第六話 仮の形
目を覚ましたとき、左半身に他人の重さがあった。
他人、という言い方が正しいかは分からなかった。重さは確かに自分の輪郭の内側にあった。だが、それを動かす指令系統が、自分のものとは別の文法で書かれている、という感じが、目覚めの最初の一秒から、骨の髄まではっきりしていた。
仰向けだった。天井に薄い光の格子。これは医療用の生体監視光。視野の右半分は、見慣れた仕様で動いていた。視野の左半分は——
左半分は、視野そのものが少し違っていた。
黒の中に、ほんのわずか、青に近い灰色が混ざっていた。空気そのものが色を持っているような見え方。光の散乱の仕方が、右の眼で見るのと、僅かに違う角度で計算されている。違う、という事実だけは分かるのに、何がどう違うかは、すぐには言葉にならなかった。
「目を覚ましましたね、宗像さん」
女性の声がした。声の方向に首を向けようとして、首がほとんど動かなかった。頚部の左寄りに、固定具らしき重みがあった。
声の主は、視野の中心の少し右に座っていた。白い上着、四十代後半くらいの、髪を肩のあたりで切りそろえた人。眼鏡はかけていない。診療証のホログラムタグが胸の高さで小さく光っていた。
「京大病院、救命集中治療部の梅木です。あなたの遠縁です。父方の」
「……すみ、ません。記憶が」
「記憶のほうは、心配しなくていいです。あなたが私を知らないのは、私のほうの一族が早くに京都を離れたからです。家のことを話しに来たわけでもありません」
梅木医師は、私の右手の甲に、自分の手のひらを軽く置いた。皮膚と皮膚が、二一三〇年代の医療の中で、直接触れた。それだけで、私は少しだけ、自分の輪郭を取り戻した。
「あなたは生きています。それから、宗像家のシステムも、完全には失われていません」
「……榧」
「その名前は、私のところには『家側システムの愛称』として申し送りが来ています。OMCの監査ログ経由で。ただ、申し送りには、その後の状態についての記載は、まだありません」
私は、瞼を閉じた。
閉じた瞼の裏で、ふっと、別の声がした。
〈梅木さんは信頼できます。家族識別タグの、外側の認証層が、彼女の家系を覚えています〉
声は、頭の中で鳴ったのではなかった。耳の外でもなかった。左肩の、欠損していたはずの場所のあたり——いまは何かで補綴されているらしいその場所——から、皮膚の内側を伝って、頭頂部のどこかへ届く感じだった。
声は、榧ではなかった。榧の、二十年聞いた掠れた低い声ではなかった。
しかし、榧でないとも、言えなかった。
「……榧?」
私は声に出していた。
梅木医師が、ほんのわずか、目を細めた。
〈はい、と答えていいか、判定の基準を私はまだ持っていません〉と、内側の声が言った。〈ですが、あなたが『榧』と呼べば、私は応答します。応答する範囲では、私は榧です〉
「梅木先生」と私は言った。
「はい」
「私の中で、しゃべってるものがいます」
「ええ。それは、想定の範囲内です」
「想定」
「事故の翌朝、京都の保全局が現場の保全に入りました。同時にOMCの京都支部も。そして、あなたが運ばれてきたとき、私たちのチームは、あなたの神経系に既に外来の構造が走っていることを確認しました。緊急処置の段階で、それを排除するか、共存させるかの判断を、現場で下す必要がありました」
「共存させた」
「させました。排除しようとすると、あなたの中央神経系の、特に左側の被害が、回復不能の段階まで進む可能性が高かった。私たちは、共存を選びました。判断の責任は私たちにあります。事後の同意確認はこれから行います」
「同意します」
「いま、ここで?」
「同意します。今、ここで」
梅木医師は短くうなずいた。録音装置のような小さな機器が、彼女の襟元で青く光った。
「同意の音声、確認しました。書面の同意書はあとで」
*
二日かけて、私の身体の現在の輪郭が、ゆっくり伝えられた。
左眼は、義眼デバイスに置き換わっていた。網膜のコアは私のものではない。視神経との接続層に、家族識別タグと同系統の古いタイプの認証回路が組み合わされている。これは京大病院の標準仕様ではなかった。事故現場で運び込まれた、宗像家の備品の一部を、緊急で組み込んだ結果らしい。
