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職人馬鹿と最強の家族 ~左大臣の無茶振りから始まった都一の車大工~  作者: 紡木 結


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女を酔わせぬ車

いつもお読みいただきありがとうございます!

今回は、藤太の家族が大集合。商才溢れる兄と、不器用な職人の父。そして、この最強の家族の「裏の元締め」とも言える母の言葉が、牛車の歴史を大きく動かします。

夜のとばりが下り、囲炉裏いろりの火が赤々と燃える母屋。

夕餉ゆうげの膳には、こんがりと焼けた塩気の効いた干物と、大根の葉を細かく刻み込んだ菜飯、そして出汁の香りが鼻をくすぐる熱い汁物が並んでいた。


「いただきます」


一日中大鋸おがを引き続けて空っぽになっていた俺の胃の腑は、塩気と旨味を貪欲に吸収していく。干物の身をほぐして菜飯と一緒にかき込むと、疲労で軋んでいた広背筋や腕の筋肉に、じんわりと熱と活力が戻っていくのがわかった。


しかし、俺の頭の中はすでに目の前の食事よりも、兄上が持ち帰った「仕事」のことで一杯だった。


「兄上、それで? 藤原様は板の薄さをどれくらいまで許容されると? 絵師は誰を呼ぶのです? 御簾みすの色や、車輪の漆の好みは……」


飯をかき込むのもそこそこに、俺は身を乗り出して矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。一日大仕事を終えた後とは思えない俺の熱量に、向かいに座る惣太郎兄さんは目を丸くし、やがて苦笑しながら片手で俺を制した。


「落ち着け、藤太! 俺にも少し飯を食わせてくれ。……まったく、親父殿の言う通り、お前が本気になった時の執念はすさまじいな」


兄さんは温かい汁を一口すすり、人心地ついたように息をついてから、得意げな顔で語り始めた。


「お前の案、見事に当たったぞ。重い金細工を外して極限まで薄い板を張り、そこに都で名高い絵師に絵を描かせる……その『風雅』の提案をした途端、退屈そうにしていた藤原様の目の色が変わった。あの方は最近、他の貴族たちとの間で『いかに自らの教養と美意識を示すか』でしのぎを削っておいでだからな」


兄さんの言葉に、俺はさらに身を乗り出す。


「では、絵の主題は決まっているのですか? それに合わせて、木肌の整え方や漆の色も変えなければなりません」

「ああ。あの方が望まれたのは『四季の移ろい』だ。左右の壁に春夏秋冬を描き、いつ乗っても季節の風流を感じられるようにしたいと。だからこそ、絵を際立たせるために、木の枠組みは主張しすぎない、しかし格調高いものでなければならない」


それを聞いていた親方が、手元の濁酒どぶろくを干して低く笑った。


「ふん。今日、五百年の檜の『一番いいところ』を枠組みに選んだお前の目利きが、早くも活きるというわけだ。あの木の絹のような木肌なら、どんな名画の額縁にも負けねぇ」

「その通りです、親父殿。しかも藤原様は、『これほど面白い趣向を凝らすのだ、見合いの金は惜しまん』と仰ってくださった。お前が残した大黒柱の件も含めれば、我が工房はしばらく安泰どころか、都でも一目置かれる存在になりますよ」


商売の成功に目を輝かせる兄上と、その言葉から「必要な車の構造と意匠」を頭の中で猛烈な勢いで組み上げていく俺。そんな対照的な二人の息子を、酒杯を手にした親方が、囲炉裏の火越しに満足げに眺めている。


俺の内側では、職人としての創造欲が抑えきれないほどに燃え上がっていた。明日の「縦割り」の作業に向け、どのような寸法の柱を切り出し、どう組み上げるか。頭の中の設計図がめまぐるしく組み上がっていく。


「ねえ、お前たち」


唐突に口を開いたのは、母さんだった。

囲炉裏の灰を直していた火箸を持ったまま、母さんは日焼けした目尻に少し朱を差して「おやまあ」と照れたように笑った。


兄さんは「おお、母上にも意見があるのか! なるほど、女の目線か!」とポンと膝を打ち、親方も面白そうに酒杯を置いて妻の顔を覗き込む。


「あたしのような土にまみれた職人の女房が、お貴族様の牛車のことなんて……」と謙遜しながらも、母さんは少しだけ思案するように視線を上げ、やがて静かに語り始めた。


「そうさねえ……。お偉い男の方々は、外からどう見えるか、どんな立派な絵が描かれているかばかりを気にするでしょう? でも、女からすれば、どんなに外側が立派でも『乗り心地』が悪ければ台無しなんだよ」


