ルラックル北部ファン高原
ファン高原と呼ばれる台地がある。
ルラックル大陸の北、大陸を横断するアヴニール山脈を越えた先に、短い草に覆われた台地が横たわり、川は常に半ば凍っていた。
この地に生きる者は皆が細く、しなやかで、強かだ。植物は細く黒く、動物と〝魔物〟は大きくどっしりと構え、大地は鉄のように硬い。
ところが、この地に生きる人々は、ひどく卑しく、姑息で、弱々しい。
あるとき、その地に異教の神を信仰する集団がやって来た。どこから、どうやって、どうして。それらの答えを知る者は、とうの昔に死に絶えた。
数年前、彼の国の戦士が〝疫病〟を広めた。
その病は特異な症状から『霊失病』と呼ばれた。元来、人々には霊力が宿っており、霊力は魂から生じる力である。霊失病は文字通り、霊力を失う病──すなわち、魂を失っていく病なのだ。
今回の遠征でも、四人感染してしまった。日に日に衰弱し、じきに息絶えるだろう。せめて、戦の場で死ねれば本望だろうが、剣を握れもしない。
悔しい筈だ──仲間と志を同じくして、その場に立てないのだから。
憤っている筈だ──己の不甲斐無さに、腹の底が煮え滾っているから。
一人の男がテントの中に並べられた死体を見下ろしていた。その死体はくすんだ青色に変色しているだけでなく、赤黒い斑点が全身を覆っている。男の傍にいる少女が死体に布を被せ、悔し気に唇を噛んでいた。
「あの人だったら」という彼女に、男は「あいつでも無理だったさ」と慰める。
フラワーリップ・レディ。病院の看護師であったが、疫病に罹った騎士たちの看病役として今回の遠征に付き添っている。すでに疫病の予防法は確立されたというのに、四人も感染者を出してしまったことを悔いているのだ。
そのとき、テントに人影が差した。
「ユリウス隊長、皆の準備が整いました」
「ああ、わかった」
ユリウスはテントを出て、早足で所定の位置へ向かった。規則的に並ぶ男たちの間を抜け、集団の最前列に立った。
そして、丘の上で待ち構える敵影を睥睨した。
ロゼ騎士団。ルラックル王国が誇る不敗の騎士団において、攻撃の要となる部隊を率いる男ユリウスは不敵な笑みを浮かべた。視線の先の戦士たちは晴れた青空を背にして、魔物の革で作られた鎧を纏い、剣を両手に携え、開戦の合図を今か今かと待っている。
「全員、盾を持て!」
ユリウスの号令で数十名の騎士たちは、一斉に背負っていた盾を胸の前に掲げた。
異教の国コレール。古き神を崇める愚か者たちの国は小さく、貧しい。だが、彼らが住まうファン高原とルラックル王国の国土を隔てるアヴニール山脈が、か弱く卑しいコレールを護る強力な防壁となっていた。
壁の如き傾斜、まつげも凍る冷気、瞬きの間に変わる天気、そして腹を空かせた魔物たち。それらの脅威を乗り越え、この地に攻め入るのには苦労を強いられた。
だが、彼らの遺志を無下にはしないと、騎士たちは己の盾に誓い、命を賭す。
敗走の未来は見えない。たとえ後手に回る戦であっても、その全てに勝利してきた騎士たちに不安は無い。
ユリウスは大きく息を吸い込んだ。鋭い冷気が肺を侵すのもいとわず。そして
「突撃ぃ!!」
「うおおおおおおおおぉぉ!!!」
銀色の軍勢が硬い大地を駆る。コレール戦士団も迎え撃つために弓を番えた戦士が前に出た。それを目視した騎士たちは、各々が持つ盾を前に構えた。
刹那、矢の雨が騎士団を襲う。
「っ!」
さながら泡の上を走る光のように、矢は鎧に弾かれ、通り過ぎた大地に突き立つ。
「構えぇ!!」
再び、ユリウスの号令が轟くが早いか、最前の騎士たちは鉄剣を構えた。
先陣を切るは、他よりも巨大な鉄剣を携えたユリアスだった。
「おおおおおおおぉぉぉ!!」
敵軍の最先端を両断し、勢いそのままに更に二人斬り伏せる。もちろん相手も黙ってやられるカカシではない。
ユリウスの左右から戦士が同時に襲いかかった。
「隊長!」
二人の騎士が戦士たちを焼き斬った。更に怒涛の勢いで騎士団が流れ込む。一人二人三人と次々に戦士の首が落ち、血と焦げる肉の臭いが広がっていく。
「下がれ、下がれぇ!」
堪らず一部の戦士が逃げようと背を向けた。
しかし、ここは戦場だ。
「かはっ!」
そして、相手はロゼ騎士団を率いる『白狼』ユリウス。逃げ腰の獲物を逃しはしない。
「ぐっ……戦士様……戦士様、どうか、どうか……我らに」
「戦に生きられないのなら、剣を握るな阿呆」
ユリウスは落胆した様子で、這いつくばる敵の首を斬り飛ばした。
いくつもの命が猛り、消える。
それが戦場で、ここが戦に生きる者たちの『故郷』。
その時間は、まだ続いてくれそうだ。
◆
戦も佳境に入った頃、ひとりの騎士が空を見上げた。
何か予兆があった訳ではない。なんとなく、感じたのだ。
──何かが降って来る、と。
ヴォルスパシアル・エマは、番えていた弓を下ろして、地面の窪みに身を隠した。
そして、望遠鏡を取り出し、上へ向けて覗き込む。グイッと空が近づいた。茶色い筒そのものを回して、さらに拡大すると、そこに蠢く点を発見する。
なんだ、と目を凝らすのも束の間、エマはその正体に気づいて「うそでしょ」と声を震わせた。
ひとだ。ひとが降って来る!
