もう一人の天人
メルキュール城/二階/大司教執務室
この部屋の主が持つ権力は、一国の主をも凌ぐと云われる。
ルラックル大陸の司教管区を監督し、教義と信仰の維持、聖職者の任命、礼拝と典礼の管理、教会の組織と行政の管理などなど。それらの業務に加え、国の施策のほとんどに関わっており、宗教国家という性質上、あらゆる施策に強力な発言力を持つ。
その男の名はグランツェック・オズワルド。齢六十歳の小太りな男である。
〝オズワルド大司教〟は騎士の報告を一通り聞き終えるや、老眼鏡の位置を正した。
「して、男は〝輪名〟を名乗り、あげく己の国の名も知らず、奴隷の身であったと申しているとか」
革の椅子に深く腰掛けるオズワルドは、机を挟んだ先で起立する男に胡乱な目を向けた。
邪悪な神の名に連なる者に多い〝輪名〟は忌避の対象であるし、己の国の名も知らず、奴隷の身であったことを公言している。そんな眉唾な報告を聞いて、疑いの目を向けない阿呆もそういない。
しかし、訝しむ視線は直ぐに興味の色に染まった。
「その者の名は〝赤黒い宵〟に連なる者かね?」
「いいえ。オオカミの名はありませんでした」
「ふむ……どちらにしろ輪名は良くないな。呟くだけで呪われるなど迷信に過ぎないが、新たな名をつけるべきだ。それについては、キミたちに任せよう。それより──」
オズワルドは頬杖をつく。
「問題は、その不死性ですね」
「然り」とオズワルドは目を細めた。
「あの〝医師〟とは違い、獣の特徴は見当たらなかったそうだな」
「はい。ユリウスの報告では、夜空のような血肉と、それと同じ色の炎を纏うようですが、色は青に近く星のように煌めいているようです」
「夜空に関係するとなれば、月神様が関わっている可能性は高いな。あの御方の力なら不死にも納得はいくが、燃えるとなるとなぁ」
天人の姿は異形であることが多い。獣や虫の特徴を持っていたり、山のように大きい巨人もいれば、果実並みに小さい小人もいる。
姿形は違えども、天人のすべてが「神に呪われた」という経緯を持つ。
元来、神々は人の世に興味を示さず、人前に姿を見せる事も無い。祭りや災害、戦の時であってもだ。しかし、人を呪う時だけ神は顕現する。
その理由は様々で「聖域への侵入」「禁忌の探究」「異教の布教」など、神々の権威を汚す行いに対してだ。
とはいえ、それらの理由も信じるには値しない。
誰だって過去の恥部は隠したがる。
神を貶める者たちの言葉を誰が信じる?
悪人は作り出すのは容易い。都合が悪ければ首を落とせばいい。だが、不死となると扱いが難しくなる。
不死の怪物を地下に幽閉し続けるのは、現実的ではない。かと言って、国外に追放するのも悪手。コレールの戦士にでもなったらサイアクだ。
であれば、
「飼い馴らせば、大きな戦力となるか」
オズワルドの呟きに男は眉頭を一瞬に歪めた。
「不満かね?」
ロゼ騎士団団長グラム・セック・ヴァベックは、あらためて背を伸ばした。
「あのような男を入れてしまえば、民から何と言われるか。〝医師〟は天人でありましたが、これまでの功績で民からの信用も得られました。ならば今から功績を上げさせれいいと、治療の実験体として迎えればと思ったのですが、仮に騎士と迎え、町なかで一度でも問題を起こせば」
「もし、その者が騎士団の顔に泥を塗るというのなら、その時はルラックルの大司教として全責任を負い、さらに騎士団の名誉を貶めないように努めることを誓おう」
もはや、不満の一つも吐けるものか。司教管区の長どころか、一国の長と言っても過言ではない者が、ここまで言ったのだ。
「この盾に誓い、必ずやご期待に応えて見せましょう」
グラムは色を正して背中の盾に刻まれた紋章を胸の前で掲げた。
雫を守る盾の紋章こそ、ロゼ騎士団の誇りである。
◆
〝盾〟。
〝剣〟。
〝雫〟。
ロゼ騎士団には三つの象徴があり、それぞれ一人ずつ選出される。
その内の一人が、あのユリウスだった。あらゆる戦において不敗。ただの一度も仰向けになったことが無い男。ルラックルの英雄と呼ばれている、らしい。苗字は無いのかと聞くと、孤児だから無いのだとユリウスは答えた。
騎士団の宿舎はメルキュール城の敷地内にある。二階建ての宿舎の傍には訓練場として平地も設けられている。そして、訓練場に隣接する形で、簡素な処刑場もあった。
ところで、二人がいる場所は騎士団の敷地内ではなく、ほど近い『聖クレタ病院』の門前だった。
ユリウスは遠征から帰還するや、団長に事の次第を報告し、数人の騎士と共に玄房を連行して、鉄の門前まで来ていた。今は病院の門衛に、とある人物を呼んできてもらっているところだ。
