巨人
黒い霧をまとった腕が、どかん、と地面にめりこんだ。
「うわ……」
丸太のような腕に吹っ飛ばされたら、ひとたまりもない。
身構えたジークの体が、ふわりと浮いた。
気づけば、正面からユイカに抱きかかえられ、つい今しがた居た場所から移動していた。地面に食い込んだ巨人の腕から、五十歩ほど下がった位置だ。
エンテが駆け寄ってきた。
「ありがとう、ユイカ! 大丈夫、お兄ちゃん?」
「……あ、ああ」
テレポートとやらで、ユイカがジークを避難させてくれた。
どうして一瞬で移動できたのか理解が追いつかない。尻もちをついたジークは、彼から離れるユイカを呆然と見つめた。
ずしぃん、と地響きがして、エンテとジークの体が揺れた。
カンバーきょうだいが振り返ると、両親とエイヤの間に踏み込んだ巨人の足が見えた。
「おかあさん、おとうさん! おばあちゃん!!」
エンテの叫びが聞こえたのか、ローラが振り向き、後退しろ、と子ども達に向かって大きく手を振る。
エンテと駆け寄ってきたロンバルトが、腰に佩いていた剣を抜き放った。あわてたのは、従者のダルクだ。
「お待ちください、ロンバルト様!」
その時、巨人に向かって飛び出そうとするロンバルトを、いつの間にか近寄っていたユイカが片手で制した。誰もユイカの動きが見えないし、予測がつかない。
ユイカが、平坦な表情のままに振り向く。
「ここにいろ」
ユイカの体が、ぐん、と宙に浮かびあがった。
驚嘆する皆を置いて、ユイカは速度をあげて上昇すると、巨人の眼前で停止した。
ユイカに気づいた巨人が、腕を大きく振りかぶる。
ユイカの口角が、にっ、と不敵に押しあがった。
ぶぅん、と空気が震えた。なんらかの力が発動されたのだ。
巨人の腕が中空で止まり、その足がたたらを踏む。次には強烈な衝撃を受けたように、雲を衝くかのような巨体が浮き上がった。
轟音とともに、青銅の巨人が吹っ飛ぶ。黒い木々が、ばきばきばき、と音をたてて巨躯の下敷きになって倒れた。
「な、何が!?」
呆気にとられたカンバー一家とロンバルトの目の前で、ユイカが巨人の真上に移動した。ユイカから、さらなる力が発動されようとしているのを、エンテは全身でとらえた。
「ユイカ、待って! 巨人を殺しちゃダメ!!」
精一杯に声を張り上げたエンテを、ユイカが目をぱちくりとさせて見やる。
「こいつは危険だ」
「それでも駄目だよ。何があっても、これ以上は幻獣を害しちゃいけない」
「そうか。惑星生物保護条例に違反することになるのか」
意味不明の言葉をつぶやいたユイカは、どうやらエンテの言い分に従うと決めたようだ。「わかった」と首を縦にふると、ふたたび幻獣を見下ろす。
ユイカによるものなのだろう。地面に仰向けに倒れた青銅の巨人は、尋常ではない力で四肢を地面に縫い付けられたような恰好になっている。
「ぐおおおぉ」
巨人は苦悶の声をあげるが、手も足も胴も思うようにならず、地面に張り付いたままだ。
間一髪だったアレクとローラ、そしてエイヤは、ようやく体勢を立て直せた。エイヤを介助しながら、三人でエンテ達の方へやってきた。
ユイカが、静かに地面に着地した。
「ユ、ユイカ、これって……。巨人はどうしちゃったの?」
ユイカのもとに駆け寄ったエンテが、おそるおそる巨人を振り返る。
「テレキネシスを応用して押さえつけている。自分の力にも限界があるので、早いところ解決法を見つけてくれ」
ユイカの言葉を耳にしたエイヤが口を開いた。
「巨人の体にまとわりついている黒い霧を、なんとかできればいいんじゃろうが……」
「しかし、魔法で消すことができない」
アレクも苦渋に満ちた表情で、ユイカの力に押さえつけられた巨人を見つめる。
