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奴隷騎士/エポックの卵  作者: 黒船頼光
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地下牢


 別棟は病院の裏手にあった。


 こちらは丸い屋根の白い建物で、おそらく二階建て。入口は正面の開き戸一枚のみで、窓は二階の側面に一枚ずつの四枚。二階は騎士たちの居住空間で、一階は食堂と礼拝室に加えて装備品の倉庫。そして、ロマンの隔離室は地下一階にある。


 ロマンは見覚えのある、否、馴染み深い光景に絶望した。


 やはり、というか案の定、黒ずんだ鉄の檻がそこにあった。なんと懐かしく、忌々しい光景だろうか。まさか自分の意思で、この部屋に入る日が来るとは。嘆かわしい。


「それじゃ、また明日迎えに来るから」


 そう言い残して去るカルロの背中を、飼い主を見送る飼い犬のような瞳で見つめていたが、それも効果無しと分かった途端、舌打ちをした。


 あらためて、牢屋を見てみると、以外にも清潔感のある場所だと直ぐに分かった。

 湖の傍というのもあって、多少の湿気がこもっているのは確かだが、それを踏まえても暑くもなく、寒くもない場所で、台座のある敷布団もさらさらとした手触りであった。手足は自由だし、便器は座り込める形をしており、真白に輝くのを見るに手入れされているのは明白だ。


 石造りの壁際に設けられた机。その上には、針の長い燭台が一つと、蝋燭が三本。

 正直、悪くないと思った。あの監獄とは天と地ほどの差がある待遇に、このまま此処で生活してもいいかな。


 そんな妥協を囁く甘言に、ロマンは顔を叩いて振り払う。

 いやいや、そもそも善良な男が牢屋生活させられるのは間違っている。本当なら、もっと自由に外を出歩けたりもするし、服や食べ物は自分の気分で選べる筈なのだ。


 やめだやめだ。


 ロマンは檻を背にどすんと座り込む。ベッドに倒れ込もうかと思ったけれど、なんとか歯を食いしばって誘惑を退けた。座った瞬間、滝に打たれるような疲れが全身を襲った。

 肉体的な疲れは復活の際に無くなっているというのに、この疲労感はなんだろう。


 脱獄。奈落。戦争。騎士。神々。天人。呪い。疫病。奴隷。


 今まで世間と接する機会も無く、閉じた人生だったのに、怒涛の展開に脳みそが悲鳴を上げているのを、ふつふつと感じていた。気が付かないフリをしていた。一瞬でも止まってしまえば、もう考えるのを止めてしまいそうだった。流れに身を委ねてしまうのが、恐ろしかった。


 ロマンは燭台を手に取って、針の先を指でなぞった。

 あの頃と変わらない風景なのに、あの世界とは全くの別物であると、世界の全てが殴りつけるように教えてくる。


 そっと喉に針先を当てた。

 ちくりと皮を裂く感触が確かに伝わってくる。同時に、自分の身体から大切なものが零れ落ちていく感覚もあった。


 俺は死なない。


 それを否が応にも実感させられた。

 だが、もし、もしも、今ある命が最後だったら?

 そう考えた瞬間、階段の上から鈍い足音が響くのを聞いて、慌てて燭台を戻した。


「やあ青年、元気かな!」


 エマが景気良い笑顔で手を上げていた。もう片方の手には料理を乗せた盆を持っている。なにやら慌ただしかったロマンを見て、申し訳なさそうに頭の後ろを掻く。背後には白金の少女もおり、好奇の視線を寄こしていた。


