金糸樹
二人で足を運ぶうちに、気づいたことがある。
「このあたりの状態って、大巫女様が勤めを果たした五百年前と似ているかもしれない」
エンテの言葉を受けて、ユイカが周囲を見渡した。
「灰色の霧か。しかし、黒い霧の方が危険度が高いはずでは?」
「あの怪物を、ユイカが浄化してくれたら、体が楽になったの。黒い霧が、薄くなったからだと思う。それって、大巫女様が龍といっしょに、金糸樹に向かった際の状態に、近いんじゃないかな」
「別に浄化したわけではないのだが」
「もともとユイカの力は、この世界のものとは異質だから、力をぶつけられて、負けちゃったって感じ?」
「よく、わからないな」
デイが、ぐぃんとふたりの頭上に浮きあがった。
「相殺されたと思われマス」
ふふふ、と笑うエンテの声には力がない。
ある程度は楽になったと言っても、エンテの動きは鈍い。布で覆った口からの呼気も苦しそうだ。それでも、先ほどよりも増しらしい。
「……灰色の霧が広がった時も、大陸中がかなり危険な状態に、陥ったわけだけど……昏黒の魔法が、引き起こす事象は、おそらく五百年前の比じゃない」
思考力が鈍くなっていると思われるエンテは、言葉を発するのも苦しそうだ。それでも会話を継続しようとしているのがわかる。倒れないように意識を集中するためと、これから起こり得る事象に対応するためだ。エンテの踏ん張りを理解しているユイカは、あえて淡々とした口調を変えない。
「さっきのエンテの様子は、かなり危険だった」
「うん……。黒い霧が広がったら、ただじゃすまない。みんな、あっという間に、死んでしまうと思う。幻獣さえも、黒い霧の中では、耐えられない。五百年前に大巫女様と龍が成功したのは、ほんとうは昏黒の魔法じゃなかったから」
「しかし、なぜ近い状況が起こったのか」
「大地母神様の、お怒りを、買ったのかもしれないね」
「神の意思は下位の者にはうかがい知れない、か?」
「げっぷ、って話、ほんとうかもね」
ふふ、とエンテが力なく笑うと、ユイカも皮肉気に口角をあげた。
それからしばらく歩くと、巨大な木の根元に到着した。
「これが本命の木なのか?」
「ここが目標ポイントで間違いありまセン」
茫然としたエンテが、つぶやいた。
「……完全に、朽ちている」
屹立する金糸樹と思われる木には、黒い霧が巨大な蛇のようにとぐろを巻いてまとわりつき、真っ黒になっていた。完全に昏黒の魔法に支配されてしまっている。
金糸樹のほのかな輝きは失われ、よく倒木せずに済んでいるものだ、と逆に感心してしまう。黒い金糸樹は、完全に拉ひしがれたような雰囲気を漂わせていた。
「これって、いったいどうすればいいの……?」
それ以上は言葉もなく、エンテは立ち尽くすだけだ。やがて、がっくりとうなだれて、ぼそぼそとつぶやきはじめた。
「……やっぱりわたしは、来る必要がなかったんじゃないのかな。だって、ユイカの協力がなければできないことだったし、ユイカだけが来れば何とかなったのかもしれないし。もともとわたしは、いらない者として神宮を追い出されたんだし」
なぜかエンテが後ろ向きな思考に陥っている。ユイカは眉間に皺をよせ、エンテの様子を観察した。
(メンタリティが負の方向にふれているな。黒い霧のせいか。しかし)
黒い塵埃のようなものが、エンテに向かって漂ってきた。暗黒の世界の触手が伸びてくる。エンテがこの場に留まっていられるのも、あとわずかだろう。
「うっ。もう、これ以上は無理」
「じゃあ、このまま帰るのか?」
ひどく冷たい声で、ユイカが問うた。
「そ、それは」
「それはできない、とエンテは思っているんだろう? 金糸樹を救えるのは、エンテだけだから」
「そこまで、思い上がってるわけじゃないけど、森の聖乙女候補の中で、残っているのは、わたしだけなんだよね」
よろよろとよろけたエンテは、足をもつれさせ、その場に座り込んでしまいそうだった。とっさにユイカが手をとり、支えてくれた。
エンテは心細い思いに押しつぶされそうになり、おろおろと視線をさまよわせる。
「だから、出来ることが、あるかもしれない」
それでも。
「うん、あきらめるわけにはいかないって、わたし、知ってるもの。だけど」
ぎゅっと唇を噛みしめて、エンテはまっすぐに黒い金糸樹を見る。
「ここに来ることができれば、どうすればいいのかわかる、って大巫女様はおっしゃってた。わかるのは、わたしだけだって。でも」
大地母神のお導きを信じろ、と大巫女は言っていた。
エンテには、大地母神の声など聞こえてこない。何をどうすればいいのか、自ずとわかるわけでもない。金糸樹に辿りつけさえすれば、物事はあるべき方向へ進んでくれるのではないのか。
エンテは途方にくれて、力なく金糸樹を見あげた。