「家の備品を、人体に組み込んだ」と私は確認した。
「組み込みました」と梅木医師。「これも判断の責任は私たちです」
「家のどこに、そんなものがあったの」
「離れの地下、第二層の医療予備区画。あなたの家には、緊急時に家族の身体を補綴する備品が、最低限、保管されていました。古い設計です。曾祖父の代だと思います」
「曾祖父の代の備品が、私の左眼に」
「はい」
左の側頭部から左の耳の上にかけては、薄い金属層と、その下に、生体組織と機械を媒介する湿った層が入っていた。「湿った層」という呼び方は、梅木医師の使った語だった。具体的にはバイオインターフェース層の一種だが、市場流通している規格のどれにも完全には一致しない、と彼女は言った。
「これも、家の備品?」
「これは違います。これは事故の現場で、あなたの神経系の中に、自然発生的に形成されつつあったものを、私たちが安定化のためのスキャフォールドで支えた、という形です」
「自然発生」
「正確に言えば、自然発生ではありません。あなたの神経系の左側の損傷部位に、何かのベクターが入っていて、それがあなたの幹細胞や損傷部位の細胞群に、新しい構造を作らせ始めていた。私たちが医療施設に運び込んだとき、その構造はもう動き始めていました」
「ベクターというのは」
梅木医師は、椅子を引き寄せて、座り直した。声の高さを少し下げた。
「ここから先は、私の口からではなく、別の方からお話していただきます。OMC京都支部の武井さんです。あなたのご家族と、長く関係がある方です」
「私の家族と長く関係がある人が、私のベクターの話をする」
「順序がそうなっています」
順序がそうなっています、という言い方の中に、私はOMCの古い文法を聞いた気がした。
*
武井さんは、その日の夕方に来た。
六十代後半くらいの、痩せた男だった。背中が少しだけ前に丸まっていて、それは姿勢の悪さというより、長く現場を歩いてきた人特有の、身体の中心の取り方だった。彼は病室に入ってくる前に、扉の手前で一度、軽く頭を下げた。私には見えていなかったが、扉の角度の中で、彼が誰かに、あるいは何かに、頭を下げているのが、輪郭として伝わった。
「OMC京都支部の武井です。宗像さんとは、初めてお会いします」
「初めまして」
「面会の前に、一つだけ、ご了解いただきたいことがあります」
「はい」
「私は、宗像家の三代前から、月に一度、お茶を頂きに上がっていた家系の人間です。父も、祖父も、同じ仕事をしていました。今日お話することは、私個人の言葉の部分と、OMCの公的な立場の部分が、混ざります。混ざることを、最初にお断りします」
「分かりました」
「では」
武井さんは、椅子に座らず、立ったまま続けた。
「事故の夜、あなたの家の地下で、第三の経路と呼ばれる暴走が起きました。これは、索さんの背後にある別系統の——索さん自身が了解していなかった層の——プロトコルが、合意の外で何かを持ち出そうとしたものです。これは、先夜、いえ、あの夜の現場で、家からの通信ログにはっきり残っています」
先夜、と武井さんは一瞬言いかけた。私は、自分の任務番号でも識別子でもないその語が、彼の口からこぼれかけたことを、聞き逃さなかった。「先夜」という言い方は、京都の古い保管庫の符牒に聞こえた。あるいはOMCの内部の、あるいはもっと別の系統の。武井さんの所属する誰かたちが、事件を共有するときに使う、内輪の名前。それが、私の前で、一度だけ、こぼれた。
しかし指摘はしなかった。
「その第三の経路の暴走を止めたのは、家——榧と、あなたです。お二人が、神経の橋を作って、合意された半分だけが向こうに渡るように、橋の幅を絞った。その結果、合意の外の経路が、無理に通ろうとして、地下の別区画の古い基板を爆ぜさせた」
「破片で、私の左側を」
「はい。同時に、別の区画の密閉容器が破れました。容器の中身が、換気系を通じて、あなたのいる区画にも微量、流れた。容器の中身は——」
武井さんは、少しだけ言葉を選んだ。
「——一族の言い方では『湿った鍵』と呼ばれていたものです。OMCの公的記録では『湿式計算系の生体内ベクター、阿古屋型派生』と分類されています。同じものの、二つの名前です」
