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「最高の牛車を作る」 ~平安最強の車大工、左大臣の無茶振りから始まる技術革命~  作者: 紡木 綸


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白砂の上の防波堤と、母の震える背中

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

言葉に詰まり、絶体絶命のピンチに陥った藤太。そこに現れたのは、またしても我が家の最強の裏ボスでした。

極限状態での母の勇気と、家族の絆が光るエピソードです!

必死に白砂の上に頭を下げたまま、俺は昨晩、兄・惣太郎と夜通し練習した「お歴々への言葉遣い」と、自分自身で考えた「藤原様を代理店にする」という作戦の文言を、なんとか脳の奥底から引っ張り出し、紡ぎ出そうとした。


「は、ははっ……! ゆ、揺れぬ御車みくるまで、ござりますれば……そ、それは、ふ、藤原の殿が……お、お取り扱いになられる手はずと、なって、おり……っ」


しかし。

相手から放たれる、実戦をくぐり抜けてきた本物の武士特有の、むせ返るような血と鉄の匂い。そして、少しでも気に障ればその場で斬り捨てられそうな絶対的な殺気を前にして、俺の体は完全に制御を失っていた。


極度の緊張と恐怖で、口の中は一瞬にしてカラカラに干からびていた。

腹の底から声を出すこともできず、声は情けないほど高く上擦ってしまう。極度のプレッシャーで声帯が痙攣し、言葉は途切れ途切れになり、最後は「ヒュッ」と息を呑む情けない音にかき消されてしまった。


(駄目だ、声が出ない……! 殺される……!)


「……何だと? 怯えておって、よく聞こえぬぞ。何をゴチャゴチャと申しておる」


頭上から、苛立ちを隠そうともしない、平家の男の低く凄みのある声が落ちてきた。

背後に控える従者たちが、不敬な態度をとる俺を取り囲むように、ザッ、と砂を蹴って動く気配がした。そして、男の腰の太刀たちが、カチャリと冷たい鞘鳴りの音を立てた。


俺の寿命がまた何年も縮み、限界を超えた胃袋が今度こそ破裂しそうになった、まさにその時だった。


「――恐れながら、申し上げまする」


俺のすぐ横。

いつの間にか、濡れた手を前掛けで拭いながら、俺と同じように白砂の上に両膝をついていた母さんが、スッと通る、しかし決して出しゃばらない、落ち着いた声で言葉を継いだのだ。


俺は横目で、母さんの姿を捉えた。

震えてはいる。しかし、その背筋はピンと伸びていた。


「お武家様のお耳に入りました『揺れぬ車』は、確かに手前どもの源次郎工房で仕立てたものにござります。……しかしながら、あの仕掛けは、左大臣・藤原様が大変お気に召されまして。以後、あの御車をお求めになるお方は、**すべて左大臣家を通し、藤原様よりお譲りいただく(お買い上げいただく)**という、固いお約束になっておりまする」


母さんの言葉は、市井しせいの女将としての底辺の丁寧さを完璧に保ちながらも、一歩も引かない毅然とした響きを持っていた。


「ゆえに、手前どものような下賤の職人が、直接お武家様のような高貴なお方の御注文を承ることは、藤原様との約定に背くこととなり、いかにしてもお受けできませぬ。どうか、ご立腹の儀はごもっともでござりますが、まずは左大臣家の御門を叩かれ、藤原様へ直接御相談くださりますよう、平に、平にお願い申し上げまする」


母さんは、俺の伝えたかったシステムの全容を見事に代弁し、そう言い切ると、俺と同じように深く、静かに平伏した。


広大な白砂の庭に、ヒリヒリとするような、肌を刺す沈黙が降り降りた。


藤原様と約束があるから、あなたの注文は断る。

それは、武力を誇り、公家を内心で見下している平家に対して、「藤原の威光を盾にして我らを蔑ろにするのか」と受け取られかねない、非常に危険な綱渡りの口上である。


俺は息を完全に止め、目を固く瞑ったまま、太刀が振り下ろされる最悪の事態を覚悟した。

(母さん、ごめん……俺が不甲斐ないばかりに……)