玄房は三人の騎士に囲まれ、鉄の鎖で両手を括られたまま、病院を見上げて感嘆する。
まず、メルキュール城と都は湖で隔たれている。湖、都、湖、城といった順番だ。そして、城と都は一本の石橋で繋がっている。
聖クレタ病院は石橋の途中、城門手前にしゃんと背を伸ばして佇んでいる。黒い鉄柵に囲われて、色鮮やかな花々に彩られ、真白で四角い煉瓦の建物が中心にそびえる様は、さながら花を手向けられる墓標のようだった。
「ずいぶん立派な建物だな。見るからに真新しいが」
三人の騎士の一人、カルロが答えた。
「ここは昨年建てられたばかりだからね。時の人シルバーピット・クレーター氏が都で拡大していた霊失病の蔓延を止めた功績により、国王様が褒美として都最高の職人たちに建設を命じたんだ」
カルロは肩を竦めて「病の根絶はまだなんだけどね」と言い加えた。聞く限り、直に治療法が確立されそうだが、国は玄房という降って湧いた体のいい被験者を使い、さらに時間を削減しようと考えたようだ。
それから五人は壮年の医師に入場を許可され、ユリウスと玄房のみが診察室に通された。カルロ含む騎士三名は診察室前で待たされる事になった。せっかく護衛として来た騎士たちの存在理由がなくなってしまうが、大丈夫だろうか?
「危険だ、とでも考えたか? 生憎、あたしにとっちゃテメェも患者の一人なんだよ」
診察室奥の扉から、白衣を着た少女が不機嫌そうに現れた。
「久しぶりだな、ユリウス。まだ生きてやがったか」
「どういう訳か、な」
乱暴で勝気な印象の女だった。黒い髪は肩先までしかなく、中世的な顔つきの所為で男に見えなくもない。左耳の赤いピアスは交戦的な顔つきと相まって、背伸びする少女のようで、かえって可愛らしく見えてくる、はずなのに目元の深い隈の所為で台無しである。
「本名は聞いてるんだろ? あたしのことはシルバとでも、なんとでも呼べ」
シルバはスタスタと玄房の目の鼻の先まで来ると、白い手袋を嵌めてペタペタと玄房の身体を触り出した。
「顔つきはあたしと同じ東洋人っぽいが、髪が赤いのは呪いの影響か? 髪色だけ変化する天人は珍しいが、いない訳じゃないしな。肉つきは良いし、栄養失調の様子も無い。古傷の類いも一切無いな。そして──」
そこでシルバの手が止まった。ぴたりと時間が止まったように。
ユリウスは首を傾げて「何か問題か?」と玄房の後ろから覗き込んだ。シルバは玄房の前で膝をついて、縦に長い瞳孔で興味深そうに一点を見つめていた。
「てめぇ、さては童貞だな」とシルバは玄房の泳ぐ目を見上げた。
「女に、身体を触られた経験は、あまり無いんだ」
「あまりじゃないだろ。こいつは初めてって感じだ」
屈辱と期待と羞恥に胸中を搔き回され、得も言われぬ達成感を噛み締める。エマの提案に乗って良かったと。我ながら単純だと思う。
「……せっかくだ、資料として採取しておくか」
「ふぐっ!」
玄房は思いがけない衝撃に身を震わせた。
「あ、ああ、えっと……オレは外にいるから、終わったら呼べ」
ユリウスがそそくさと退室してしまい、診察室で二人きりとなる。
どうしてだろう。
甘い気配は欠片も無い。シルバの行動のすべてが事務的であるのに、なぜか蛇に睨まれた蛙のような、正体不明の恐怖が期待を伴って、玄房の肝っ玉を縮み上がらせる。
「これから血、精液、尿、大便、口の中の粘膜、涙といった要素を採取して、てめぇの身体が人間寄りか怪物寄りかを調べる──覚悟はいいな?」
その問いに答える間もなく、玄房は小柄な女に蹂躙された。事が済んだ時には、もう日は傾いていた。ユリウスが入室すると、シルバは顕微鏡で玄房の体液を覗き込んでおり、玄房といえば診察台の上で「尻が、俺の純潔が」と憔悴しきっていた。
「それで、こいつは使えそうか?」
ユリウスは気怠げに玄房を指さす。ユリウス自身は遠征の疲れを癒す間もなく、相当な時間を待たされる破目になって辟易しているようだった。
「奇妙な色の血だったが、蛇の毒に対する反応は普通の血と同じだった。人体構造も人間のそれだから問題無い。特別なのは、不死と復活の際に生じる発火反応ぐらいだから、新薬の被験者としては使い勝手が良さそうだ。解剖するのも色が星空に似て難しそうだから、そこは考えないとな」
そう言って、シルバは考え込んでから、カルテを玄房に差し出した。
「お前のカルテだ。読めるか?」
「カルテ? ああ、記録表のことか……まあ、なんとか読めるな」
玄房の知る文字よりも、少しカクついて簡素な形になっているが、意味と読み方は理解できた。しかし、どうしても一点だけ気になる点があった。
名前の欄が空白だったのだ。触診の時に名乗った筈だが?