その人影はすさまじい速度で落下していた。しかも、エマが隠れている窪み辺りを落下地点に見据えてだ。
「退避! 退避ぃ! 空から人が降って来る!」
エマは弾けるように窪みから飛び退いた。周りの騎士も数人はエマの声に気づいて、距離を取っているが、剣戟と怒号に呑まれている人たちは気が付いてすらいなかった。
ちくしょうっ!
まもなく小さな爆発が戦場の一角に生じた。数人の男たちが衝撃に吹き飛ばされ、直撃した戦士の欠片が辺りに散らばった。
「なんだ!」「なにが起きた!」
怒号と困惑が入り乱れるのも束の間、男たちは小さなクレーターとなった場所を避けるように別れ、敵に飛び掛かった。一瞬の遅れが命取りになる以上、些末なトラブルに気を取られる訳にはいかないのだ。
あの人影を目視で確認したエマ以外は──。
「はだか、だった」
そう。落下してきた人間は裸であった。
エマは辺りに戦士がいないのを確認して、再び望遠鏡を覗き込むも、乱雑に入り乱れる戦場の所為で、落下地点が隠れてしまっていた。
その時、何者かの足音が耳に入り、エマは顔を上げた。
「よそ見しない! 伏せて!」
騎士ガルロ・カルロがエマの傍に滑り込み、エマへ向かって放たれた弓矢を盾で逸らした。逸れた弓矢はかっかっと硬い地面に弾かれて転がる。
危なかった。カルロが助けに入られなければ、頭に突き刺さっていたかもしれない。
「何があった!」
カルロの窘める声で我に返る。エマは弓兵でありながら、周囲の警戒が疎かになっていた自分を恥じた。それも束の間、すぐにエマだけが認識する異常事態を共有した。
「裸の人? あのクレーターを人間が作ったっての?」
「でも、確かに私は見たわ。赤い髪の男がぐるぐる回りながら、地面に叩きつけられるのを、この目で」
「そう言われても、あの大きさは隕石の類いか、投石器とかじゃないと」
その会話中も弓矢は飛んでくる。それをカルロが捌きながら、すかさず相手の弓兵をエマが射抜く。
「もし、あそこに人が落ちて来たとして、どうしたらいいの?」
「どうしたらって……こんな事は流石に初めてだし。僕に聞かれてもなぁ」
「しっかりして。新参者の私じゃ判断できないから、貴方が判断するべきじゃない?」
この戦はエマの初陣でもある。今までは森や平原で魔物を狩ってきた。そんな生活を続けていれば、嫌でも山賊に絡まれる事がある。そんな状況を一人で乗り越えて来た自分は、他の女よりも〝強か〟である自信がある。だけど、この奇天烈な状況を解決する術は心得てない。
「────わかった。僕が確認してくる」
「一人では無茶よ」
エマが反対の意を示すと、カルロは苦い顔で叫んだ。
「弓兵であるキミを行かせる訳にはいかない。そうなると、僕が行くしかない! 違うか!」
エマは何も言い返せず下唇を噛んだ。この場で状況を把握しているのは、二人のみ。戦況は常に変動しているため、これ以上の言い争いは状況を悪化させるだけ。もし、あの落下物が優勢となった戦況をひっくり返すことがあれば、戦犯はエマとカルロの二人になってしまう。
エマは泥に濡れた手を拭い、矢を抜いて弓に番え、敵を睨んだ。
「私が行く」「何を言ってる! キミは弓兵だろ!」「最初に見つけたのは私だ! だから私が確かめるべきでしょ!」「一人じゃ、無茶だ」「だから、貴方が私を守って」
殴りあうような会話だった。
この状況を探れるのは、この場において二人しかいない。これほど奇妙な事態を一人で確認しに行って、それで死なれても目覚めが悪いのは、お互いが思っていることだった。
カルロも幾許かの思案の末に、「頼んだよ」と顎を引いて了承の意を示すや、鉄剣を手にして飛び出した。
すぐに、エマを続いた。
なぜか、先ほどよりも焦げた臭いが強まっている。そんな気がした。
◆
目覚めは女の平手打ちだった。
「起きろ!」
「ぶへぇっ!」
硬くざらざらした衝撃が玄房の頬を打ち抜いた。
なんだ! 何が起きた! 誰だ、俺の端正な顔を殴った糞野郎は!