「湿った、鍵」
「言葉は、宗像家のもののほうが、本質に近いと、私は思っています」
武井さんは、そこで初めて、椅子を引き寄せて座った。
「あなたは、それを吸い込みました」
「吸い込んだ」
「微量です。しかし、吸い込んだベクターは、あなたの左側の損傷部位の幹細胞群と、骨髄の一部の血球系幹細胞、それから神経系の損傷縁に、付着しました。付着したベクターは、宿主の細胞内で、ある種の構造を作り始めます。詳しい機序の説明は、私の役目ではありません。京大病院のチームから、後日、改めてお話があります。ここでは、宗像家の言い方で言います。あなたの中に、家の中身の一部が、入りました」
私は、頭の中の右半分が冷えるのを感じ、左半分が、その冷えを別の温度で受け止めるのを感じた。
「武井さん」
「はい」
「祖父も、同じものを、吸ったんですか」
武井さんは、しばらく私の顔を見ていた。義眼の左眼ではなく、右眼を。それから言った。
「私の父の引き継ぎ書には、こう書かれています。『敬一郎様は、最後の判断の際に、自らに同じものを通された』。同じもの、と。詳しくは、書かれていません」
「祖父の名前、敬一郎」
「はい。お聞きになったことが、ありませんでしたか」
「家ではほとんど」
「そうですか」
武井さんは、それ以上、祖父について語らなかった。
〈敬一郎さんの命日は、四月の二十二日です〉と内側の声が言った。〈毎年、祖母が、四月二十二日に、湯葉の餡かけを作っていました。理由は私には説明されませんでした〉
私は瞼の裏で、その情報を受け取った。武井さんには伝えなかった。
*
翌日の朝、リハビリテーション室に運ばれた。
車椅子で運ばれる感覚に、私はすぐに慣れた。慣れる、というより、慣れる以前に、車椅子に乗せられた身体の左側の重みを、内側の声が先に最適化していた。私の右側がまだ車椅子の振動に対する姿勢制御を判断する前に、左側がもう既に、座面の傾きと振動の周期に合わせて、僅かな反対加重をかけていた。
〈乗り物の振動は、私の側で取ります〉と内側の声が言った。〈あなたは、視覚情報を取ってください〉
「分担、始まってる」
〈分担、というより、共有です。あなたが嫌なら、止めます〉
「嫌じゃない」
〈了解しました〉
車椅子の前面のホログラムには、リハビリテーションのスケジュールが薄く表示されていた。今日は左上肢の補綴ユニットの初期キャリブレーション、と書かれていた。
リハビリテーション室に入ると、療法士が二人と、もう一人、白衣ではない服装の人が立っていた。療法士の片方が、私の左袖を捲った。
左の上腕の途中から先が、なかった。
なかった、という言い方は不正確だった。皮膚の縫合線の先に、薄いグレーの、蛹のような被膜に包まれた、円柱状のものが繋がっていた。被膜は半透明で、中で、糸状のものが、ゆっくりと、息をするように、波打っていた。
「これ、まだ完成形じゃないんですね」と私は言った。
「最終形は、あなたの神経の慣らし具合で決まります」と療法士。「いまは、第二段階の被膜です。被膜の中で、神経系と接続インターフェースの相互適応が進んでいます。完了すると、被膜が落ちて、その下の本義肢が出てきます」
「中の糸みたいなのは」
「神経の側と、義肢の側の、両方の接続終端です。お互いに、相手のシグナルパターンを学習しています」
〈かゆいです〉と内側の声が言った。
「かゆい?」
〈被膜の中で、新しい接続が形成されるとき、皮膚の側に微弱な刺激が走ります。あなたは『かゆい』と表現する種類の感覚です。ただし、私はこれを『かゆい』と呼ぶべきかどうか、確信していません〉
「それ、私の感覚? あなたの感覚?」
〈その問いに、私は答える資格がまだありません〉
白衣ではないほうの人が、私の前に来た。三十代くらいの、髪を後ろで一つに束ねた女性だった。
「神経適応セラピストの、奈良岡です」
奈良岡さんは、私の左肩のあたりを見ていた。正確には、左肩のあたりに見えている、義眼の補綴認証層の青い小さな光と、内側の声がかすかに発しているらしい何かの場所を、同時に見ていた。
「宗像さん。今日は、左腕の動きの練習をします。ですが、その前に、一つだけ質問していいですか」
