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第16話 補給を、軽んじた者

本作は全70話で完結予定です。

毎日5話ずつ、06:40/11:40/17:40/19:40/21:40 に予約投稿しています。

続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

谷の関を見下ろす丘で、リーゼは長いこと黙っていた。


眼下では、傭兵崩れの一団が、街道の要所に柵を組み、通りかかる荷から銭をむしり取っている。数えるほどの人数ではない。三十、いや、もっといるかもしれない。鎧こそ揃いではないが、立ち回りには戦場帰りの慣れがあった。見張りの立て方、柵の組み方、退路の取り方。どれも、戦を知る者の手際だ。盗賊の谷とは、わけが違う。


冷たい風が、丘の上を吹き抜けた。雪を含んだ風が、頬を刺す。レンは外套の襟を寄せ、関の様子を盤面に映していった。物資の流れ、人の配置、奪った荷の山。数字が、敵の輪郭を、少しずつ描き出していく。


「正面から、討つ」リーゼが、低く言った。「砦の守りを割いて、夜明けに突っ込む。一気に蹴散らす」


「待ってください」レンは止めた。「正面からぶつかれば、勝てても、こっちに死人が出る。あいつらは、戦を知ってる。柵を組んで、関を固めて、待ち構えてる。攻める側が、損をする形です」


「では、見過ごせと言うのか」リーゼの声が尖った。馬上で、手綱を握る指が白い。「あの関を空けねば、塩も鉄も入らん。砦が、飢える」


「見過ごせとは言いません」レンは盤面を呼び起こした。関の周りの、物の流れ。傭兵たちが抱える兵糧、水、飼葉。むしり取った銭と、奪った荷。「叩く前に、ひとつ確かめたい。あいつらは、奪うことで食ってる。自分の畑も、後ろ盾の領主もいない。略奪が、唯一の補給線だ。だったら、その補給線を、断てばいい」


「兵糧攻めか」リーゼの眉が動いた。「あの盗賊にやった手と、同じか」


「規模は大きいですが、理屈は同じです」レンは関を見下ろした。「ただ、盗賊より厄介だ。あいつらは戦慣れしてる。柵も、見張りも、まともに組んでる。正面はもちろん、迂回路の囮も、今度は通じにくい。だから、もっと地味に、もっと長く、じわじわ干上がらせるしかない」


「時間が、かかるな」


「かかります。その間、砦の補給も止まる。我慢比べになります」レンは認めた。「でも、向こうは奪うものがなければ、何も食えない。こっちは、薄くても蓄えがある。どっちが先に音を上げるか。勝負は、そこです」


そのときだった。リーゼの横顔が、ふいに強張った。


「補給を、断つ」彼女は、自分の言葉を確かめるように繰り返した。「兵糧で、敵を……」その先が、続かない。手綱を握る手が、小刻みに震えていた。


「リーゼさん?」


「……何でもない」


何でもない、という顔ではなかった。レンは、踏み込むべきか迷い、結局、静かに問うた。「補給の話になると、いつも、様子が変わりますね」


長い沈黙のあと、リーゼは、低く語り始めた。馬の鼻息と、遠くの風の音だけが、間を埋める。


「私の父は、騎士だった」乾いた声だった。「ある戦で、後方の補給を任された。だが、上の貴族が、戦功を焦って前線ばかりに兵糧を回し、後詰めの父の隊には、何も届かなかった。父は、飢えた兵を抱えたまま、退くこともできず――敵に囲まれて、死んだ。兵もろとも。誰も、助けに来なかった」


レンは、言葉を失った。


「補給を軽んじた指揮が、父を殺した」リーゼは前を見据えたまま続けた。「私は、剣を磨いた。強くなれば、もう誰も飢えて死なないと思った。だが、剣では、補給は守れなかった。お前を見て、それを思い知った」


レンは、すぐには言葉を返さなかった。前世でも、現場を回す者ほど軽んじられた。物を運ぶ者、数を数える者、補給を支える者。華やかな部署の陰で、誰にも見られず、それでも世界を回していた裏方たち。リーゼの父の話は、他人事に聞こえなかった。


「リーゼさんの父上は」レンは、ゆっくりと言った。「軽んじられた側だ。恥じることは、何もない。恥じるべきは、兵站を見下して、人を飢え死にさせた連中のほうです。補給を支える者は、決して、格下なんかじゃない。それがなければ、どんな精強な軍も、ただの飢えた群れになる」


リーゼが、こちらを見た。その目が、わずかに揺れている。


「……お前は、変なことを言う」


「よく言われます」レンは関へ目を戻した。「だから、今度の戦は、絶対に飢えで人を死なせない。あいつらを飢えさせて、こっちは一人も死なせない。それが、いちばんいい勝ち方だ。父上が、守れなかったものを、今度は守ります」


手綱を握る手から、ゆっくりと震えが引いていく。リーゼはしばらくレンを見つめ、それから、静かに頷いた。父の死を、初めて誰かに語った顔だった。長年、誰にも言えずに抱えてきた重しを、ほんの少しだけ、下ろしたように見えた。


「砦へ戻りましょう」レンは馬首を返した。「ここからは、剣じゃなく、算盤の出番です。あいつらが一日に何を食って、蓄えがあと何日もつか。それを読み切れば、勝ち筋が見える」


「お前の算盤に、賭けよう」リーゼも馬を寄せた。さっきまでの硬さは、もうなかった。「だが、勘違いするな。いざとなれば、剣を抜くのは私だ。お前は、後ろで数えていろ」


「それが、いちばん助かります」レンは小さく笑った。「俺は、後ろで数えてるのが、性に合ってます」


二人は、馬を並べて丘を下りた。雪を踏む蹄の音が、二つ、寄り添うように響く。


関の傭兵たちは、まだ知らない。自分たちの「奪う」という補給線が、これから静かに、断たれていくことを。

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