表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/32

黒い森

 エンテは驚きのあまりに、目をまん丸に見開いた。ついでに涎が垂れそうなほど口も大きく開けられている。

 つい今しがたまで、大巫女の部屋にいたはずなのに、目の前には黒い森が広がっているからだ。


「こ、これって、テレポーテーション……とかっていうもの? あの時、倒れる金糸樹の下から子どもを助けた技でしょ」

「技……とも違うけど……。まぁ、そうだ」

「やっぱりすごい! 魔法具を拠点に用意しなくても、思ったとおりの場所に来ることができるなんて」

「移動距離には制限がある」


 ユイカが皮肉気に唇の端をあげた。次いで、即座に顔を引き締めると、森と向かい合った。

 森は禍々しくも昏黒に染まり、しん、として物音ひとつしない。通常ならば、どれほど静かでも、生き物の息遣いのようなものが感じられるものなのだが。

 黒い霧は、今もじわじわと広がりつつあり、青く透きとおった空までもが昏黒に支配されそうだ。


「現在地は、テミス領にて巨体生物を拘束したポイントから真西に当たりマス。黒い霧はさらに拡大中。金糸の森の96%が侵食されている模様。テミス領ではエイヤ作の防護壁で堰止められていますガ、効果は限定的デス」


 平坦なデイの声が、補足的な情報をつらつらと述べ立てている。続いて、ユイカの肩の上に乗ったまま、どこか慎重に思えるような、ぴーぴー、という音を発した。これはユイカいわく、AIが様々な情報を取り込み、分析中というお知らせ用の音だという話だ。エンテにはAIというものが、いまだに理解できないでいる。


「黒い霧の成分分析ですが、アルカロイドに酷似した成分が検出されまシタ。神経毒に似た成分も混在してマス」

「アルカロイド。麻薬成分か。しかも、かなり濃縮されたものなのかな」

「世界が異なるタメ、厳密には同じとは言えまセン。データ不足デス」

「とにかく、エンテに無理がないよう、一気に金糸樹までテレポートするしかなさそうだ」


 ユイカとデイの会話を聞いていたエンテが顔をしかめた。


「ユイカこそ、無茶はしないで」

「わかっている」

「ユイカってば、そんな風にしか言わないから、かえって心配なの」


 エンテが顔の横で、拳をぐっ、と握りしめた。ふいにユイカが、彼女の拳に自分のそれを、こち、と当てた。


「え、え、え、なに?」

「決意表明」


 ぱあっ、と顔を輝かせたエンテが、握りしめた手をユイカの拳にぐりぐりと押しつけた。


「うん。やってやろうじゃない!」


 ふんっ、とエンテが鼻から息を吹き出すと、ユイカが気が抜けたような顔で笑った。

 すると、いきなりユイカの表情が変わった。エンテの肩に手をかけ、ぐいっ、と後方へ押しのける。


「どうしたの、ユイカ」

「あれを」


 エンテが首をめぐらすと、森から出てくる影が見えた。


「木の影じゃないよね。あれは、生き物?」


 エンテが目を凝らすと、黒い森から分離したような影が、はっきりと形を成してきた。


「あ、あれは、天馬!?」


 背中に豪華な羽のある美しい馬は、今では昏黒の魔法に侵され、見るも無残な様相を呈している。とにかく真っ黒で、黒い靄が体のどこからともなく湧きおこり噴き出す禍々しい姿だ。


「天馬が、ひどい姿になってしまった。とても美しい幻獣なのに」


 衝撃を受けたエンテが青ざめている。


「エンテ、天馬の心臓はどこにある?」

「え、確か前肢の上の方だったかと」


 うろたえながらエンテが答えると、ユイカがうなずく。


「エンテ、ここから動くな」


 ユイカの声が聞こえたかと思ったら、ふいにエンテの姿が傍らから消えた。


「ユイカ!?」


 はっ、と気づけば、ユイカは天馬の目の前に移動していた。

 天馬は突然現れたユイカに対処できない。もともと運動機能が異常をきたしているため、防御的な行動をとるのが遅れている。これは巨人に対抗する際に確認済みだ。

 ユイカの手が伸ばされ、心臓よりも上の部分に当たる天馬の首に当てられた。

 ユイカの全身に力が入ったのがわかった。

 ぐっ、とユイカの力が一点に集中する。

 真っ黒な靄に包まれた天馬の首がのけぞり、次いで全身が傾いた。どおおっ、と土煙をあげ、そのまま倒れこんだ。


「ユイカ!」


 エンテの声に答えるように、ユイカが振り向いた。


「昏倒させた。しばらく目覚めないだろう」

「し、死んでないよね?」

「大丈夫。失神させただけだ。青銅の巨人よりは楽だった」

「そ、そう。でも、これでしばらく暴れないね」

「どうも、動けば動くほど、黒い靄に侵食されるのではないかと思われる。おとなしく寝かせておいた方がいいだろう」


 感心している場合ではない。この天馬を眠らせることができても、森の中には他の幻獣がいるはずだ。しかも天馬の様子から鑑みるに、かなり苦しんでいるに違いない。


「ユイカ、早く金糸樹の所へ行こう」


 エンテのはやる気持ちを落ち着かせるように、ユイカが肩に手を置いた。


「エンテ、若にもらった布があるだろう? 口を覆って」

「ユイカったら、おばあちゃんの口真似して、ロンバルト様のこと、若って呼ぶなんて」

「他に呼びようがない。やはり若君の方がいいか? それとも、ロンバルト様と呼ぶか?」

「ユイカに改まれると、ものすごく怖い気がする」


 ぐっ、と息をつまらせたエンテは、『若』でいいです、と首を縮める。

 ユイカは微笑むと、ふたたび黒い森に目を向けた。


「エンテ」

「なに?」

「自分はこの世界にとって異分子だ、とずっと思っていた。でも、もしかしたら、自分はここで生きていってもいいのだろうか」


 少しばかり緊張した顔でまっすぐに森を見つめるユイカの横顔が、なぜかエンテにはまぶしく見えた。エンテはちぎれるのではないかと思えるほど、何度もぶんぶんと首を縦に振る。


「もちろん! もちろん、ユイカ。だってわたしがいるし、おばあちゃんもおかあさんもおとうさんもおにいちゃんも、それからロンバルト様だっているし、ユイカがこの世界で生きていくって決めてくれて、わたしはとってもうれしいし、大巫女様だって大神宮の長だってテミス領の領主様だって、駄目だとは言わないだろうし」


 ひと息に言い切ったエンテの顔は、興奮のために赤らんでいる。ユイカも静かな笑みを浮かべた。

 照れ隠しに空咳をしたエンテは、急いで懐からロンバルトのハンカチーフを取りだした。口元を隠し、後頭部でぎゅぎゅっと縛る。黒い霧に対してどれほどの効果があるのかわからないが、何もしないよりましだ。

 微笑んだユイカは、ふたたびエンテと手をつないだ。


「このまま飛ぶ」

「よーしっ」


 ふたりと一体の姿がかき消えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