「聞いてないのか? 輪名の奴は異端者として処刑されるんだよ。お前は死なないから、気にしなくていいと思うかもしれないが、市民にとっちゃ、呼ぶことすら憚る響きなのさ」
そういえば、名乗ったとき騎士たちはざわついていた。
彼女はユリウスへ向き直って、玄房を指差した。
「なあ、あんたが名前を付けてやれよ」
「はぁ?」とユリウスは顔を引いた。
「こいつの監視役はあんたの隊がやるんだろ?」
初耳だった。ユリウスはあからさまに初老の顔を歪めた。
「あたしが名づけてもいいが。新しい何かを発見した誰かがいるのなら、その名前は見つけた奴が名づけるもんだ」
「それならエマだろう……呼んでくる」「待ってられるか」
うぅんと重い唸り声が響いた。
「ならロマンというは、どうだ?」
「なに?」
シルバは聞き返すや、けらけらと肩を揺らして笑い出した。「ロマンチストは英雄特有の習性なのか?」
ロマン。響きは悪くないが、如何せん意味が分からないため、反応に困ってしまう。
それを目敏くシルバがくみ取り、ロマンという単語が小説、あるいは夢や理想を追い求める心情を表すのだと教えてくれた。
なるほど。悪くない。解放を夢見る身としては、的を射る名だ。
玄房は頷いて感心するも、当の名付け親は居たたまれなさそうに顔を撫でおろしていた。
「こういうのは苦手なんだ」
「いいや。あんたは剣だけじゃなくて、名づけのセンスもあるらしいな」
シルバも気に入ったようだ。現時点で賛成多数。ここでの名はロマンに決まった。
カルテに名前を記入した後、病院の地下へ案内されることになり、診察室を出た。
築一年というのもあって、病院内の壁や天井は傷一つ無く、白い通路は月光に照らされて水色に輝いていた。ふと、玄房──ロマンは疑問に思った。
こんな色だったっけ? もっと白っぽかった気が。
その違和感を払拭しようと二人に聞いてみると、怪訝な顔をされた。結局は自分の勘違いだと納得して、以降は会話も無く目的地に辿り着いた。
「これ、生きてるのか?」
そう不謹慎な物言いになってしまうほど、異様な光景であった。
湿った石づくりの階段を下りた先で、広々とした空間に二十人分のベッドが等間隔に並べられていた。その内の四台に人の陰は見えるも、そのどれもが死体のような色をしていたのだ。
ベッドの数分の蝋燭の光が、儚げに患者たちの青白い肌を照らしていた。
「今はまだ、な」とシルバは患者の一人に寄り添い、痩せた手を撫でた。患者の反応は無く、か細く呼吸する音を喉で鳴らすだけだった。
「最初の感染は五年前、コレール人が初めて山を下りて侵略しに来た時だった」
そう語り始めたのは、ユリウスだった。沈痛な面持ちで腕を組んでいた。
『霊失病』──五年前、アヴニール山脈を越えてこなかった奴らが、何の兆しも無く現れた。その人数は少なく、おそらく偵察の類いだろうと最初は結論づけられたが、その後の感染拡大を経て、それが計画的な戦略であったことを悟った。
偵察隊の排除は難なく済み、対応した部隊が都に戻ってくるや、翌日には部隊の全員が高熱で倒れた。三日目には、体中に赤黒い斑点が広がり、四日目に、悍ましい何かを見たような表情で亡くなってしまった。
三日目の段階で、今度は風俗街で感染が確認され、四日目には住宅街や商店街などの住人にも病は広がっていた。その患者全てが一週間もせずに亡くなってしまう。国王は存亡の危機だと判断し、各国の医師を呼び寄せた。
数十名の医師が己の名を上げようと、病の感染経路の解明と治療方法を探した。
