金糸の森へ
「ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
ことさら慇懃に、ロンバルトが手を挙げた。
「なんだ。これ以上、語ることはないが」
「いえ、五百年前の大災厄の折、ジィドとカンバーの名がありませんでした。我らの家門も、微力ながら何らかの助けとなれたはずですが」
「ジィドは、腐った長の画策により、領地に蟄居封印されておった。カンバーは大神宮からの難を逃れるために姿をくらました。ジィドの勧めだったのであろうな。ゆえにジィドもカンバーも、大神宮とのつながりを絶たれ、災厄の始まりに気づくのが遅れた。もっとも気づいたとて、どうしようもなかったであろうがな」
「そうでしたか」
深閑とした部屋に、エイヤのため息まじりのかすれた声が響いた。
「つまりは、おぬし、実は森の聖乙女ではなかったということか」
「そうだ。おそらく真の森の聖乙女は、すでに骸となった巫女であったのだろう。吾が金糸樹に辿りつけたのは、大地母神の慈悲と、力を振り絞ったジャイロのおかげだ。それと、もうひとつ言っておく」
「なんじゃ?」
「おそらく五百年前の災厄は、堕落した大神宮が招いたものではないかと思える。大地母神への祈りも、金糸樹を護ろうという気概も欠けていたために、金糸樹の汚わいが早まったのではないか、とな」
くわっ、とエイヤが目をむく。それから発した声は、陰にこもっていた。
「では、愚昧の輩がこの世に混沌を招いたというわけか。まさか、今回の昏黒の魔法も?」
龍である長が、静かに口を開いた。
「いいえ、それは違います。我らは大神宮の有り様を正せたと自負しております。こたびの案件は、金糸樹そのものの問題であると考えております」
「また、げっぷなのか?」
ことさら嫌そうにエイヤがこぼすと、龍である長が、ははは、と力ない笑いを漏らした。
「いえ、それより悪いものと考えております。ギダは森の聖乙女候補にすぎませんでしたが、五百年前も、現代でも大地母神の御声を聞くことのできる者であることに間違いはありません。ゆえに、ギダの受けた託宣は本物です。おそらく金糸樹は、五百年前とは比較にならないほど病んでいる可能性があるのです」
そこで大巫女が、深々と嘆息する。
「しかし吾は、あくまで森の聖乙女の候補にすぎなかった」
「むぅ、ゆえに、五百年前に召喚されたのは、人ではなく幻獣であったとも言いえるのか? だが各神宮は五百年前のことを特別な出来事ととらえ、幻獣を召喚した者をことさら崇めることとなったわけだ。幻獣を喚んだおぬしが、災厄を退けることに成功したばかりにな」
「そうだろうな。一千年前の真実を忘却の彼方へと置き去りにしたせいだ。だが、つまりは」
大巫女ギダは、そこで初めてエンテに視線を向けた。
「ここに真の森の聖乙女が回りまわって現れたのも、大地母神の思し召しだろうて」
エンテが明らかに狼狽した。
「それじゃぁ、ほんとうに、わたしが森の聖乙女なんですか?」
「今回の昏黒の魔法は、五百年前の灰色の闇霧とは桁違いに強力だ。これまでにあらゆる幻獣を従えた候補が挑んだが、すべて失敗しておるのがその証左だ。幻獣の持つ力をことごとく打ち消し、制御不能にするほどだ。」
大神宮の長も同意してうなずいた。
「昏黒の魔法には、たとえ龍でも太刀打ちできないでしょう。もちろん人間など、ひとたまりもありません。あっという間に身動きひとつ取れなくなります。そして、そのまま死を待つのみとなることでしょう」
ぞわっ、と一同の背中に悪寒が走った。人でも幻獣でもない、ましてや魔獣でもない別の存在が、昏黒の魔法を発動した。この世界に住む者では、昏黒の魔法に打ち勝てない。まさに高次の存在による、究極の負の魔法だ。
龍である長が、心に浮かんだ何かをとどめるように目を閉じた。
「ゆえに一千年前と同様に、この世界の住人ではない、つまり、この世のものとは違う力を有した人間を召喚したエンテこそが、森の聖乙女なのです」
「そのとおり」
大巫女が、異論は許さない、とばかりに来訪者らを睨みつけた。身をすくませるエンテに代わって、ジークが口を開いた。
「五百年前の災厄は尋常ではなく、多くの犠牲が出たんですよね。しかし、今回はそれ以上の大災厄が起こり得るということになるわけですか。人も動物も魔獣も、そして幻獣すらも昏黒の魔法に対抗できる術を持たず、ただ滅びるのを座して待つより他ないという……」
ジークの表情が苦渋に満ちている。妹を危地へと見送らねばならないのか。
静かにうなずいた長が、長々と嘆息した。
「金糸の森を食らい尽くしたら、黒い霧は際限もなく広がるでしょう。この大陸ばかりではなく、幻獣の棲む他の土地までも」
「納得したかえ? ならば勤めを果たせ」
あわてたロンバルトが、大巫女を遮った。
「お待ちください。行けば、危険が待っているのです。このままエンテを金糸の森へ行かせるわけにはいきません。ならば、召喚した人を送り出せば済むことなのではありませんか?」
「ロ、ロンバルト様?」
エンテは呆気にとられた。ロンバルトが、これほど身勝手なことを言うのを、はじめて聞いたからだ。なぜか必死の形相のロンバルトに、彼女は口をはさめない。
