黄金の夜と、探求者の終わらない夢
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
極限のプレッシャーから解放され、莫大な褒美を手にした源次郎工房。最強の家族が囲炉裏を囲んで語り合う、それぞれの「夢」とは?
大団円の夜の、心温まるエピソードをお楽しみください!
パチッ……パチパチッ。
囲炉裏で燃える太い薪が、心地よい音を立てて爆ぜる。
その赤々と燃え盛る火は、俺たち家族四人の笑顔を、夜の闇を完全に払拭するように、どこまでも明るく、そして力強く照らし出していた。
これまでの数週間、胃がちぎれそうになるほどの極限の緊張感と、一歩間違えれば一族全員の首が鴨川の河原に並んでいたという死の恐怖。
そのすべてから完全に解放された、文字通り「生還の夜」である。
俺たちの目の前、土間のむしろの上には、今日藤原様から直々に下賜された莫大な褒美が、山のように積まれていた。
ずっしりと重い砂金の入った何十もの袋。そして、炎の光を受けて滑らかに輝く、見たこともないほど極上の絹織物の反物の山。
貧しい車大工の長屋には到底不釣り合いなその眩い富を前に、土間はかつてないほどの熱気と、地に足がつかないような浮かれた空気に包まれていた。
家族それぞれの「夢」
「……よし、俺は決めたぞ! 決めたからな!!」
親方である父・源次郎は、すでに手元の大きな椀になみなみと注いだ濁酒を何杯も煽り、顔を茹でダコのように真っ赤にしながら、満面の笑みで高らかに宣言した。
「この褒美の砂金で、都で一番美味いとされる伏見の銘酒を、樽ごと……いや、蔵ごと丸々買い占めてやる! 毎日毎日、湯浴みでもするように、水のように極上の酒を浴びてやるんだ! はっははは!」
親方としての重圧、そして左大臣家や平家といった化け物たちから家族を守るという途方もないプレッシャーから解き放たれ、今はただの「酒好きの親父」に戻ったその顔。目尻に深く刻まれたシワの奥には、すべてを成し遂げた男の、心底からの安堵が滲んでいた。
「ちょっとお前さん、いい加減にしなさいよ。酒ばかりに、そんな大事な大金を使わせるもんですか」
母さんが呆れたように笑いながら、鍋をかき混ぜていたしゃもじで親方の広い肩をペシッと軽く叩いた。
そして、今度はとろけるような、底抜けに優しい笑顔を、俺と兄の惣太郎に向けてきた。
「この大金はね、惣太郎と藤太の『お嫁入り』のための大事な資金にするんだよ」
「……えっ?」
俺は思わず、すいとんをすする手を止めた。
「だってそうだろう? 天下無双の車を作り上げ、左大臣家を後ろ盾にした都一の工房の跡取りたちだよ。これだけの箔がつけば、都の大店の立派なお嬢さんだって、きっと引く手あまただろうからね」
母さんは、積まれた絹織物を愛おしそうに撫でながら、未来の光景を夢見るように目を細めた。
「この綺麗な絹で、立派な婚礼の着物を仕立ててやって……。うちの長屋を少し広げて、賑やかにするんだ。二人とも、そろそろ身を固めて、私に可愛い孫の顔を見せておくれよ」
「ま、待ってくれ母上! 嫁取りなんて、まだ早すぎる!!」
濁酒を飲んでいた兄の惣太郎が、派手に酒を吹き出しそうになりながら、慌てて両手を激しく振った。
生粋の商人であり、野心の塊である兄上の目は、恋愛や家庭の安らぎよりも、はるかに大きく、果てしないビジネスの野望にギラギラと燃え上がっていた。
「俺は、この前金と褒美で、工房の裏手の土地を全部買い上げるつもりなんだ! これから他家の貴族たちに向けて『第三の型』を量産していくには、今のこの土間じゃあ、どう考えたって手狭すぎる」
兄上は、指に酒をつけて、囲炉裏の縁に新しい工房の図面をササッと描き始めた。
「他の工房から引き抜いた職人たちに、規格品の部品を作らせるための『専門の巨大な作業場』。そして、俺たち家族だけが最後の組み立てをする、誰も入れない厳重な『秘伝の土蔵』。この二つを完全に分けるんだ。これで我が源次郎工房は、都の車作りを根底から完全に牛耳る、途轍もない大組織になるぞ!」
美味い酒を浴びるほど飲みたい親父。
孫の顔を見て安心したい母さん。
そして、工房を巨大な大企業へと成長させたい兄上。
三者三様の欲望と夢が、熱を帯びて飛び交う中。
ふと、家族三人の視線が、今まで一番静かにすいとんの汁を啜っていた俺へと集まった。
「して、藤太。お前はどうするんだ?」
