最終話 茶飲み話
「エンテ!」
名を呼ぶ声と同時に、エンテの体が、ぎゅうぅ、と抱きしめられた。
大神宮の正門前に到着すると、待ちかねたロンバルトに捕獲されたのだ。
「ん?」
ユイカが眉をひそめる目の前で、ロンバルトの腕の中でぎゅうぎゅう詰めにされて、エンテが呼吸困難に陥っている。金糸樹の枝を折らないよう、必死に腕を上げている様子が微笑ましい。
「ユイカ」
続けてジークが、ユイカを確保しようと腕を広げて突進してきたが、するりとかわされた。
「ここで、ずっと待っていたのか?」
非常に冷静に、ユイカが問いかけた。取り繕うように頬を掻いたジークが、にっ、と満面の笑みを浮かべる。
「ああ、そうさ。いっそのこと金糸の森の入り口で待つというロンバルト様を、せめてここで待ちましょう、と宥めていたわけだ」
「失敗すれば戻ってこられなかった。斃れるのはエンテだけだったかもしれないが、そうなったら自分も戻るつもりはなかった」
「信じていたからね。ロンバルト様と俺だけじゃなく、おばあちゃんも大巫女様も長も、エンテは金糸樹を持ち帰るし、ユイカは絶対にエンテを守ってくれる、とね」
こそばゆくなるようなジークの言葉に、ユイカは器用に片眉をあげた。他に反応の仕様がなかったのだ。
「非常に、うさんくさいデスネ」
近頃、デイの言い草が人間臭くなってきたのは、いったい誰の影響だろうか。
※※
エンテとユイカの持ち帰ったヤドリギの枝は、テミス領に残る金糸の森の木へと移植された。
不思議なことにヤドリギは、即座に枝葉を伸ばしはじめ、見る見るうちに馴染みのある丸い形に育った。育つうちに徐々に光を強め、寄生された金糸の森の木も、同様にほのかに輝くようになる。
神聖なる光が増すとともに、神樹の地の金糸の森を侵食していた黒い霧は、掃き清められたように消えていった。ただし、侵された金糸の森の木は、二度と元の姿に戻ることはなく、そのまま枯れてしまった。こうして、神樹の地の金糸の森は消滅した。
ヤドリギを守るため、テミス領領主のジェラルド・フェニックス・ジィドは、金糸の木の枝を植樹するよう指示を出し、人工の森を形成するために領地をあげて作業にとりかかることとなった。
大神宮は、近接していた金糸の森が全滅してしまったため、新たな金糸樹の守護の地としてテミス領の一部を提供されることとなり、遷宮を決定する。
それに伴い、神樹の地であった土地はテミス領として封じられることとなる。
当然のように、コスモロード国の王宮側がくちばしを挟んできたが、したたかな大巫女とジィド氏の相手にはならない。第一第二王子達も加勢した結果、王は譲歩案すらも引っ込めることとなった。
テミス領及び神樹の地に王家直属の堡塁、もとい直轄地を設けるなど、とんでもない。ジィドとカンバーを敵に回すおつもりですか、とふたりの王子に笑顔で詰め寄られ、あえなく撃沈した現王の退位も、それほど遠い未来の話ではないだろう。
※※
遷宮にともなう引っ越しのために慌ただしい大神宮内で、呑気に茶を呑むふたりの媼がいる。傍らには人の姿をとって久しい龍が侍るのみだ。
「話したことがなかったかな。五百年間も眠っておった間に見た夢のこと」
「知らんな」
大巫女の私室でも梱包された荷が積み上げられているが、エイヤも大巫女もまったく意に介していない。「どれ、手伝おうか」などとほざいた日には、ご老体は茶でもしばいていてください! とけんもほろろな扱いを受ける。
「五百年間もの間に見た夢は、たったひとつ。茶飲み話にその夢の話でもしようかね」
「おもしろければ、な」
「まあ、ヤドリギに関する夢だ」
「ほう」