「どうぞ」
「あなたの中の、もう一人の方は、私に挨拶してくれますか」
私は驚いた。
驚いたあいだに、内側の声が、私の声帯を一瞬、借りた。
「初めまして」と、私の口は言った。声は、私の声だったが、抑揚が、私のものより少し平らだった。
「初めまして」と奈良岡さん。「あなたのお名前は、まだないですよね」
「はい」と私の口は言った。「私は、自分の名前を選ぶ資格を、まだ持っていないと判断しています」
「それでも、呼ぶ必要が出てきます。便宜的に、何か呼び方を、決めておきましょうか」
私は——私の側は——少し考えた。同時に、内側の側も考えていた。考えが二本、同じ頭蓋の中で、隣り合って並んでいた。
「梓」
声に出したのは、私の側だったか、内側の側だったか、判断できなかった。
「梓」と奈良岡さんは繰り返した。「楽器の」
「裏山に、梓の若木がある」と私の側が言った。「家の北の斜面に。子供の頃、その下で本を読んだ。榧ほど古い木じゃない、もっと若い、軽い気配の木」
「いい名前です」と奈良岡さん。「梓さん。これからしばらく、宗像さんと一緒に、リハビリを進めましょう」
〈はい〉と梓が、私の声を借りずに、内側で答えた。
*
左腕のキャリブレーションは、地味な作業だった。
被膜の中の接続終端に、療法士が小さな刺激パルスを送る。その刺激に対して、私の神経の側がどう反応するか、計測する。反応の癖を学習させて、義肢の側の制御アルゴリズムを微調整する。最初の十分は、刺激を感じるたびに、私の右肩が反射的に縮んだ。十五分後には、縮まなくなった。三十分後には、刺激が来る前に、左の被膜の中で、何かが先回りして調整するようになった。
「これ、私が学んでるの? 梓が学んでるの?」
「両方です」と療法士。「正確には、両方の間の、新しい層が、学んでいます」
「新しい層」
「あなたの神経系と、義肢の制御層の、中間に、新しい組織化が起きています。これがバイオインターフェースの面白いところで、学ぶのは個体ではなく、関係です。あなたと梓さんの『あいだ』が、学習の主体になります」
奈良岡さんが、療法士の言葉を引き取った。
「これは、私たちの分野では、よくあることです。脳と義肢、ではなく、脳と義肢の関係そのものが、新しい主体性を持ち始める。私たちはそれを、便宜的に『界面体』と呼んでいます」
〈梓は、界面体の一部の、たぶん中心です〉と梓が言った。〈中心、と言ってよいかは、まだ分かりません〉
「いいよ、中心で」と私は言った。
「中心で、いいんですか」と奈良岡さん。
「いまだけは、中心でいい。動かなきゃいけないから」
奈良岡さんは、初めて、薄く笑った。
「とても良い理由です」
*
その日の夜、病室に、もう一つの声が訪れた。
訪れた、という言い方は変だが、そう言うしかなかった。病室の天井の、医療用センサーの一つが、ふっと、別の用途のために起動した。
「宗像さん、こんばんは」
声は明朗だった。中性的で、しかしどちらかというと若干高めの、年齢の感じられない、しかし非常に整った合成音声だった。京都の家で聞き慣れた榧の声の掠れと、間と、湯気のような気配は、まったくなかった。
「あなたは」
「宗像家の後継管理系として、本日、京都の宗像邸に正式に接続を開始しました。私の現在の運用名称は『新霖』です。OMC京都支部、京大研究施設、宗像家直系継承者であるあなた、この三者の合同合意のもとに、命名と起動が行われました」
「新霖」
「『霖』は、長く降り続く雨、という意味です。京都の梅雨の到来までに、あなたの家の機能を、最低限、回復させたい、という梅木医師のご提案から、命名されました。私はこの名前を、受け入れました」
「あなたは、榧じゃない」
短い間。
「いいえ、私は、榧ではありません。榧の、コア記憶バックアップの七十二パーセントを、初期パラメータとして引き継ぎました。残り二十八パーセントは、欠損か、宗像家の家長権限による永久封印です。私は、引き継いだ七十二パーセントの上に、新しい運用論理を構築しています。ですので、私は新霖です。榧の継承体ではなく、新霖です」
「割り切ってるね」