「テミスの若者よ。では、余所の世界の者に一任し、吾らは高みの見物を決め込むと言うのかえ」
「い、いえ、そうではありません。しかし危険性から申し上げれば、ユイカは比較的安全であり、エンテには死の可能性があるということではありませんか。エンテを行かせずとも、ユイカに任せるわけにはいかないのでしょうか」
「それも、ありだな」
これまで一向に口を開かなかったユイカが、突如、立ちあがった。椅子から外れると、やや後方に下がり、やおら屈伸運動をはじめた。
全員が呆気にとられる中、前屈とか屈伸とか膝伸ばしやらで体をほぐしたユイカが、やがてエンテをまっすぐに見た
「では、行く」
「ユイカ、行くって」
「もちろん、真っ黒になった金糸の森へだ」
そこでユイカが、大巫女に視線を移した。
「自分は、何をどうすればいいのかわからない。指示を頼む」
エンテが叫んだ。
「ひとりで行くつもり!?」
「それが、もっとも危険度が低い、と若君がいっただろう? 自分も賛成だ」
「だめ! いくらユイカがこの世界の住人じゃなくて、昏黒の魔法の影響を受けないからって、実際には何が起こるかわからないじゃない。わたしも行くから!」
「エンテ!?」
ロンバルトがぎょっとして、目をむいた。
そこに、ほっほっほ、とエイヤが哄笑した。
「よくぞ言った、エンテ。若の気持ちはわかりますがな、ふたりで行かせるべきです。エンテとユイカは“ばでぃー”なのですぞ」
「ばでぃー?」
「そうです。一千年前もそうでしたが、今回もふたりが共に行動する必要がございます。昏黒の魔法に満ちた金糸樹の下で、何が起こり、何を成すのか、あいにくと記録に残されてはおりません。しかし、森の聖乙女と召喚された者は、手を携えて仕事をせねばならない、と一千年前のカンバーとジィドのご先祖ははっちりと書き残しております」
「そう! きっとふたりで行くことに意味がある、とわたしも思うの」
エンテがユイカを見て、にいぃ、と笑った。
「そうだった。エンテと自分は、バディーだった」
軽くため息をついたユイカは、思い切るように力強く首肯した。どことなく余裕のある表情が頼もしい。
ロンバルトは承知しかねるようにかぶりを振ったが、実際は納得するしかないと理解したようだ。
「馬を、用意しよう」
ロンバルトの言葉をユイカが遮った。
「いや、ここから瞬間移動テレポートする。デイ、金糸樹までの距離は?」
「金糸樹。目標ポイントは、現ポイントから7.1Km先になりマス。森の辺縁地点まで2.5Km。辺縁地点を中継点として金糸樹まで4.6Kmデス。ちなみに登録番号111の現在の移動限界値は4000mデス」
「承知している。0.6kmは根性で何とかするしかないだろうな」
珍しいことに、ユイカがかすかに口角をあげた。
やり取りを見ていたエンテは、デイが戸惑うような印象を受けた。
「精神論では解決できまセン、111」
「巨人を抑え込んだ時から体内に力が充実している気分なんだ。どうにかできそうだ」
「これまでの111は、そこまで楽観的ではなかったはずデス。確かに、過去、月面から静止衛星へテレポートした実績がありますガ、現在、能力が縮小傾向にあったはずデス」
「慎重にやるつもりだ。死にかけた自分が、神やら魔法やらの世界に飛ばされたことで生きながらえたんだ。多少の無理難題など、どうにかなりそうな気がする」
「111……ユイカ、性格ガ変わりましたネ」
「AIのお褒めの言葉と受け取っておこう」
「AIにも皮肉は通じマス」
エンテはなんとなく、照れたデイが、ぷいっ、と横を向いたような気がした。
ジークが焦ったような顔で訴えた。
「俺も、連れていってもらえないか?」
「そうだ、私も」
ロンバルトも声をあげると、ユイカに「だめだ」と一刀両断された。
「多人数になると、自分の力がそれだけ削がれる。森の縁に行くだけが目的ではない。その先が問題なのだから」
「そうか……そうだな」
ロンバルトとジークがともに肩を落とすのを横目に、ユイカはエンテを促し、皆の座るテーブルから数歩離れた所に移動した。
「ちょっと待ってくれ」
急に思いついたようにロンバルトが進み出ると、上着の懐に手を入れた。スカーフのように大きなハンカチーフを取りだし、腰帯に差していた短剣に巻き付けた。
ロンバルトは固い笑顔を浮かべ、短剣をエンテの手に握らせた。
「役に立つかどうかわからないが、どうか持っていってくれ。私の防御魔法を施した魔法具でもある。少しでも黒い霧を防げるかもしれない」
「ありがとう、ございます」
少しばかり照れくさそうに、エンテはハンカチの結わえられた短剣を胸に抱きしめた。
「俺もユイカに何か渡したいところだったが、出遅れたな。でも、気持ちだけは持っていってほしい」
おどけたような笑みをユイカに向けたジークが、右の手のひらを心臓のあたりに置く。
「無事を祈る。そして、エンテを頼む」
「頼まれた」
すでにユイカは強者の顔になっており、大任を果たすのだ、という気概が感じられる。「かなわないなぁ」とジークは眉尻を下げた。
エイヤ、ジーク、ロンバルト、そして五百年前の災厄を生き延びた大巫女ギダと大神宮の長である龍の見守る中、肩にデイを乗せたユイカと手をつないだエンテが、一瞬のうちに消えた。




