第15話 冬の、引き算
本作は全70話で完結予定です。
毎日5話ずつ、06:40/11:40/17:40/19:40/21:40 に予約投稿しています。
続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
初雪が、砦の屋根を白く染めた。
冬は、思ったより早く来た。北からの風が日ごとに鋭くなり、街道はぬかるみ、やがて凍る。吐く息が白く、指先の感覚が、すぐに失せる。ガロの荷馬車も、雪が深くなれば入れなくなる。あと何度、荷を運べるか。
レンは倉庫にこもり、盤面と暦を睨んで、冬を越すための数字を、何度も組み直していた。今ある蓄え。一日に減る量。雪が解けて街道が開く、春までの日数。三つの数字を、にらめっこさせる。どう並べても、答えは厳しかった。それでも、諦める前に、できることはまだある。倉庫の隅で、レンは羊皮紙にいくつもの線を引いた。
「今ある蓄えで、村じゅうが、何日生きられるか」
倉庫の床に座り込み、レンは備蓄の山を見渡した。麦、豆、塩漬け肉、干し野菜。盤面が、品ごとの量と、傷むまでの日数を、薄く灯す。
「このままだと、厳冬の半ばで、底をつく」レンは呟いた。「足りない。でも、食い延ばす方法は、ある」
「どうやって」ベルクが問う。「物を増やせなきゃ、減るのを待つだけだろう」
「増やせなくても、減らし方は選べます」レンは備蓄を指で分けた。「まず、傷む順に食べる。先に悪くなる干し野菜から出して、日持ちする塩漬けは最後に残す。順番を間違えると、後ろの物が腐って、食べられたはずの分が、まるごと無駄になる」
「だが、皆、塩漬け肉を先に食いたがるぞ。うまいからな」ベルクが現実的な懸念を口にする。
「だから、そこは管理しないと」レンは言った。「うまい物から食えば、気分はいい。でも、その間に、干し野菜が腐っていく。冬の半ばで『あのとき野菜を食っておけば』と悔やんでも、遅い。今、我慢して順番を守れば、春まで届く。腹より、暦で食べるんです」
倉庫の配給で使ったのと、同じ理屈だった。貯め込むのではなく、鮮度の順に回す。物には食べるべき順番があり、それを守るだけで、同じ蓄えが長く保つ。
「それと、配る量を、人ごとに変える」レンは続けた。「力仕事をする者には厚く、一日寝て過ごす年寄りや、まだ小さい子には、少し薄く。むやみに薄くするんじゃない。その人が一日に要る分を見て、過不足なく配る。一律に同じ量を配るより、要る者に要るだけ回したほうが、全体は、ずっと長く保ちます」
「ぎりぎりの采配だな」ベルクが唸った。「一つ間違えりゃ、誰かが飢える」
「ぎりぎりです。でも、これで厳冬を越えて、春まで届く」レンは数字を示した。寝かせていた備蓄を「流れ」に変えるだけで、越冬できる日数が、十日以上も伸びていた。
「春まで、届くんだな」ベルクが、念を押すように言った。
「届かせます」レンは数字を指でなぞった。「ただし、補給の道が、生きていれば。ガロさんの荷が、あと数回でも入れば、もっと楽になる。雪が深くなる前に、できるだけ運び込んでおきたい」
砦に、わずかな安堵が戻った。雪の中でも、誰も飢えずに済むかもしれない。ミナの集落でも、薄いながら温かい汁が、毎日鍋にかかるようになった。竈の煙が、白い空へまっすぐ立ちのぼる。穏やかな、冬の景色だった。
その矢先だった。
雪を蹴立てて、伝令の兵が倉庫へ駆け込んできた。頬を真っ赤にして、息を切らしている。
「報告! 東の街道が、封鎖されました! 傭兵崩れの一団です。バルガスと名乗る男が、谷の関を押さえて、通る荷から法外な通行料を取り立てています。次の隊商も、足止めされていると!」
倉庫の空気が、ぴんと張りつめた。
東の街道は、砦の生命線だ。塩も、鉄も、ガロの荷も、すべてそこを通る。冬の間、わずかに残された補給の道。それが、断たれた。
レンは立ち上がった。さっき組んだばかりの、ぎりぎりの越冬の采配。あれは、わずかでも補給が続くことを見込んだ数字だった。その前提が、根こそぎ崩れる。補給が完全に途絶えれば、いくら鮮度の順に食い延ばしても、春には届かない。
「来たか」レンは低く呟いた。ガロの警告が、思ったより早く、現実になった。冬の入り口で、砦の首根っこを押さえる。兵糧攻めの、初歩の初歩だ。バルガスとやらは、戦のやり方を、確かに知っている。
「リーゼさん」レンは騎士団長を呼んだ。
リーゼは、すでに剣を取っていた。だが、その顔は、いつもの戦の前の硬さとは、どこか違っていた。「封鎖」「補給」「足止め」。その言葉の連なりが、彼女の中の、古い何かに触れたように。剣の柄を握る手に、ぎりと力がこもる。唇が、わずかに白い。
「リーゼさん?」レンは声をかけた。「どうか、しましたか」
「……何でもない」リーゼは低く言った。声が、かすかに揺れている。「補給を断たれた砦が、どうなるか。それを、私は……知っているだけだ」
「知っている?」
リーゼは答えなかった。ただ、遠くを見るような目で、束の間、窓の外の雪を見つめた。その沈黙の奥に、レンには測れない、深い傷の気配があった。やがて彼女は、自分に言い聞かせるように、低く続けた。
「街道を、空けさせる。砦を、飢えさせはしない。二度と――」
その先は、言葉にならなかった。リーゼは身を翻し、兵を集めに出ていく。
二度と。彼女は、確かにそう言いかけた。一度あったことを、繰り返さないと。
その横顔に、レンは初めて、この武人の抱える影を見た気がした。補給という言葉に、なぜこれほど揺れるのか。今は、問う時ではない。だが、いつか、この人の傷の正体を、知る日が来る予感がした。