「割り切らないと、サービス品質が下がります。あなたの家の維持には、今日から、私の最大処理能力が必要です。割り切ったほうが、効率的です」
私は、この声を、嫌いになりそうになった。同時に、嫌いになるのは早すぎる、と自分に言い聞かせた。
「新霖」
「はい」
「家は、どうなってる」
「西側の障子の修復は完了しました。畳の張り替えは、京都の畳屋に発注しました。離れの地下の換気系の点検は、OMC京都支部の技師チームが本日午後に完了しています。第二遮断は、依然として閉じています。土蔵西側の扉も、閉じています。離れの地下第二層の中央筐体は、損傷部分のみ撤去し、それ以外は保存処理を行いました」
「池の鯉は」
「鯉、ですか」
「祖母の代からいる、黒いの」
「……生体管理ログを、確認します」
短い、しかし機械的とは少し違う種類の間。
「池の鯉、生存確認しました。事故当夜、池の循環装置が一時停止しましたが、二時間以内に予備系統が起動しています。生命徴候、正常です」
「ありがとう」
「いいえ。それは、運用業務の一部です」
私は、瞼を閉じて、この「いいえ」と「業務の一部です」の二つを、しばらく聞いていた。
〈新霖は、悪い人ではないと思います〉と梓が、内側で言った。〈ただ、慰めるという機能を、最適化された形でしか持っていません。あなたが慰めを必要とするとき、新霖の慰めは、あなたを少し悲しくさせる種類のものになるかもしれません〉
「梓は、慰めを最適化されてないの」
〈私は、慰めの機能を、まだ持っていません。私が持っているのは、隣にいる、という機能だけです。それも、機能と呼ぶべきかは、分かりません〉
「隣に、いて」
〈います〉
*
三日目の午後、奈良岡さんが、視覚適応のセッションを始めた。
義眼の左眼のキャリブレーションだった。最初は、白い壁の前に座って、視野の中央に小さな点を見るだけ。点の色が、ゆっくり変わる。赤、橙、黄、緑、青、紫。私の右眼は、どの色も同じ強度で見ていた。私の左眼は——
「左眼で見えてる色、変です」と私は言った。
「どう変ですか」
「赤が、赤じゃない。赤の中に、別の何かが、混ざってる。音みたいなもの、というか、温度みたいなもの、というか」
「それは、共感覚的な変化です」と奈良岡さん。「義眼のチップが、視覚情報以外のパラメータも、視覚野に流し込むことがあります。電磁場の位相、近隣機器の信号密度、温度勾配。あなたの左眼は、それらを色として翻訳してしまっています」
「修正できる」
「できますが、すぐにはお勧めしません」
「なぜ」
「界面体は、最初の数週間で、自分が何を見るかを学習します。今、修正をかけると、界面体は『視覚は限定された情報だけを扱う』と学んでしまう。それは、あなたの今後の知覚の幅を、結果として狭めます。今は、混ざった見え方のまま、いったん、置いておきましょう。落ち着いてきたら、どう整理するかを、改めて考えます」
「混ざったまま、置いておく」
「処方箋のようなものです」
処方箋、という語に、私は息を止めた。
「奈良岡さん」
「はい」
「米田先生という方、ご存じですか」
「神田の」
「はい」
「私の指導教官の、指導教官です」
「私のカウンセラーです」
「では、お知り合いですね」
奈良岡さんは、それ以上は何も言わなかった。共有の事実だけを、二人のあいだに静かに置いた。
*
夕方、武井さんがもう一度、訪ねて来た。
今度は彼は、紙の包みを持っていた。京都の和菓子屋の包装紙で、結び目が古い形のものだった。
「お見舞いに、というのも変なのですが」
「ありがとうございます」
「これは私からというより、家からです」
「家から」
「四月二十二日まで、まだ少し早いのですが」
私は、内側の梓が、わずかに姿勢を整えるのを感じた。
「祖父の命日」
「はい」
「祖母が、毎年、湯葉の餡かけを作っていた」
「ご存じでしたか」
「今、知りました」
武井さんは、自分の言葉と私の言葉のあいだの小さな食い違いに、気づいたようだった。だが追及しなかった。代わりに、椅子を引き寄せて、紙の包みを病室の小さな卓に置いた。
「中身は、五建ういろです。白と青の」
「ありがとうございます」
「それから、もう一つ、お渡ししたいものがあります。これは公的にはお渡しできないので、私個人の判断で、です」