母さんは、かつて都の大路で見た貴族の姫君たちの姿を思い出すように目を細めた。


「お貴族様の女の人は、十二単じゅうにひとえなんていう、とんでもなく重くて窮屈な着物を着ているじゃないか。車が揺れてガタガタ跳ねれば、着物は着崩れるし、何より気分が悪くなってしまう。……どんなに綺麗な絵の車でも、降りてきた時に男の顔が青ざめてたり、一緒に乗る女が酔ってしまったりするような車は、ちっとも魅力的じゃないね」


そして、母さんは火箸を灰の端に置き、俺と兄さんを真っ直ぐに見据えた。


「あたしが思う『いい男』ってのはね、自分の見栄ばかりじゃなく、一緒に乗る人が心地よく過ごせるかまで気を配れる人だよ。だから藤太。お前が作る車は、決して女の人を酔わせない、静かで滑らかに滑るような車であっておくれ。……御簾の隙間から覗くお姫様が、安心して外の景色を楽しめるようにね」


その言葉に、母屋の空気がふっと変わった。

「外側を飾る風雅」という兄上の商売の視点に、「内側の乗り心地と静粛性」という母さんの生々しい使い手の視点が加わったのだ。


「……なるほどな」


親方が、唸るように低い声を出した。


「車体を軽くすれば、どうしても揺れやすくなる。だが、藤太の言う『五百年の檜の四つ割り』で強固な骨組みを作り、一切の歪みなく組み上げれば、車体は決して軋まず、揺れを吸収する剛性が生まれる。……母さんの言う『女を酔わせねぇ車』にするには、明日の縦割りと、その後のホゾ(接合部)の刻みに、髪の毛一本の隙間も許されねぇってことだ」


親方の目が、職人としての鋭い光を取り戻し、俺に向けられる。


「藤太。藤原様の『見栄』を満たしつつ、乗る女を『酔わせない』。……お前にとっちゃ、これ以上ない腕の見せ所になったな」


母さんの言葉は、俺が明日切るべき柱の精度に対する、強烈な技術的課題プレッシャーへと変わった。だが同時に、俺の胸の奥で、モノづくりへの執念がさらにもう一段階、熱く燃え上がるのを感じていた。



夜が更け、家族が寝静まった深夜。

囲炉裏の残り火だけが赤く光る母屋で、俺は一人、手元の木片に炭で図面を書き殴っていた。


(髪の毛一本の隙間もない剛性……。確かにそれで車体の軋みは消える。だが、石畳の凹凸を乗り越える時の『下からの突き上げ』はどうだ? 箱が頑丈になればなるほど、中の人間にはダイレクトに衝撃が伝わってしまうぞ)


母さんの「女を酔わせない」という言葉が、頭の中で何度もリフレインする。

外の衝撃を、中の人間に伝えないための仕組み。硬さではなく、柔らかさ。


(木を……しならせる?)


その瞬間、俺の脳裏に雷のような閃きが走った。


車軸と上屋の土台を直接固定するから、衝撃がそのまま伝わるのだ。もし、その間に「しなやかな板」を渡し、板の両端を上屋に、中心を車軸に固定したらどうなる?

車輪が石に乗り上げた瞬間、その板が弓のように「しなる」ことで、衝撃をすべて飲み込んでくれるのではないか?


俺は震える手で、この時代の都にはまだ存在しないであろう革新的な構造――現代で言うところの「板バネ(リーフスプリング)」の原型を、忘れないうちにさらさらと木片に描き込んだ。


(これだ……。これなら、石に乗り上げた衝撃を木が逃がしてくれる!)


図を書き終えると、俺は今日一日、俺と親方の熱を吸い込み、五百年の檜と渡り合った大鋸おがを手に取った。

丁寧に木屑を払い、布に染み込ませた椿油を薄く、均一に刃筋へ引いていく。暗がりの中で、油を纏った分厚い鋼の刃が鈍く光を反射した。


ほんの数分の手入れだが、この研ぎ澄まされた刃が明日の仕事の精度を決め、俺の閃きを現実のものにしてくれるのだ。


「明日の縦割り……絶対に狂わせない」


俺は静かに呟き、冷たい井戸水で顔を洗うと、図面を胸に抱いたまま深い眠りへと落ちていった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


「外見の見栄」を気にする男性陣に対し、「乗り心地」という本質を突いた母の一言。これが、世界初(?)の板バネ式サスペンション誕生の瞬間です!

良いモノづくりには、必ず「使う人の目線」が必要ですね。


さて、革新的なアイデアを胸に秘めた藤太。翌朝、いよいよ五百年の檜を縦に真っ二つに割る「縦割り」の大一番が始まります。

そして、この板バネのアイデアを親方にどうやって納得させるのか……!? 次回もお楽しみに!

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