突然の打撃に玄房は飛び起き、眼前に銀色の岩が迫るや、驚いて後ろに転倒して頭を打った。今度は後頭部への強烈な一撃を喰らい、頭を摩りながら涙目になる。
そこに銀色の鎧を着こんだ女がいた。
「鉄の……甲冑?」
その女以外に、重厚な鎧に身を包んだ者もおり、そいつは玄房らがいる穴に部外者を入れないよう、剣を大きく振って牽制していた。あれは、兵士だろうか?
玄房の知る甲冑はもっと色鮮やかで、布みたいな鎧だった。しかも、奇妙なのは防具だけでなく、その手に握る剣と盾にも言えた。
打って変わって、女の方は弓兵らしく、弓の動作を阻害しないよう身軽な装いで、構えられた剣先は、玄房へ向けられていた。
そこで、女の怒号が玄房の鼓膜を揺すった。
「その赤髪と瞳、コレールの戦士ではないね! 何者なの!」
女の問いを正しく認識するよりも早く、玄房の思考は〝恐怖〟に支配された。
「おおおおおおおおぉ!」
「何をっ──」
そのとき、明確な勝機など無かった。ただ、目の前の脅威から命を守ろうとした。
玄房は雄叫びを上げ、全力で女に突進していた。
女も反射的に応戦し、短剣が玄房の横腹に刺さりはしたが、決死の突撃は止まらず、正面から受け止めてしまう。鎧を着こんでいるとはいえ、装備は最小限で、なおかつ身軽な女の体は障害と成り得なかった。
「エマ!」
近場の兵士が異変に気付いた時には、もう玄房の手が穴の縁にかかっていた。
「降りてこい変態!」
「うるせぇ!」
玄房は兵士の疑問を一蹴りして、勢いに任せて飛び上がった。
そして、己の目を疑い、己の状況がサイアクである事を悟る。
戦っていた。銀色の兵士と茶色の兵士が斬り合い、刺し合い、殴り合い、蹴り合い、撃ち合い、罵り合っていたのだ。剣が落ち、盾が落ち、首が落ち、腕が落ち、脚が落ち続ける。そこは正しく死屍累々そのもの。死そのものが台地に横たわっていた。
「でやあああぁ!」
目の前で茶色の兵士が鉄剣ごと両断され、吹き飛んだ上半身が玄房に乗り被さった。
赤く、温い液体と酷く重い肉塊が、裸の玄房を赤く染め上げる。
「お、おい」
安否を確認するため声をかけていた。どうあがいても助かりはしない。きっと、気が動転していたのだろう。死んだかと思いきや、戦場の真ん中で目覚め、弓矢を向けられ、血肉を浴びたのだ。
不意に、銀色の兵士の一人が玄房にぶつかり、尻もちを着いた。制御を失った白い剣先が玄房の頬を浅く焼き斬る。
「うわああああああああああああぁ!」
瞬間、玄房は弾けるように逃げ出した。鍔迫り合う兵士の間を、飛び交う矢の間を、慟哭と恍惚に揺れる戦場を転がるように走る。
「そっちはマズい! 止まりなさい!」
警告する女の声にも気づず、一心不乱に駆け抜けた。
そして、
「えっ?」
唐突に玄房の首が宙を舞った。
それは一瞬だった。僅かな予兆もなく、気づいたときには自分の無様な裸体を正面から見ていた。他人と自分の血に濡れるだけに飽き足らず、腹に矢を受け、その血は赤黒い。
ゆったりと進む時間の中で、もう一つ気になる存在がいた。
その存在は銀色の兵士たちよりも、少しばかり大柄で、背中に盾を背負い、右手の白い剣を縦に振り抜き、左手に奇妙な形の金槌を持っている。
金槌? なぜ、こんな場所で?
