表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「最高の牛車を作る」 ~平安最強の車大工、左大臣の無茶振りから始まる技術革命~  作者: 紡木 綸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/51

泥臭い嫉妬と、孤高の作り手への脱皮

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

極限のプレッシャーから解放され、夢を語り合った黄金の夜。しかし、明けた翌日に彼らを待っていたのは、大成功を収めた者だけが味わう「世間の冷たい風」でした。

純粋な技術者である藤太が、職人として精神的な脱皮を遂げる重要なエピソードです。

前夜の、あの華やかで無邪気な熱狂から一転。

翌朝、兄の惣太郎と共に「第三の型」を量産するための職人を雇い入れようと、都の職人街へと足を踏み入れた瞬間のことだった。


冬の終わりの冷たい風とは違う、ひどく息苦しく、ねっとりとした泥臭い空気が、俺の肌にまとわりついてきた。


「出る杭は打たれる」という言葉が、これほどまでに残酷な実感として身に染みる日はなかっただろう。


かつての俺たち一家は、この貧しい職人街の住人だった。

同じ土間で木屑にまみれて汗を流し、「あの木材はどこで仕入れた」「最近は公家からの注文が渋い」などと愚痴をこぼし合い、足りないのみかんながあれば気軽に貸し借りをし、時には酒を酌み交わして技の相談をするような、気のいい同業者たちだったはずだ。


しかし、今日、通りですれ違う彼らの目に映る俺たち源次郎一家は、もはや「気のいい車大工の仲間」などでは決してなかった。


底なしの金に物を言わせて異国の高級資材を買い占め、他所の工房の職人を金で引き抜き、そして何より、あの左大臣・藤原様という絶対的な権力、さらには雲の上におわす「帝の威光」すらも後ろ盾にしている、完全に『手の届かない権力者側』の人間。

それが、今の彼らから見た俺たちの姿だったのだ。


「……おお、こりゃ驚いた。源次郎のところの若旦那衆じゃねぇか」


懇意にしていたはずの老舗の車輪職人が、店先で鉋をかけながら、俺たちの顔を見るなりひどく大仰な態度で手を止めた。


「ずいぶんと羽振りがいいようで。もう俺たちのような下賤の泥臭い職人とは、口も利いてくださらねぇのかとばかり思ってましたよ。いやはや、偉くなったもんだ」


「親方、そんな言い方はないだろう。俺たちはただ、手伝いを探しに……」

俺がたまらず弁解しようとすると、その車輪職人の奥から、若い弟子が憎々しげな声で吐き捨てた。


「けっ。結局のところ、金と権力に擦り寄って、車大工の魂まで売っちまったってことだろ。左大臣の犬になり下がったくせに、職人面づらしてこんな長屋を歩くんじゃねぇよ」


直接的な嫌味や悪態をぶつけてくる者もいれば、表面上は「これはこれは、名工の源次郎殿のご子息」とへりくだって揉み手をしてきながらも、その目の奥に、ドロドロとした真っ黒な嫉妬や羨望を煮えたぎらせている者もいた。


「どうせ、何か卑怯な手を使って左大臣に取り入ったに違いない」

「異国の珍しい素材の力に頼っただけで、あいつらの腕が上がったわけじゃない」


そんな根も葉もない陰口が、背中を向けるたびにヒソヒソと聞こえてくる。


新たな工房のための職人をスカウトする交渉自体は、莫大な前金と手間賃を提示した兄・惣太郎の辣腕によって、次々と成立していった。金が欲しい職人はいつの世もいるからだ。

だが、契約書に判を押す彼らの態度はどこまでも事務的で、俺たちの背中に投げかけられる視線はひどく冷たく、よそよそしいものばかりだった。そこには、かつての「共に良いものを作ろう」という連帯感など微塵も存在しなかった。


純粋に「少しでも揺れない良い車を作りたい」「まだ見ぬ新しい技術と論理を試したい」という、ひたむきな探求心だけを頼りに、死に物狂いでここまで駆け抜けてきた俺にとって。

この「人間関係の劇的な、そして醜い変化」は、極限の木彫りや革漉きよりも、はるかにひどく心をすり減らすものだった。



夕暮れ時。

鉛のように重い足取りで我が家の工房へ戻ると、俺はそのまま土間の冷たい土の上にへたり込み、胸の奥底に溜まった泥を吐き出すように、深い、深い溜め息を吐き出した。


隣では、一日中矢面に立って、あからさまな敵意や卑屈な態度を向けられながらも、強気の笑顔を崩さずに交渉を続けていた兄の惣太郎も、さすがに疲労困憊といった様子で、丸太の椅子にドカリと腰を下ろし、ガクリと肩を落としていた。


