第21話 領都ヴェルク
本作は全70話で完結予定です。
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領都ヴェルクは、想像していたより、ずっと豊かに見えた。
砦タレスとは比べものにならない。石畳の大通り、瓦葺きの商館、市の喧騒。荷を積んだ馬車が行き交い、香辛料と、焼きたてのパンの匂いが、風に混じる。少なくとも、表通りは。
だが、レンが盤面で街の「流れ」を読み始めた途端、その豊かさが、薄い化粧でしかないと知れた。
「ひどいな、これは」レンは思わず呟いた。
表通りの裏、一本路地を入れば、痩せた子供が物乞いをしている。職人の工房は半分が閉じ、空き家が並ぶ。物と金は、確かに街に流れ込んでいた。だが、その流れの大半が、ほんの一握りの商館と、役所の蔵へ吸い込まれ、そこで止まっている。末端の民には、滴ほども回っていない。
レンは、市場に並ぶ品の値を、ひとつずつ盤面で確かめていった。麦も、塩も、布も、どれも砦で見たより、ずっと高い。仕入れ値に対して、売り値が不自然に吊り上がっている。誰かが、流通の途中で値を釣り上げ、その差額を抜いている。一軒や二軒の商人の仕業ではない。街じゅうの品が、申し合わせたように高い。
「値を、揃えて吊り上げてる」レンは眉をひそめた。「これは、競争じゃない。談合だ。誰かが、街の商いを束ねて、値を操ってる」
「砦と、根は同じです」レンは隣のリーゼに言った。「物が足りないんじゃない。偏ってる。しかも、砦の比じゃない規模で。砦の代官は、倉庫から樽を抜いてた。ここでは、街そのものから、富を抜いてる」
「誰が、そんな真似を」リーゼが街を見渡す。
「それを、これから突き止めます」
着任の挨拶に出向いた領主館で、レンを待っていたのは、あからさまな冷遇だった。
「流れ者あがりの、代官代殿か」役人頭が、書類から目も上げずに言った。脂で固めた髪が、灯りを鈍く照り返す。「領主様は、ご病気で臥せっておられる。領のことは、我々が回しておる。素人が、口を出されては困りますな」
「ご親切に、どうも」レンは頭を下げた。素人と侮られるのは、慣れている。砦でも、最初はそうだった。「ですが、せっかく任されたからには、仕事をしないわけにはいきません。まず、領の帳簿を、見せていただけますか」
役人頭の手が、ぴくりと止まった。「帳簿、ですと」
「ええ。税が、どこから入って、どこへ出ているか。蔵に、何が、どれだけあるか。それを知らずには、何も始められません」レンは静かに続けた。「砦でも、まず数えることから始めました。領も、同じです。数えれば、何が足りないか、何が余ってるかが、わかる」
「……帳簿は、複雑でしてな。素人には、とても読みこなせるものでは」役人頭は、のらりくらりと言葉を濁した。額に、うっすらと汗が浮いている。「お疲れでしょう。長旅のあとだ。今日のところは、宿でゆっくりお休みを。帳簿の件は、追って、整理してからお見せしますゆえ」
整理してから。つまり、都合の悪い数字を消してから、ということだ。レンは、それ以上は食い下がらなかった。今ここで押しても、相手は身構えるだけだ。
体よく追い払われた格好だった。
宿への帰り道、リーゼが低く言った。「あの男、何かを隠しているな」
「隠してますね。それも、たっぷりと」レンは盤面に映る役所の蔵を思い返した。帳簿を見るまでもなく、税の流れが、途中で不自然に細っている。どこかで、ごっそり抜かれている。砦の代官の横領が、可愛く思える規模で。
「数字を見せたがらない者は、たいてい、数字に後ろ暗いところがある」レンは言った。「逆に言えば、帳簿さえ開けば、何が腐ってるか、一目でわかる。問題は、どうやって開けさせるか、だ」
その夜、宿の窓から、レンはヴェルクの灯りを見下ろしていた。
煮炊きの煙が、あちこちの屋根から立ちのぼる。豊かに見えて、その実、痩せ細った街。砦一つを立て直すのとは、桁が違う。扱う人の数も、金の額も、敵の大きさも。
ふと、こめかみの奥が、鈍く疼いた。街全体の流れを長く視続けたせいだ。砦の倉庫を読むのとは、情報の量が桁違いに多い。盤面に映る街は、無数の細い線が絡み合い、見ているだけで頭が重くなる。レンは目を閉じ、こめかみを揉んだ。この力は、広く視るほど、自分を削る。
「無理は、するなよ」リーゼが、水の入った杯を差し出した。「お前が倒れれば、誰も数えられん」
「ありがとうございます」杯を受け取り、レンは苦笑した。「砦より、ずっと骨が折れます。でも、やることは変わらない。流れを読み、詰まりを見つけ、回し直す。それだけだ。ただ――その詰まりが、街を丸ごと握ってるとなると、外し方も、それなりに考えないと」
翌朝、宿を出ようとしたレンを、一人の使いが呼び止めた。上等な仕立ての服を着た、商人風の男だった。
「代官代殿。商人ギルドのザッハ様が、ぜひ一度、お話をと」男は慇懃に頭を下げた。「歓迎の宴を、ご用意しております。なに、堅苦しい話ではございません。領を回すには、我々商人の力が、何かと入り用でしょうから」
笑みの形をした、あからさまな牽制だった。
レンは、ヴェルクの本当の主が、誰なのかを悟った。病に臥せた領主でも、保身に走る役人でもない。この街の物と金の流れを握る、商人ギルド。その招きの裏に、どんな爪が隠れているか。確かめないわけには、いかなかった。




