黒い森の中心へ
エンテが気づくと、いくら目をこらしても、まったく周囲が見えない場所に到着していた。まるで目隠しをされている気分だ。真っ黒な粉塵に、完全に視界が遮られている感じがする。
「なに!? わ、わたし、目が見えなくなった」
「いや、黒い霧が異常に濃いんだ」
冷静なユイカの声が耳元で聞こえて、エンテは、ほっ、と胸をなでおろす。
「デイのナビで、確かな方角を特定してテレポートできたはずなんだけど」
「計算では正確に移動できていマス」
「残念だが、自分には透視能力はないので、位置関係を見通すことはできない。しかし、これだけ黒い霧が濃厚なら、中心部であるのは間違いないとは思う。……どう思う、エンテ?」
ユイカがエンテの方に顔を向けたが、返事がない。
「エンテ?」
とたんに、つないでいた手が、ぐい、と下の方へ引っ張られた。
「エンテ、どうした」
危うく放しそうになった手を、ユイカは握りなおして確保した。エンテは声もなく地面に膝をつき、布の下で荒い息を吐きだしている。
「デイ、エンテの健康チェック」
「脈拍血圧ともに低下、体温低下、瞳孔が開いていマス」
膝を折ったユイカは、うずくまったエンテを覗きこんだ。エンテは自らの体を抱きしめて、必死に何かに抗っているように見える。
「体の中で……魔の気が、何かと反発しあってる。……自分の力が、制御できない……ような。だけど、体がどんどん冷たくなっていくみたいで……」
「この黒い塵のせいか」
「だと、思う……。……さ、寒い。寒くて……寒くて」
「エンテ、なんとかこらえて」
「う……」
時間が惜しい。このままエンテを抱きかかえて金糸樹を探そうか、と思っていたユイカの目の前に、謎の現象が起こった。
黒い霧が、一箇所に凝集しはじめた。いや一箇所だけではない。あちらこちらで、いくつもの黒い塊かたまりができあがろうとしている。
やがて塊は形を成し、うねうねとした手足を持つ異形のものとなってゆく。不器用な手で、煤を捏ねて固めて何かを形作ろうとしているかのようだ。
結局は何にもなれないモノが出来上がり、ゆらりと立ちあがる。
二歩脚で立つモノ、四本足のモノ、あるいは無数に生えた棒状のもので地面を踏みしめるモノなどが、ユイカとエンテの目の前に出現した。頭もないのに空っぽな目が体中にあったり、全身を覆う巨大な口からぬらりとした舌もどきが突き出ていたり、もはやなんら生物的な形態を成していないモノもある。
犬とか猫とか牛、馬、羊のような家畜とか様々な野生の動物、あるいは魔獣、あるいは幻獣や人間などを、どうにかして、かたどろうとしているような気がする。まるで出来の悪い風刺画だ。
それらすべてが、うねうねとした動きでエンテとユイカに迫ってくる。気色が悪い。
「これが、災厄の際に現れるという怪物なのか?」
「人間でも魔獣でも幻獣でもないモノ、と定義されておりマス」
エンテがひざまずいたまま、これ以上は耐えられないとばかりに唸った。
「……うえぇ」
「だが、これほどそれぞれの形が異なり、下手をするとアメーバ状のモノまでいる。どこを攻撃すればいいのか」
ユイカの疑問に、デイが答えた。
「それぞれの個体には、黒い霧の凝縮した塊がありマス」
「そこを攻めればいいと?」
「確信はありまセン」
「無責任だね、デイ」
「データ不足デス。ですガ、いま考えられる対処法は、それだけデス」
ひとつ、ユイカが気づいたことがあった。怪物が造られたことによって黒い霧が薄まり、視界が開けていることだ。それまでは見えなかった森の木々が、ぼんやりと見えるようになった。もっともそれらの木も黒くなってしまっているが。
ユイカは抱えていたエンテを地面に座らせた。
「エンテ、動かないで」
「ど、どっちにしろ、動けないよ……」
えへへ、とエンテが空元気を出して笑うと、ユイカがしっかりとうなずき返した。
ユイカが足を踏ん張り、きっ、と黒い怪物を見据える。その時、見上げるエンテの目には、ユイカの体が輝きはじめたように見えた。
ユイカの足元の石や木の枝などが、ぎちぎちと音をたてて振動しはじめた。
地面が揺らぎ、足元のあらゆる物体ばかりか土そのものが、ぐぐん、と浮き上がる。エンテとユイカの周囲の空間をぽっかりと残し、土砂や下草の枯れたのや黒くなった木の枝が大小の塊となって、壁のように怪物の前に立ちはだかる。
ユイカが、聞こえるか聞こえないかのような小声で指示を出した。
「行け」
同時に大量の土塊が礫つぶてとなって、迫る怪物に襲いかかった。塊はそれぞれの怪物の一点に集中し、つぎつぎと矢のように打ち抜く。
やはりデイの指摘した箇所に、怪物の弱点があった。礫が命中した怪物は、あっという間に形が崩れ霧散してゆく。
デイが、ぶつぶつとつぶやく。
「ユイカ、だいぶ回復してきましたネ」
エンテが息を呑むうちに、数えきれないほどの怪物が破壊され姿を消した。ユイカの力に屈した形になった黒い霧は、雲散霧消した。
ユイカの力がどれほどのものだったのか、エンテはあらためて目にすることになった。
この世界の人間では、黒い霧に対して平気でいられないし、そこから生まれた怪物を排除するのも無理だ。だからこそ、ユイカのような、魔力とは関係のない能力者が召喚されなければならなかったのか。そうしなければ、誰も金糸樹に辿りつくことはできない。
「そういうことなのね」
あいにくと礫は怪物だけではなく金糸の森の木にも当たってしまったが、今はそちらを気にしている場合ではない。エンテは目を閉じる。
「後方100m先、目標ポイントデス」
「行こうか」
「うん」
エンテの体も、かなり楽になってきた。