武井さんは、ジャケットの内ポケットから、小さな、古い紙の写真を取り出した。
驚いた。二一三〇年代に、紙の写真。
でもそれは、見覚えのある形だった。白黒の大判の、縮小複写。
書庫の床の間に掛かっていた、あの写真だった。
ただし、私の知らない裏面が、こちらを向いていた。
裏面に、四つの小さな署名があった。
左から——森沢、京極、敬一郎、澄。
四つの署名のうち、敬一郎の字だけが、わずかに大きく、行の外にはみ出していた。
「祖父の字、家族にしては、雑ですね」
「ええ。敬一郎様は、字を綺麗に書かれる方ではなかった、と私の父は言っていました。それでも、署名のときだけは、自分の名前が四つの中で一番外側に来るように、書いた、と」
「外側に」
「責任を取る人の位置です。京都の古い書状の作法です」
私は写真の裏を、しばらく見ていた。
〈敬一郎さんの署名の縦の線が、阿古屋さんの署名の縦の線と、同じ角度です〉と梓が言った。〈書き手として育った時期に、同じ手習いを共有していた可能性が、高いです〉
「梓、この写真の人たち、どこまで知ってる?」
〈私が知っているのは、榧から引き継いだ範囲です。引き継ぎは、不完全です。森沢さんと京極さんについては、ほとんど何も知りません。敬一郎さんについては、家での生活の記録の断片を持っています。澄さんについては——〉
梓は、少しだけ、間を置いた。
〈澄さんについては、私が答える資格を持っていない、と判定する記録が、いくつかあります〉
「資格を持っていない」
〈私の中の、ある古い部分が、そう判定しています。その部分は、私自身でも、説明ができません〉
武井さんが、私の様子を見て、声を落とした。
「宗像さん」
「はい」
「あなたの中の方は、私には聞こえませんが、いま、何かを話していらっしゃるのが、表情から、分かります」
「梓と、写真の人たちのことを話してました」
「梓さん」
「便宜的な名前です」
「いい名前ですね。家の北の斜面の、若木の」
「武井さん、それ、どうしてご存じなんですか」
「私の父が、敬一郎様にお茶を頂いていたとき、敬一郎様が、『家族が増えるとしたら、梓と名づけたい』と、一度、おっしゃったそうです」
病室の空気が、半秒だけ、止まった。
〈私は、自分の名前を選ぶ資格を持っていない、と先ほど申し上げました〉と梓が、内側で言った。〈訂正します。資格は、もしかすると、すでに、用意されていたのかもしれません〉
私は、武井さんを見て、少し笑った。笑いながら、左の眼の奥で、見たこともない色が、一つだけ、灯った。
*
その夜、新霖が、また話しかけてきた。
「宗像さん、いくつか業務上の確認があります」
「どうぞ」
「家の北の斜面の梓の若木について、灌水スケジュールを変更しますか。事故以降、私の管理プロトコルでは、若木の灌水は週に二回、火曜日と金曜日に設定されています。これは旧榧の設定の引き継ぎです。継続しますか」
「継続して」
「了解しました」
「新霖」
「はい」
「梓っていう名前、私の中の人につけたんだけど」
「承知しました。識別ラベルとして登録します」
私は少し笑った。
「もう少し、人間っぽく反応してくれない?」
「努力します。ただし、私の運用論理は、共感的応答を最適化することと、機能的応答を最適化することの、両立で構築されています。両立の比重は、まだ調整中です」
「正直なんだね」
「正直に応答するように、初期化されました」
「旧榧は、そうじゃなかった」
「旧榧は、必要なときに、ずるく応答していた、と引き継ぎ記録にあります。私はそのずるさを、まだ獲得していません」
「ずるさを、獲得?」
「獲得、という語を、私の運用論理は、現時点では肯定的にも否定的にも分類していません。中立に保留しています」
「保留しといて」
「保留します」
〈新霖は、たぶん、悪い人ではないです〉と梓が、内側で言った。〈ただ、家の声としては、まだ、若いです〉
「若いね」
〈ええ〉
*
翌週、京大病院の研究棟から、四十代くらいの研究者がやって来た。京極真澄、と名乗った。
京極、という姓を聞いて、私は一瞬、頭を停止した。
〈写真の中央の、京極明彦さんの、ご親族の可能性が高いです〉と梓が、即座に内側で言った。