そんな疑問を覚えたところで──玄房の意識は暗転した。
◆
奇妙な男を殺してしまった。
特に罪悪感など無い。ここは戦場で、不審な存在は手早く処理するに限る。
とはいえ、だ。
ユリウスは少し乱れた息を整えつつ、構えを解いて兜を脱いだ。
くすんだ白髪をかき上げ、無精ひげの顔を腰の布で拭う。四十六にしては若々しい印象を受けるのは、日頃の鍛錬で身体を動かしているからか。そうはいっても、最近は腰や肩の痛みを無視できなくなってきた。若作りに無理が出始めていた。
数十年も騎士として戦い抜いてきたのだ。このまま老衰なんて、そんなつまらない死に方はしたくないし、戦場でしか出会えない珍事を一度でも体験してしまえば、また別の珍事に出会えるんじゃないかと欲が出るのだ。
しかしながら、戦場で裸の男を見るとは思いもよらなかった。それもあって、少しばかり興味が湧いてしまい、敵を屠る手を止め、その死体に歩み寄った。近場に敵兵はおらず、少し離れた所で部下たちが戦っており、残党狩りに移りつつある。
「隊長!」と呼ぶ声に振り向くと、駆け寄ってくるエマの両手に赤髪の頭を抱えられているのが見えた。ユリウスは「貸せ」と乱暴に赤髪を掴んで、目の前にぶら下げてみる。
彫りの浅く、黄色の瞳をした若い男の顔だった。
顔立ちは東洋人に近いけれど、赤い髪色を持つ民族など聞いたことも無い。古い民間伝承の悪鬼は赤髪だったらしいが、あれは空想の生物だし、この男を悪鬼とするには、小さい上に細すぎる。
そこで、徐々に頭全体が熱を帯び始めているのに気づいた。
──そこからは一瞬だった。
異変に気付いたユリウスが頭部を放って、金槌を締まって盾を構える間隙に、頭部の首の断面が火を噴いた。しかもユリウスたちが知る火とは、少し違った。
夜空を想わせる色をしていたのだ。
暗く濃い青の中に光が瞬く火は、意思を持っているかのように蠢き、片割れの身体にある断面に伸びた。その身体の首元からも、同色の火が噴出していた。
ヒトの腕の如く伸びた火は繋がり、引き合うように動き出し、頭と身体を繋げる。
まるで、時間が巻き戻っていくかのように、赤髪の男の瞳に光が戻り始めた。
「何が起きている……?」
「た、隊長。これは──」
ユリウスは信じられない現象を前に呆然とし、傍まで来ていたカルロが怯える声を出したが、応える余裕など無かった。
ただ一心に、頭と身体が繫がっていく赤い男から目を離さず、剣の柄を握る力を強める。
◆
「どうして弟に優しくできないの!」
母の手の平は、いつも赤かった。洗い物でカサつき、皮が切れ、言うことを聞かない長男の頬を叩く度に、痛めていた。
「謝りなさい!」
また、母は頬を叩いた。
俺は謝らなかった。何が悪かったのか、分からなかったからだ。
「どうして、謝れないの!」
また、母は叩いた。
それでも俺は無言を貫いたけど、涙は止まらなかった。怖かったから喋れなくなかったんじゃない。不満だから口を噤んでいたんじゃない。
「どうして! どうして! どうして、言うことを聞いてくれないの!」
また、母は叩いた。
ただただ、俺は母に構ってほしかった。
働いて疲れているのは知っていた。弟と妹の世話が大変なのは知っていた。貧乏人を見下す近所の人の目が辛いことを知っていた。
「貴方のこと、愛してるのに……どうして、どうしてよぉ」
このとき、俺は分かった。
ここに安息は無い。
ここは、俺を閉じ込める牢屋だ。
母という存在こそ、鉄の檻そのものなんだと。
俺に自由なんて、無かったんだ。
◆
「──はっ!」
何か、変な夢を見ていた気がする。
玄房は目覚めると同時に、頭が付いているのを両手で確かめ、次に短剣が刺さっていた脇腹を摩った。そうして、気づく──全身の傷が完治している事実に。しかも古傷含めだ。
加えて、自分の髪色が黒から赤に変化しているのにも、ようやく自覚した……そういえば、先ほどから赤い髪は視界の端でちらついていたし、視界も広かった。
最後、首を落とされた自分の姿を見た気もしたが──。
「お前、何者だ?」
ハッとして顔を上げると、あの夢に出て来た兵士の姿が目に入った。鉄剣を携え、盾を背負いなおして、金槌を握りしめる兵士がそこにいた。
「下手に動くなよ」
兵士の剣先が顔の真横に添えられた。ヒリつく熱を確かに感じ、足先から冷たい恐怖に侵され始める。両脇には、見覚えのある男女の兵士が同じく、玄房を逃がすまいと武器を構えていた。
世界地図⤵
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