「あれは……」
「どうした、エンテ?」
「あれ、木の上の方、何かが、かすかに光ってるの」
エンテの指さす方向をユイカも見上げたが、黒く染まった樹冠が目に入るだけだ。
「何も見えないが」
「ううん、確かに光ってる」
しばらく口元に手を当てて考えていたユイカは、思い切ったようにエンテを振り返った。
「わかった。それじゃあ、自分に背負われてくれないか」
「え?」
「ほら!」
ユイカがひざまずき、背中をエンテに向けて促した。意を決したエンテが、その背にもたれた。
「わわわっ」
エンテを背負ったユイカが、ふわりと浮いた。
「すごい、ユイカ! 浮遊魔法みたい。とっても高度な魔法なんだよ」
「これもテレキネシスの応用なんだけどね。とにかく、しっかりつかまって」
「うん。どんなに優れた魔法使いも、ここでは魔法を使えない。だから余計にユイカの凄さがわかる」
珍しくユイカは照れているのだろうか。うう、とか、むぅ、とか唸ったまま、エンテの腰を支えた手に力が入った。
しがみついたエンテを背負って、ユイカは金糸樹の幹に沿って上昇していった。
「やはり、自分には光など見えない。エンテ、誘導してほしい」
「わかった。そのままもう少し右へ移動してもらえる? えーと、腕一本分くらい、かな」
金糸樹に近づくほど、黒い霧は濃厚になってゆく。金糸樹の根元から、黒々とした気が吹きあがってくるような感じだ。今ではエンテもユイカも、昏黒の魔法を放出しているのは金糸樹そのものだ、とはっきりと悟っていた。
「あった!」
エンテの声に誘われ、ユイカも彼女の視線と同じ方向へ顔を向けた。
「あれか?」
地面からでは見えないほどの微かな光が、黒い空間の中に、ほわりと浮かび上がっている。エンテは、これを見つけたのか。普通では、とても視認できないだろう。
「これは、何だ? 金糸樹ではない、別の植物か」
ユイカの目線の先には、複雑に茂った葉や枝が丸くまとまった植物が、金糸樹の枝にからまるように付着している。
「ヤドリギと思われマス」
静かについてきていたデイが、データを探ったようだ。
「あ、確かに。これ、ヤドリギだわ」
「ヤドリギ、か」
「うん。わぁ、すごく大きなヤドリだギね。光ってるのは、その一部になるのかな。でも、昏黒の魔法に負けそうに見える」
「大神宮の正門アーチに同じものが認められマス」
「そうだった。金糸樹の上に、なぜかヤドリギの彫り物があったんだった。え、あれって、これを意味しているの?」
宙に浮かんだユイカは、エンテを背負ったまま、ほのかな光を放つヤドリギを凝視している。
「自分の直感でしかないが、エンテ、これこそが金糸樹なのではないか?」
「えっ!? そ、そうなのかな。でも、各地に植えられているのは、金糸の森の木で」
「そう。金糸の森の木と呼ばれているんだろう? だが、なぜあれらの倒れた木は、金糸樹と言われない?」
「もしかしたら、金糸の森の木というのは、ヤドリギが寄生する木を指している? わたし達が持ち帰らなければならないのは、このヤドリギ!?」
「確信は持てないな。持ち帰った金糸樹の枝がヤドリギだということを、大巫女ギダが明かさなかったのはなぜだ?」
「これまでの様々な情報をもとに総合的に判断したトコロ、大巫女ギダはエンテを試しているようデス」
「この期に及んで、まだ試されるとか。そんな場合ではないだろうに」
エンテは、しばらくユイカとデイのやり取りを聞いていたが、やがて、つかまっていたユイカの肩をぽん、とたたいた。
「ユイカ、わたし、ここに来てはじめて、金糸樹というものを知ったと思う」
ユイカは顔を傾け、エンテに訊いた。
「わかるのか、これが金糸樹だと?」
「うん。木の根元に着くまでは、この行動が正しいのかどうかわからなかったんだけど、今、はっきりした。わたしは、このヤドリギを持ち帰らなければならない……と思う」
最後の方の言葉が自信なさげに小さくなるのを聞きとがめたユイカは、ヤドリギに目を注いだまま、ふっ、と微笑んだ。
「エンテの思う通りにするのが正解だ」
「うん、ありがとう」
なんの根拠もないが、エンテが真の森の聖乙女ならば、大巫女の言うとおり、彼女の思う方向が行くべき道なのだろう。
「でも、森の聖乙女とかなんとか関係なく、わたしは、わたしの信じることを信じたい。ユイカを信じたように」
ユイカの肩が、ぴくりと動いた。
「ずい分と危険な思考だ」
「あははは」
ロンバルトが託してくれた短剣を取りだしたエンテは、ユイカの背中越しに手を伸ばし、きらめくヤドリギの枝を切り取った。
「このままテレポートする。デイ、大神宮までのナビを」
「了解デス」
「ユイカ、デイ、いっしょに帰ろう」
大神宮とテミス領で待つ、みんなの所へ。