「…………ほう」


数秒の沈黙の後。

頭上から降ってきたのは、怒声でも太刀が風を切る音でもなく、ひどく感心したような、大きな鼻息だった。


「あの、気位ばかり高くて見栄っ張りの左大臣の殿が、自ら牛車の『元締め』のような真似をしておられると申すか。……ははっ。はははははっ!!」


平家の男は、突然天を仰ぎ、庭中の空気を震わせるほど豪快に笑い声を上げたのだ。


「なるほど! あの小賢しい公卿くぎょうどもも、裏では随分と泥臭い、小商人こあきんどのような商いをしておるのだな! それは傑作だ!」


男の笑い声に、俺は少しだけ目を開けた。


「よい! 事情はよく分かった。職人には職人の筋というものがあろう。ここで貴様らの首をねてこの汚い土蔵を焼いたところで、名車は手に入らんからな」


男のその言葉に、俺の背中からドッと冷や汗が吹き出した。

比喩でもなんでもない。この男は、本当に一歩間違えれば、俺と母さんの首を刎ねて工房に火を放つ気だったのだ。


「藤原の殿に頭を下げるのはひどく業腹ごうはらだが……まあよい。あの殿から直接、買い叩いてやるのも、一興というものよ。……おい、引き上げるぞ!」


平家の貴族は、背後の従者たちに短く命じると、きびすを返し、バサリと狩衣を翻して土煙を上げ、屋敷の外へと去っていった。

門の外で、何頭もの馬のいななきが遠ざかっていく。


その音が完全に聞こえなくなった瞬間。

俺は全身の関節から一気に力が抜け、糸が切れた操り人形のように、その場にへたり込んでしまった。


「はぁっ……はぁっ……っ」


うまく呼吸ができない。心臓が早鐘のように打ち鳴らされている。

横を見ると、母さんも同じように白砂の上にペタンと座り込み、両手をついて大きく、荒い息を吐き出していた。


「ふう……まったく、本当に寿命が縮む思いだったねぇ」


母さんが、顔を上げて俺を見た。

その額には、びっしりと大粒の冷や汗が浮かんでおり、顔面は蒼白だった。袖口を握りしめる手は、小刻みに震えている。


そうだ。母さんとて、あんな恐ろしい武家に凄まれて、恐ろしくないはずがないのだ。

それでも、言葉に詰まり、殺されかけていた息子の窮地を救うため、必死に勇気を振り絞って、自らの命を懸けて前に出てくれたのである。


「母さん……ありがとうございます……。俺、俺が情けないばかりに……。俺一人だったら、今頃どうなっていたか……」


俺がガタガタと震える声で礼と謝罪を口にすると、母さんはいつものように、からりと、しかし少し引きつった顔で笑い、着物についた砂をパンパンと払った。


「なにを言ってるんだい。お前は立派な『手仕事』で、うちら家族の命を未来へ繋いでくれたじゃないか。それにお前、根っからの大工のくせに、誰も思いつかないような『第三の型』とかいう商売の仕組みを、必死に考えてくれたんだろう?

私は、お前が考えてくれたその仕組みを、ただ代わりに口に出しただけさ。お前の口下手なところを少し補うくらい、家族なんだからどうってことないさ」


母さんはよっこいしょ、と立ち上がり、俺に手を差し伸べた。


「さあ、いつまでも砂の上に座ってないで、立っておくれ。父さんたちが屋敷から帰ってくる前に、熱くて甘いお茶でも淹れて、干からびた喉を潤そうじゃないか」


母さんのその力強く、温かい手を取って立ち上がりながら、俺は改めて、この家族の絶妙な連携と、底知れぬ絆の強さを噛み締めていた。


俺が技術と論理で道を切り拓き、兄上が商売を描いて利益を生み出し、親方がそれを極上の形にする。

そして、いざという絶体絶命の時には、母さんが命懸けの度胸でそのすべてを守り抜く。


この四人が揃っていれば、俺たちは絶対に負けない。どんな時代が来ようとも生き抜いていける。


胃の痛むような恐怖の時間は完全に過ぎ去り、初夏の爽やかな風が、無事に危機を乗り越えた工房の庭を、俺の汗を乾かすように優しく吹き抜けていった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


極限の恐怖でフリーズしてしまった藤太を救ったのは、やっぱり最強の母さんでした!

平家の武士の威圧感、そして藤太のパニックからの、母の毅然とした態度の対比。武士の「藤原を買い叩いてやる」というプライドをくすぐってピンチを回避する見事な連携でした。


これで本当に、政治的な壁も突破し、ブランド戦略の道筋が確固たるものになりました。

次回は、ついに左大臣邸・そして内裏に向かった親方と兄上の視点に移るのか!? 帝の反応はいかに!

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