だが、その殆どが霊失病に感染し、命を落とした。
「偉そうに医師だと公言してたっつうのに、どいつもこいつも祈祷師や呪術師の類いだった。呪いで病は治らねぇ。呪いで治せるのは呪いだけだ」
そう語ったのは、シルバであった。
彼女もまた国王の救援要請に応じた医者の一人であったが、その中でも唯一の〝医師〟であった。経験と学問に基づく技術と知識を申し分なく振るい、僅か一年ほどで感染経路を突き止め、霊失病の進行を抑える薬を開発してみせたのだ。
それは正しく偉業。英雄と称されるに値する功績である。
彼女が『天人』であることを踏まえても、人々は彼女を英雄として称賛した。
イスに腰かけるシルバの白衣の裾を持ち上げて、それは飛び出した。
「他の天人を見るのは初めてか?」
「それ、尻尾だよな」
黒く艶のある鱗に覆われた尻尾が、彼女の裾を持ち上げて、ゆらりゆらりと揺れている。
「尻尾だけじゃねぇ」と今度は口をあんぐりと開いてみせた。ロマンはぎょっとして顔を引いた。彼女の口内が黒かった所為だ。白い布に墨汁をぶちまけたような黒さで、粘膜特有のぬめりで表面はてかてかしていた。
そういえば、彼女の瞳孔は猫のように縦長だった。あれは猫ではなく、爬虫類系の瞳だったのか。
「神に呪われたんだよな? 一体、どんな奴だった?」
天人が神に呪われた者を指すと謂うのなら、彼女は神に出会い、何かしら不遜な行いをしでかしたに違いない。
しかし、シルバは飄々と肩を竦めた。
「知らねぇ。神様ってのは、どこにでもいるし、どこにもいない。人前に姿を現すことなんて滅多に無いのに、出たら出たで珍妙な警句を囁くか、呪うかだ。あたしの場合は、独占欲の強い神様の国を出たから、親不孝者めって呪われたんだろうよ」
そいつはまた、器の小さい神がいたもんだ。
「要するに、住む人間全てが箱入り娘でないと気が済まない神様だったのさ」
ユリウスは溜息交じりに「そういう所が逆鱗に触れたんだろ」と言った。
「お前も大概だろ。病で倒れた時も、神を罵倒していたらしいじゃねぇか。そこの優男に聞いたぜ。騎士団では有名な話だって? 呪われずに済んで良かったな」
びくり、と脇役を貫いていたカルロが反応した。ロマンの後ろから顔を出し、ユリウスの無言の圧力にたじろいだかと思えば、思い出したかのように挙手した。
「そういえば、今日から始めるんですか? 一応、彼用の隔離室は用意してありますけど、流石に明日とかの方が僕たちの睡眠時間的に助かるなぁ、と思ったり」
苦しい逃げ方ではあったけれど、もっともな意見だった。死ねば疲れも病もリセットされるロマンとは違って、騎士団は遠征の疲れを休息で解消しなければならない。ここで満足な休息も取れないまま、あまつさえ朝早くから仕事があるとなれば、事故や病気に罹る要因となる。都を守る騎士団としては、休息はもっとも軽んじてはいけない仕事の一つだ。
もちろん医師である彼女も、その点は誰よりも理解していた。
「そうだな。早ければ明日の昼からだ。準備が出来たら助手を行かせるようにしよう。あんたら騎士たち用の食事も用意してあるから、別棟に着いたら食堂に案内してもらえ」
「承知しました! では、さっそく別棟まで案内致します!」
彼女の言葉を合図に、そそくさとカルロは踵を返した。もう二人の騎士も顔を見合わせ、隊長と奴隷のために道を空けた。
ユリウスも怒る気が削がれたのか、「……行くぞ」と無精ひげを撫ながら歩き出す。ロマンもシルバに一言挨拶をして、その後に続いた。
彼女は振り向くことなく、患者の手を摩り続けていた。




