない。なら、領を捨てて、よその土地へ行く。実際、ヴェルクの人口は、この十年で、四割も減ってる。逃げた民の分の税は、残った民に上乗せされて、また誰かが逃げる」
「なぜ、そんなことに」
「ギルドと役人が、結託してるからです」レンは線を引いた。「富裕な商人は、役人に袖の下を渡して、税を免れてる。その分の不足を、文句を言えない貧しい民から、搾り取って埋めてる。重い税に耐えかねて、民は領を捨てて逃げる。人が減れば、残った者に、さらに税が重くのしかかる。悪循環だ」
「もう一つの歪みは?」
「金そのものです」レンは、領内で使われている銅貨を、卓に並べた。同じ額面のはずの銅貨が、大きさも、重さも、まちまちだった。「領が鋳た新しい貨幣ほど、銅が少ない。混ぜ物で、かさ増ししてる。見た目は同じ一枚でも、中身が目減りしてる。それを、額面どおりに使えと言われても、民は損をするばかりだ。誰が、信用するもんですか、こんな金」
「悪鋳、というやつか」リーゼが眉をひそめた。「鋳る役人が、削った銅を、懐に入れているわけだな」
「そういうことです」
「金が信用を失うと、何が起きるか」レンは続けた。「民は、目減りする領の銅貨を嫌って、物々交換に逃げる。あるいは、よその土地の、まともな金を欲しがる。領の金が、領の中で、信用されなくなる。そうなると、税も、その目減りした金で納められて、領の蔵は、ますます痩せる。金の信用ってのは、領の屋台骨です。それが、虫食いだらけになってる」
「直せるのか、その二つを」リーゼが問うた。
「直せます。やることは、単純だ」レンは、二つの歪みを正す改革案を、卓に広げた。
税は、公平に。取れる者から、取れるだけ。貧しい者の負担を軽くし、富裕な商人にも、応分の税を課す。免税の特権は、すべて取り消す。そして、貨幣は、混ぜ物をやめ、決まった重さ、決まった銅で鋳直す。信用のある、まともな金に戻す。
「税を軽くしたら、領の実入りが、減るのではないか」リーゼが、もっともな疑問を口にした。
「短くみれば、そうです。でも、長くみれば、逆になる」レンは答えた。「税が公平になれば、逃げた民が戻り、新しい民も来る。人が増えれば、商いも増える。商いが増えれば、そこから取れる税も増える。今は、少ない民から搾り取って、その民を逃がしてる。逃がさず、増やして、薄く広く取る。そのほうが、結局、領は潤うんです」
理屈は、単純だった。歪んだ天秤を、まっすぐに戻すだけ。だが――。
「これを通せば、ギルドと役人は、間違いなく敵に回ります」レンは案を見つめた。「今まで甘い汁を吸ってきた連中の、汁の出どころを、断つわけですから」
「すでに、敵だろう」リーゼが言う。
「もっと、本気の敵に、です」レンは静かに言った。「鉄や織物は、奴らの取り分の、ほんの一部だった。でも、税と通貨は、奴らの仕組みの、根っこそのものだ。ここに手を入れれば、命がけで潰しにくる」
その夜、レンは宿の灯りの下で、改革案を読み返していた。
この案を、明日の領主会議にかける。役人とギルドの息のかかった者が、ずらりと並ぶ場で。まともに諮れば、握り潰されるに決まっている。だが、握り潰させない手は、もう、頭の中にあった。彼らが甘い汁を吸ってきた証拠は、すべて、帳簿の数字が知っている。
不正というのは、必ず、どこかで辻褄が合わなくなる。本人が、どれだけ取り繕おうとしても。砦の代官が、自分の嘘で崩れていったように。
レンは、改革案の最後に、もう一枚、紙を静かに添えた。
そこに書かれていたのは、誰が、いつ、いくらの税を免れ、いくらの袖の下を受け取ったか――役人とギルドの、不正の一覧だった。三日三晩、帳簿の数字を突き合わせて、洗い出した証拠。歪んだ天秤を戻す時、傾いた側に重く乗っていた者たちが、その自分の重みで、勝手に転げ落ちる番が来る。
窓の外で、夜が、ゆっくりと明けようとしていた。長い一夜が終わり、領の膿を出す朝が、来る。