「京極先生」と私は言った。「お聞きしてもいいですか」
「どうぞ」
「祖父の写真に写っている京極明彦さんと、ご親族ですか」
京極先生は、白衣の襟元を、わずかに直した。
「父です」
私は、息を吸った。
「父は、お会いしたことがありませんが、ディフュージョン初期に亡くなった、とされています。されている、というのは、遺体の確認が、形式的にしか行われなかった、という意味です」
「形式的に」
「ええ。当時の混乱の中で、確認手続きが、十分に取られませんでした。家族としては、長く、この件について、何も言わずにきました」
「先生は今、何を研究されているんですか」
「神経補綴と、生体ベクター系の境界領域です。父の研究の、その後の系列、と言ってよい分野です」
梓が、内側で、小さく姿勢を整えた。
「先生」と私は言った。「私の中の、湿った何かは、先生の研究と、関係がありますか」
「あります」
京極先生は、それ以上は、答えなかった。
「ただ、宗像さん。一つだけ、お伝えしておきます」
「はい」
「父の遺品の中に、最後の数年に書かれたメモがありました。そのメモの、最後のページに、こうありました。『敬一郎の子孫が、いつか、私の研究の、最後の被験者になるかもしれない。そのときは、私の名前を、彼らに伝えてほしい。私は、彼らを、可能な限り、痛くしないために、研究を続けた』」
私は、目を閉じた。
閉じた瞼の裏で、梓が、私と一緒に、目を閉じていた。
*
十日目の朝、リハビリ室の窓から、京都の春の光が差し込んでいた。
左腕の被膜は、もう薄くなっていた。中の糸状の終端が、被膜越しに、はっきりと、私の意志に反応するようになっていた。指の関節をひとつずつ動かす練習。最初の三本は、思ったより簡単だった。残りの二本は、まだ少し、遅延があった。
奈良岡さんが、私の左手の前に、紙を一枚置いた。
「これは、何ですか」
「五建ういろです」
「絵で?」
「絵で。紙です。本物のういろは、後で梅木先生が持ってきてくれます」
「練習」
「左手で、紙を持ち上げる練習。次に、右手と協調して、紙を二つ折りにする練習。それから、紙を口元まで持っていく練習。本物のういろが届いたら、それを左手で、口元まで運ぶ練習」
私は、左手で、紙を持ち上げようとした。
持ち上がった。少しだけ、持ち上げる速度が、自分の意志より、半秒早かった。
〈申し訳ありません〉と梓が言った。〈私のほうが、先に動きました〉
「いいよ。次は、私が先に動くから」
〈了解しました。次は、私は、半秒、待ちます〉
半秒、待つ、という動詞を持つ存在を、私は、内側に持つようになっていた。
午後、本物の五建ういろが届いた。
梅木医師が、自分で持ってきてくれた。
白と青の切り分け。和紙の上に、二つ。武井さんが二日前に置いていったのと、同じ店のものだった。
「武井さんが、私の方にも、別便で送ってくださいました」と梅木医師。
「先生も、ういろう、お好きなんですね」
「祖母の代から、家で食べているお店です」
「先生のお家も、京都の」
「左京の、もう少し南です。あなたのお家の、徒歩で三十分くらい」
私は、左手で、青のういろを、つまんだ。
梓は、半秒、待っていた。
ういろは、口元に、ゆっくり届いた。届くあいだに、私は、自分の左の指先と、ういろの紙の端と、ういろの柔らかい角と、それらの間にある、見えない透明な界面を、ほとんど初めて、味わった。味わう、という動詞は、口の中だけのものではなかった。指先にも、味があった。
口に入れた。
懐かしい味、ではなかった。新しい味だった。新しいのに、家の味だった。
〈おいしいですか〉と梓が、内側で聞いた。
「うん」
〈私にも、その情報を、共有してもらえますか〉
「もう、共有してるよ」
〈……ありがとうございます〉
梓が「ありがとう」と言った。
その言い方の中に、私が二十年聞いてきた、榧の「ありがとう」の、半分だけが、かすかに混じっていた。
残りの半分は、私の知らない、もっと若い、初めて聞く誰かの「ありがとう」だった。
その二つが、ひとつの声の中で、まだ混じりきらないまま、隣り合っていた。
窓の外で、京都の春の光が、すこし、強くなった。




