真っ直ぐな柾目と、揺れない車
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今回は、五百年の檜との対話の総決算である「縦割り」。そして、いよいよ藤太が家族の前で「革新的なアイデア」を披露します。
鳥の甲高い鳴き声とともに目を覚ますと、昨日の過酷な大鋸の労働による筋肉痛が、心地よい痺れとして両腕に残っていた。
昨晩、深夜に研ぎ上げた大鋸と小刀は、工房の隅で冷たい青光りを放っている。そして俺の懐には、夜中に書き殴った「板バネ」の図面が潜んでいた。
だが、俺はその図面を胸の奥にそっとしまい込み、今はただ、目の前の大仕事に全神経を集中させることを選んだ。
朝の澄み切った冷気と、まだ疲労を知らない冴え渡った脳。この最も純度の高い時間帯を、先の期待や余計な思考で濁らせるべきではない。
工房へ向かうと、そこにはすでに襷を十字にきつく締め、昨日俺たちが玉切りした巨大な丸太の前に立つ親方の姿があった。
「……よく寝られたようだな、藤太。目は澄んでる」
親方は、俺が昨日手入れをした大鋸の刃先を太い指で軽く弾き、その澄んだ音を確かめてから不敵に笑った。
「よし、始めようか。昨日のお前の目論見通り、この丸太を正確に『十字の四つ』に割る。一分の狂いも、一筋の迷いも許されねぇぞ。……準備はいいか?」
「はい」
俺は静かに墨壺を手に取り、丸太の断面に真っ直ぐな十字の墨を打った。
五百年の檜の「縦割り(縦挽き)」。
昨日の「玉切り」が木の繊維を断ち切る作業だとするなら、今日の縦割りは、木の繊維に沿って刃を進める作業だ。これは、玉切りとは比較にならないほど難しい。刃が少しでも左右にブレれば、大鋸は硬い木目につられてズルズルと曲がっていき、切り口が大きく歪んでしまうからだ。
丸太を立てかけ、親方と向かい合って柄を握る。
「エイ……」「ホウ……」
昨日手入れをして極限まで薄く椿油を引いた大鋸は、刃の滑りが別格だった。
そして何より、俺たちの手元に微塵の狂いもなかった。昨日の大作業で完全に同調した父との呼吸、そして朝一番の研ぎ澄まされた集中力。それらが完璧に噛み合い、大鋸は俺が打った黒い墨線から髪の毛一本分たりとも逸れることなく、巨大な丸太のど真ん中を静かに、そして力強く割き進んでいく。
ズズッ……ズズズッ……。
木が裂ける重い音が、工房に規則正しく響き続ける。
数時間後。
高く昇った太陽が工房の土間を強く照らし出す頃、最後の一引きが終わり、ドスンと重厚な音を立てて丸太が真っ二つに分かれた。さらにそれをもう一度縦に割り、ついに四本の柱が姿を現した。
切り口を見た親方は、大粒の汗を拭うのも忘れて息を呑んだ。
「……見事だ」
断面には、狂いのない真っ直ぐな「柾目」が美しく通っていた。五百年の時を刻んだ年輪が、まるで精緻な絹の織物のように、四本の柱の表面に均等に浮かび上がっている。
一本の丸太を十字に割ったことで、木が反ろうとする力は、俺の計算通り四本で完全に均等に分散されていた。
「お前が引いた墨線の通りだ、藤太。これ以上ない極上の『四方柾』の柱が四本、寸分の狂いもなく切り出された。……これで、藤原様の車は間違いなく都一の骨組みになる」
親方は、俺をただの弟子としてではなく、誇り高き「作り手」として称えるように、太い手で俺の肩をガシリと力強く叩いた。
日はすでに高く、昼餉を知らせる寺の鐘が遠くで鳴っている。
朝からの極度の集中と緊張から解放された途端、俺の腹の虫が「ぐぅぅ」と派手に鳴った。親方はそれを聞いて「ははっ!」と豪快に笑い、「よし、最高の仕事の後は飯だ。母さんのところへ行くぞ」と歩き出した。
◆