 見られた? いや、別にやましい事はないんだけど。


「もしかして……いや、ごめんね。邪魔しちゃって。そうだよね。男の子だもんね。シルバから聞いたよ。あんな事やこんな事をされて、昂ぶるのも分かるよ」

「違うわ阿呆」


 やらしい事もしていない。断じて。


「阿呆とはなんだ。阿呆とは」とエマは眉を顰める。

「それで、何のようだ? 俺に自分が食べてるところを見せつけて、笑いに来たのか?」

「なんでちょっとヒステリックになってんのよ」と呆れ交じりに盆ごと、ロマンの顔前に差し出した。「貴方のよ、貴方の」


 しっとりと甘い香りが鼻腔を擽り、口の中に唾液がじゅわっと溢れた。

 ぷくぷくと肥えた白飯。淡く濁った味噌汁。こんがり焼かれた魚。遥か昔、まだ監獄に入る前に食べた食事に似ていた。箸まで付いている。


 これは玄房の記憶の中にある食事に似ていた。ほとほと奇妙だ。言葉だけでなく、こんな場所にまで似たところがあるとは。


 話を聞くに、シルバからの「おもてなしと謝罪」で、初心な男を弄んだ事への謝罪の意を込めたそうだ。シルバ本人が来てないのを見るに嘘くさいが、貰える物は貰っておく主義である。ごちそうになるとしよう。


 ロマンはその場で腰を下ろして、こわごわと白飯を口へ運んだ。


 ──。

 ────。


 !

 それから先は、自分の顔を殴るような勢いだった。

 焼き魚にかぶりつき、白飯を掻き込んで、味噌汁で流し込む。ずっと、ずっと味わっていたいのに、飲むように頬張ってしまう。


「そんなに美味しい?」

「……」


 エマの声が届かないほど夢中であった。

 瞬く間にロマンは料理を平らげ、満足気どころか呆然として息を乱していた。


「……うまかった」


 ようやくの返答であった。数秒、エマは放心した後、「そりゃあ良かった」と控えめな笑みを浮かべた。

 そのとき、エマの顔の横から白い何かが飛び出した。白い手拭いだ。

 白金の少女はエマに寄りかかるように、手を突き出していた。


「口、拭いた方がいいよ!」


 快活な声だった。

 あっ、とエマは要件を思い出したようで、少女を前に押し出して、直立させた。


「この子が、キミの担当看護師ね」

「よろしくお願いします!」と少女は胸を張った。白衣の裾がひらりと舞った。

「私の名前はフラワーリップ・レディ。親しみを込めてリップと呼んでいいわ」


 なんとも明るい少女であった。暗い牢獄の中に星が瞬いたのかと錯覚する。

 白よりも金、髪というより光の束。向日葵色の瞳はらんらんと輝かせ、春の一番のような爽快さがあった。気になるのは耳。リップの鋭く長い耳である。


「私はルラックル人とルール人のハーフなの。ハーフってわかる?」


 どうやら、耳の長さはルール人の特徴らしい。この他にも多くの人種がおり、それぞれに特徴的な部分があるそうだ。ルラックル人なら白髪、ルール人なら長い耳。他にも小さくて丸い種族や、真っ赤な肌を持つ種族も。

 実に多様性のある世界だと、ロマンは感心し、強く惹かれた。


「貴方もシルバさんと同じ東洋人なのよね? でも、その赤い髪で外に出す訳にもいかないし……エポックのワクチンが完成させれば、大手を振って出歩けるようになるでしょ」


 霊失病──エポックに勝利した暁に、今度こそロマンの人権は再生する。とりあえずの目標はそこだ。


「あの女と同郷だとは思えないけどな。俺の世界とこの世界は違うところが多すぎる」

「へぇ……やっぱり気になるわ。ねぇ、貴方の世界は──」


 そこで、リップの手が引かれた。


「ほら、また明日にしな」

「えぇ、なんでぇ」と不満げなリップ。

「さっさと身体を拭いて寝たいわ。明日も仕事なんだから、休んどかないとダメよ」


 そうして、リップは引き摺られるように、エマ共々階段に消えていった。


 彼女たちが今後の給仕係だったらいいな。


 ロマンは忌々しい看守どもの顔を思い出しながら、しみじみと口の中に残る米粒を噛み締め、ベッドで横になって大きな溜息をこぼした。冷たい手の平で包まれるような心地だった。


 結局、ロマンはたかが一食で陥落してしまった。

 衣食住の魅力は抗い難い。


 その日、ロマンは夢を見なかった。



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