「ヤドリギはな、天界を放逐された者なのだよ。それもこれも、天界に満ちる神力を食らいすぎたということでな」
「食い意地の張ったヤツだのぉ」
「そのとおり。食らいすぎて、ついには腹痛を起こしたヤドリギは、あきれ果てた大地母神によって地上へ下ろされた。そこで食いすぎた神力を放出するように、との神意でな。天界は神力が過剰に満ちあふれており、ヤドリギが食ろうたものを吐き出したりすれば、天界全体の均衡がくずれかねん、というわけだ」
「ふん、天界がそのように脆弱であるものか。神力の使い方に往生するわけもあるまいて。大地母神の姦計ではないか?」
大地母神に対するエイヤの雑言は、不敬以外の何物でもない。それでも天罰が下ることはなかろう、と長は嘆息する。エイヤは人智を越えているところがある。
「おそらくな。人の世に神力を与えたらばどのようになるのか、という実験でもするつもりであったのやもしれん」
「神の気まぐれじゃな」
「ヤドリギは安住の場として一本の木を与えられた。それが後に金糸の木と呼ばれるようになる。金糸の木そのものは光るわけでも、神力を蓄えられるわけでもない。ただ、食いしん坊のヤドリギの裡に溜まった神力を地上に放出するための媒体であるのだ」
「ふむ、ヤドリギそのものが金糸樹だった。大陸のあちこちに金糸の木が増えたのも、神力をまんべんなく放出しようという意図があったのかの」
「さて、大地母神が植えたのは、最初の一本だけのはずだったがな。そのうちに金糸の木の実がなり、鳥が食らい、種を運んだのであろう。加えて人の手によっても金糸の木は増えていった。金糸の木の命脈は、地下でつながった」
「ヤドリギから流れ出た神力が、地上では魔力と化したのだな。しかし出しっぱなしの状態では、食い意地の張ったヤドリギのことだ、ふたたび食らいたくなったのではないか?」
「空腹でなくとも、ヤドリギは食らおうとする欲が強い。だから、魔力に変化した神力を吸収するようになった。ところがな、魔力はヤドリギにとって軽い毒のようなものでな」
「魔力は魔法を行使する際の贄のようなものではなかったか?」
「違うな。おそらく魔法は、大地母神の謝礼のようなものであろう。厄介な子を地上に任せてすまない、とか何とかな」
「だから魔法を行使する際は、大地母神とその同胞に祈るのか。ふむ、なるほど」
「そうであろうな。それで話を戻すが、つまりヤドリギは……ほれ、あれだ」
そこで大神宮の長が、そろりと口を出した。
「自家中毒でしょうか」
「そう、それだ。腹痛とは違う苦しみを負ったヤドリギは、あわてて己の中にある魔力を吐き出した。ところが、これまた厄介なことに、ヤドリギの中に入った魔力は、さらなる変容を遂げていたのだ」
「ふむ、それが、ヤドリギの放った昏黒の魔法というわけか。まったく、迷惑な話だ」
「今は順当な放出に戻ったわけだが、これから後、五百年、一千年先にもヤドリギは同じ轍を踏むことになろうよ。吾らには考えも及ばないほどの無量の神力が蓄積されておるのだろうからな」
「ヤドリギというのは頭が悪いんか? まあ、金糸樹が放出する神力のおかげで、地上に住まう者はことごとく魔力を持つようになったのだが。これも功罪相償う、といったところか」
「ヤドリギは天界に住まう者ではあったが、どうやら愚者であるのは確かだな」
「幾度も繰り返せば、いずれは大地も破綻をきたすやもしれん。夢の中で大地母神は何かおっしゃってはおらなんだのか?」
「考え中らしい」
神なのに?
「やれやれ。それまでは人の力で何とかせい、ということか。確かに魔力と化した神力の恩恵を賜っているわけだがのう」
盛大なため息を尽いたふたりの刀自は、同時に香茶のカップを傾けた。