兄上が、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべて尋ねてきた。
「母上の言う通り、どこぞのべっぴんさんを嫁にもらうか? それとも、自分の名前(銘)が入った、とびきり極上の大工道具でも鍛冶屋に誂えさせるか?」
探求者の終わらない渇望
親父も母さんも、興味津々といった顔で俺の答えを待っている。
俺は持っていた椀をゆっくりと下に置き、燃え盛る囲炉裏の火をじっと見つめながら、ぽつりと、しかし静かな熱を激しく帯びた声で口を開いた。
「……以前、海を渡ってきた異国の商人から、ある話を聞いたことがあるんです」
「異国の商人?」
家族の顔が、一斉に俺の方へと向く。
「南の果て、唐天竺のさらに奥地。一年中草木の枯れない灼熱の国をのっしのっしと歩く、『象』という巨大な獣の話です。まるで小山のように巨大で、太い丸太のような鼻を持つその獣の革は、日本にいる牛や鹿とは比べ物にならないほど分厚く、そして途轍もない強靭な繊維を持っているそうです」
俺の頭の中には、まだ触れたこともないその究極の素材の姿が、ありありと思い浮かんでいた。
「その革は、深いシワが刻まれ、どれほどの重圧や摩擦がかかっても決して破れることはなく、刃物を当てても弾き返すほどの頑丈さを持つと……。しかも、その深いシワの模様は、磨き上げればこの世のものとは思えない野性的な美しさを放つらしい。もしその『象の革』が手に入れば、今の板バネの仕掛けをさらに強固で、そして何倍も美しく洗練させることができます」
俺の目は、美しい嫁取りの想像でもなく、極上の酒でもなく。
まだ見ぬ未知の素材への激しい渇望と、それを使って何かを生み出したいという技術者の本能で、キラキラと少年のように輝いていた。
「それに、留め具です。日本の砂鉄を鍛えた無骨な黒い鉄だけでなく、海を渡ってきた異国の金物には、まるで純金のように重厚に輝き、時が経っても絶対に錆びない美しい『黄金色の金具』があるはずです」
俺は身を乗り出し、熱っぽく語り続けた。
「それを、板バネの留め具や、車の装飾の要所にあしらえれば……象革の野性的な艶と黄金の輝きが合わさって、とんでもなく美しい機能美が生まれる。俺は、その『極上の象革』と『黄金の金具』を海を渡って買い集めるための、途方もない資金が欲しいんです」
すべてをやり遂げ、歴史的な最高傑作を完成させ、帝へ献上したばかりだというのに。
俺の頭の中では、現状に満足することなく、すでに「次の次元のモノづくり」の設計図が、猛烈な勢いで引かれ始めていたのだ。
その、あまりにも「職人」らしすぎる。いや、職人という枠すら超えた、純粋で貪欲な探求心に。
親方と兄上は一瞬、ポカンと呆気にとられ……。
やがて、お互いの顔を見合わせて、腹の底から大爆笑した。
「あっははははは! さすが藤太だ! 帝を唸らせる化け物みたいな車を作っておきながら、もう『次の新しい素材』のことで頭がいっぱいか!」
「はははっ! こりゃあ母上、藤太の嫁取りは当分、いや一生先になりそうだな! こいつの恋人は、異国の象革と金具らしいぞ!」
「ちょっと、笑い事じゃないよ! まったく、男ってのはどいつもこいつも、道具だの革だの仕事だのって……」
母さんは呆れたように肩をすくめて文句を言ったが、その口元には、自分の仕事に狂おしいほどの情熱を燃やす末っ子に向けられた、どこまでも優しく、誇らしげな微笑みが浮かんでいた。
パチッ……!
囲炉裏の火がひときわ大きく爆ぜ、温かな四人の笑い声が、夜の長屋にいつまでも、いつまでも響き渡る。
見栄と嫉妬が渦巻く底知れぬ権力の渦を、それぞれの知恵と、家族の固い絆、そして圧倒的な技術の力で完全に乗り越えた今。
俺の目の前には、誰も見たことのない新しい素材の数々と、俺の腕一つで無限に切り拓いていける「モノづくり」の輝かしい未来が、どこまでも明るく、そして力強く輝いて待っていたのだった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
これにて、「揺れない牛車」をめぐる藤太と最強家族の物語は一つの区切りとなります。
帝への献上を終えてもなお、次の未知なる素材(圧倒的な耐久性とシワを持つ象革や、真鍮のような黄金の金具)に目を輝かせる藤太。根っからのエンジニアであり、クラフトマンですね!
政治の壁を家族の連携で乗り越え、技術を極めていく彼らの工房は、これからも都で伝説を作り続けていくことでしょう。