「……気疲れしたな、藤太」


いつもは威勢の良い兄上が、ぽつりと、ひどく弱気な声でこぼした。


「これが『人の上に立つ』ってことの、避けられない代償なんだろうな。……俺たちはもう、今までの馴染みの連中と、同じ目線で馬鹿話をして安酒を飲むことはできねぇんだ」


兄上は、両手で顔を覆い、深く息を吸い込んだ。


「あいつらはもう、俺たちを仲間だとは思ってくれない。……だが、それでもいい。俺たちは、彼らのあの冷たい嫉妬や恨みを全部背負ってでも、悪者になってでも、雇った連中を食わせ、この工房を回していかなきゃならねぇんだ。立ち止まれば、今度は俺たちが食い殺される」


母屋の縁側に座っていた親方・源次郎も、無言のまま使い込まれた煙管きせるに火をつけ、薄暗い庭へ向かって紫煙を細く吐き出した。

親方は何も言わなかったが、かつて共に都の木材を削り、酒を飲んできた同年代の職人仲間たちとの間に、二度と埋めることのできない決定的な溝ができてしまったことへの深い寂しさが、その丸まった大きな背中から痛いほどに滲み出ていた。


静まり返る工房。

しかし、そうした外の世界の冷たさや、剥き出しの嫉妬の渦に触れ、ひどく傷ついたからこそ。


無事に帰ってきたこの「工房」の木屑の匂いと深い静寂、そして、奥の母屋から漂ってくる、母さんが用意してくれている温かい夕餉ゆうげの出汁の匂いが、俺にとってどれほど尊く、どれほど絶対に守り抜かなければならない場所であるかが、痛いほどによく分かった。


「……外でどれだけ嫌な思いをしようと、ここにある技術と道具だけは、絶対に俺たちに嘘をつかない」


俺はふらりと立ち上がり、自分の定位置にある作業台へと向かった。

そして、自分が丹念に手入れをし、鏡のように磨き上げられた愛用ののみを手に取り、その冷たく重い鋼の刃にそっと指先で触れた。


ひんやりとした鉄の感触が、俺の火照って疲弊した脳を、急速に静め、澄み切った冷気で満たしていく。


周りの連中の目がどう変わろうと。

どれほど根も葉もない陰口を叩かれ、成金だと蔑まれようと。


俺の中にある「あの、深く美しいシワを刻んだ極上の『象革』と、黄金のように重厚に輝く『異国の真鍮の金具』を手に入れて、まだこの世の誰も見たことのない、圧倒的で最高のモノを作りたい」という、エンジニアとしての純粋で狂おしいほどの情熱だけは、誰の言葉にも、どんな嫉妬にも、決して汚されることはない。


俺は誰かに褒められたくてモノを作っているわけではない。

物理の法則を解き明かし、素材の限界を突破し、完全な「美」と「機能」をこの世に具現化させるために、俺は鑿を握っているのだ。


「……やりましょう、親父、兄上。よそから何と言われようと、俺たちの作る車が、都の、いや、この国の歴史を変えるんです」


俺が力強く鑿を握り直して振り返ると、親方と兄上は顔を上げ、静かに、しかし確かな闘志を宿した目で深く頷いた。


人間関係の泥臭いしがらみに激しく気疲れし、世間の風の身を切るような冷たさを知ったその日は。

俺という人間が、誰かと群れることで安心を得ていた単なる「腕の良い若手職人」から、自らの抱く理想のために孤独と責任をすべて背負い込み、ただ己の信じる新たな美だけをひたすらに追求していく「孤高の作り手」へと、完全な精神的脱皮を遂げた、記念すべき一日でもあった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


成功の裏にある「孤独」と「嫉妬」。人間関係の変化に傷つきながらも、それを乗り越えて本物の「孤高の技術者」へと成長していく藤太の姿が描かれました。

どれだけ周囲が変わっても、手に持つ道具と、まだ見ぬ「象革」や「黄金の金具」への純粋な情熱だけは変わらない。技術者としての揺るぎない芯が確立された瞬間です。


※前回の「未知の素材」についての描写が、藤太のインスピレーションの源泉としてここでも強く生きていますね!


これにて、職人としての精神的な土台も完全に出来上がりました。最強の車大工一家の未来に、これからもご期待ください!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