母屋の縁側から差し込む柔らかな陽光を浴びながら、家族揃っての昼餉が始まった。
膳には、湯気を立てる麦飯と、山菜の塩漬け、そして香ばしく焼けた川魚が並んでいる。
午前中の激しい労働で使い切った体に、麦飯の熱さと魚の脂が染み渡る。俺は一息つくと、箸を置き、傍らで甲斐甲斐しく立ち働く母さんに真っ直ぐな視線を向けた。
「母さん。昨日母さんが言ってくれた『女の人を酔わせない車』という言葉、あれがずっと頭から離れなかったんだ。おかげで、これまでの牛車にはなかった、新しい仕組みを思いついた。……ありがとう」
母さんは、注いでいた茶の手を止め、驚いたように目を瞬かせた。
「あら……。あたしの取り留めもない話が、お前の仕事の役に立ったのかい?」
少し照れくさそうに、でも誇らしげに目を細める母さんの姿に、張り詰めていた空気がふっと和む。
親方が、飯を口に運ぶ手を止めて俺を凝視した。惣太郎兄さんもまた、興味深げに身を乗り出してくる。
俺は懐から昨晩の図面を取り出し、土間に落ちていた細い枝を使って、地面に簡素な図を描き始めた。
「車軸と上屋の箱を、直接木組みで繋ぐのはやめる。その代わりに、このしなやかな板を間に噛ませるんだ。板の両端を土台に固定し、その中心で車軸を支える……。そうすれば、道に落ちている石を車輪が踏んで突き上げが来ても、この板が弓のように『しなう』ことで、衝撃をすべて吸い取ってくれる。乗っているお貴族様には、揺れがほとんど伝わらないはずだ」
静寂が訪れた。
親方は、俺が地面に描いた図を食い入るように見つめている。凄腕の職人の頭の中で、木材の強度、反り、そして「しなり」の限界値の計算が高速で行われているのが分かった。
やがて親方は、太い指で顎の無精髭を撫でながら、低く重みのある声で言った。
「……板を『バネ』のように使うというのか。考えもしなかった。だが藤太、板が薄すぎれば車体の重みに耐えかねて折れるし、厚すぎればしなりが生まねぇ。それに、木の繊維が常にしなり続ければ、いずれはへたっちまう。……お前、この『板』にどの部位の材を使うつもりだ?」
親方の問いは、的確で厳しいものだった。
だが、その目は「そんなものは不可能だ」と切り捨ててはいない。むしろ、この革新的な案をどうすれば実現できるか、俺と共に考えようとする熱を帯びていた。
一方、商才溢れる兄さんは興奮を隠せない様子で膝をバンッと叩いた。
「藤太、それは凄いぞ! もし本当に揺れない車が作れたら、藤原様だけじゃない、入内を控えたお姫様方からも注文が殺到するに決まってる。『酔わない、疲れない、世界で唯一の車』……これは単なる贅沢品を超えた、都の誰もが切望する名品になるぞ!」
兄さんの頭の中では、すでにこの技術が都の貴族社会にどのような旋風を巻き起こすか、その莫大な商機が鮮やかに描かれているようだった。
「藤太。お前ならきっと、誰かを幸せにする優しい車を作れるよ」
母さんは、難しい話は分からないといった風に微笑みながら、俺の椀に温かい汁を足してくれた。
親方から突きつけられた、板の厚み、へたり、そして材の選定という強烈な技術的課題。
午後から、俺と親方の「揺れない車」を作るための未知の挑戦が始まる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
繊維に沿って切る「縦割り」は、刃が木目に流されやすいため、非常に高度な技術が要求されます。そこで見事な「柾目」を引き出した二人の技術力。そして、いよいよ「板バネ」の構想が親方に共有されました!
親方から指摘された「木のへたり」と「強度の両立」。
次回、藤太と親方が、この無理難題を「ある素材」を組み合わせることで見事に解決します!




