木が喜ぶ音と、傲慢な絵師
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、藤太が「五百年の檜」と真剣勝負をする静かな時間。そして、ついに組み上がった完璧な骨組みの前に、都で一番の「絵師」が現れます!
職人と芸術家、プライドのぶつかり合いにご注目ください。
土台の完成から、さらに数日の時が流れた。
俺はあの「五百年の檜」という極上の素材に対し、一切の妥協を許さない、求道者のような日々を送っていた。
木には、一つとして同じものはない。
俺は切り出された四本の柱と、それらを繋ぐ上屋の部材の「木目」を、じっくりと、気の遠くなるような時間をかけて読み解いていった。
この木は山のどちらの斜面で、陽の光をどう浴びて育ったのか。水分をどう吸い上げ、どちらに反ろうとする力を秘めているのか。
それらすべてを見極めた上で、木が最も安らぎ、かつ最も強固に組み合わさる位置を定めてから、初めて墨壺で細いケガキ線を引いていく。
そして始まる、終わりなき「刻み」の工程。
トツ……トツ……シュッ、シュッ……。
少しでも鑿の入りに抵抗を感じたり、小刀の引きが重くなったりすれば、俺はためらうことなく作業を止め、水桶と砥石に向かった。
最高級の木材は、少しでも鈍った刃を当てれば美しい繊維が潰れ、そこから水が入り込んだり、強度が落ちてしまう。
刃を研ぎ、極限の切れ味を取り戻してから、再び木に向かう。その繰り返しは、途方もない時間と忍耐を要求した。
だが、俺は決して急がなかった。
焦りが生む「微かなズレ」や「刃のブレ」が、後で取り返しのつかない致命的な歪みとなることを、職人の本能が知っているからだ。
親方もそんな俺を一切急かすことはせず、自身は他の細かな部材作りに回り、工房の最も明るく良い場所を俺に譲って、静かに見守り続けてくれていた。
俺の掌には新しいマメがいくつも潰れては血を滲ませ、仕事着は木の粉と汗で真っ白になっていた。だが、その顔つきは日に日に凄みを増し、もはや「見習い」の面影などどこにもないはずだ。
――そして、七日目の昼下がり。
「……終わった」
最後の一手。上屋の屋根を支える梁のホゾが、四本の檜の柱に「スッ……」と、何の抵抗もなく吸い込まれるように収まった。
その瞬間。俺の計算通り、四本の柱は互いの反発力を完璧に相殺し合い、釘を一本も使っていないにもかかわらず、まるで最初から一つの巨木として生えていたかのような、絶対的な安定感を放ち始めた。
これこそが、藤原様の虚栄心を満たす「極限の薄さ(風雅)」と、母さんが言った「女を酔わせない乗り心地」を両立させるための、完璧で最強の骨格だ。
「凄まじいな……。木が、喜んでやがる」
背後でずっと見ていた親方が、深い感嘆の吐息を漏らした。
五百年の檜の白木は、俺の研ぎ澄まされた刃で切り出されたことで表面が鏡のように滑らかになり、工房の中に清烈で甘い香りを充満させている。
その時だった。
表通りから、ただならぬ気配と、乱暴な足音が近づいてきた。
「藤太! 親父殿! おるか!」
兄・惣太郎の声だ。しかし、今日は一人ではない。
その後ろには、高級な絹の狩衣をだらしなく着崩し、指先に墨の染みをつけた、ひょろりとした若い男が付き従っていた。男はひどく不機嫌そうで、高価な扇子で鼻を覆いながら、工房の木屑と獣脂の匂いを露骨に嫌がっている。
「兄上、その御方は?」
俺が尋ねると、兄上が苦笑いしながら紹介した。
「藤原様のお抱え絵師、巨勢の秋村殿だ。壁に描く『四季の絵』の打ち合わせにとお連れしたんだが……」
秋村と呼ばれた絵師は、鼻でふんと鼻息を鳴らし、俺たちを見下した。
「都で一番の車を作ると聞いてわざわざ足を運んでみれば、なんだこのむさ苦しい木屑まみれの土蔵は。いいか、藤原様は私の『絵』にこそ価値を見出しておいでなのだ。貴様ら泥にまみれた大工は、私の芸術を邪魔せぬよう、ただ平らで真っ白な木の板だけを用意しておけばよいのだ。……ん?」
秋村の傲慢な言葉が、途中でピタリと止まった。
扇子の奥から覗く彼の視線が、俺がたった今組み上げたばかりの「五百年檜の骨格」に釘付けになったのだ。
気だるげだった絵師の目が、次第に驚愕に大きく見開かれていく。
彼は扇子を取り落とすのも構わず、ふらふらと夢遊病者のように骨格に近づくと、寸分の狂いもないホゾの接合部や、絹のように白く輝く木肌に、震える指でそっと触れた。
「な、なんだこれは……。ただの骨組みのはずなのに、微塵の隙もない……。継ぎ目すら見えぬ。木そのものが、まるで一つの完璧な『芸術』として完成しているではないか……!」
秋村はバッと振り返り、泥と木屑にまみれた俺を、先ほどとは全く違う、畏怖と焦燥を込めた目で見つめた。
「これを作ったのは、お前か……? こんな、これほど圧倒的な『枠(骨組み)』を見せつけられては、生半可な絵など描けぬ。私の絵が、この木に負けてしまう……!」
芸術家としての強烈なプライドを激しく揺さぶられた絵師・秋村は、顔を真っ赤に紅潮させて俺に詰め寄ってきた。
「おい、車大工! この骨組みの間に張る『板』は、どんな材を使うつもりだ!? 私の絵の具が最も美しく乗り、かつ、この極上の枠に引けを取らぬ『最高の板』を出してみせろ!!」
秋村の血走った目が、俺を射抜く。
職人と芸術家。絶対に妥協できない二つの魂が、いま工房の土間で激突しようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
妥協を許さない藤太の「刻み」の反復が、ついに完璧な骨組みを生み出しました。
そして、その完成度の高さが、傲慢だった天才絵師・秋村の芸術家としてのプライドに火をつけます。「木が絵を食ってしまう」ほどの圧倒的な存在感。
さて、秋村に「最高の板を出せ」と詰め寄られた藤太。
薄くて、強くて、絵の具が乗る最高の板。藤太が出す「答え」とは……!? 次回もお楽しみに!