ロンバルトが駆け寄り、巨人から眼を離さないままのユイカに話しかけた。
「いま館に連絡して、強い鎖を用意させている。じきに届くはずだ。それまで押さえていられるか」
「やってみよう」
「だが、魔獣捕縛用鎖で巨人を捕らえたことはない。巨人の力に耐えうるかどうか」
ユイカのこめかみに、うっすらと汗がにじんでいる。飄然としていても、彼女が相当の力を使っているのがわかる。
エンテも声をかけた。
「ユイカ、無理をしないで、と言いたいところだけど、わたし達の魔法は通じないから……。ごめんなさい」
「それは……かまわない」
上の空で返事がきた。ユイカにとっては、声を出すのも厳しい状況なのかもしれない。
「エンテ、ユイカの気をそらしてはいかん」
エイヤに叱責され、エンテはおずおずと退く。ユイカの背中は、目いっぱいに力を行使しているためか、今にもはち切れんばかりに緊張している。青筋が立つこめかみから、汗が流れ落ちる。この状態を、いつまで続ければいいのか。
状況が切迫しているのに変わりはなく、アレクは破壊された魔法防御壁の再構築にかかっている。たとえ効果が半減するとしても、何もしないよりは増しだ。
エンテは、きょろきょろと周囲を見回した。自分にできることがないか、と模索する。
「あ、あの岩」
まるで地から生えた角のような岩が、エンテの目に映った。腕を伸ばした大人10人が、やっと囲めるほどの大きさだ。
「あれを、巨人の重石にできればいいんだけど」
青銅の巨人は、幻獣の中でも頑強なことで有名だ。体表は鋼でできている、と言っても差し支えない。だからこそ、かなり乱暴な手段を講じないと動きを止めることはできない。
しかし、いくら何でもエンテの風の魔法では、あんな大岩を地面から掘り起こすのは無理だ。隠れた部分が、どれほどの大きさなのか見当もつかない。
エンテは、少しばかりユイカから離れた位置で浮いているデイを見た。
「ねえ、デイちゃん。あの岩をわたしの魔法で巨人まで動かしたいんだけど、地面に深く埋まっているし……。うーん、やっぱり無理だよね」
どうしよう、とエンテが視線をさまよわせていると、さっ、とデイが近寄ってきた。
「地面から出ている部分を切り取ることは可能デス」
「へ?」
エンテが、ぽかんと口をあける。
「少し、離れてくだサイ」
エンテが後ずさると、デイの表面から赤く細い光が発射された。光線が岩に到達すると、まるでナイフで肉を切るようにさーっと切れ目が入り始めた。
「えええっ!?」
「完了」
デイの言葉と同時に、岩の地表から出た部分が切り取られ、轟音とともに斜めに片側へすべり落ちた。
「……あ、ありが……とう」
「どういたしまシテ」
即座に気を取り直したエンテは、風を呼び寄せ集約する祈りを唱えた。
「風よ、大地の一部たるものを、その腕にいだけ」
びゅおん、と風がうなり、がこがこと不自然な音をたてながら、切り取られた巨大岩石が、ゆっくりと持ちあがった。
「風よ……」
エンテの必死の祈りにより、浮き上がった岩塊が、ゆっくりと移動しはじめる。やがて、そろそろと巨人に近づき、腹の上に着地した。この程度の重さならば、青銅の巨人の体に申告な実害を与えないはずだ。
エンテは風を操りながら、情けなさそうに眉尻を下げる。
「ごめんなさい。いつかは解放できるはずですから、しばらくおとなしくしていてください」
黒い霧がまいているが、まだ岩の塊は侵されていない。エンテは風圧で上から岩を押さえつけた。
「ヴ、ヴオオォ……」
地鳴りのような、くぐもった叫びがあがった。押さえつけられた巨人の苦悶の声だ。この世のものではない力で直接抑え込まれているからなのか、あるいは黒い霧に苛まれているせいなのか。黒い霧は、ますます濃くなってきていた。
「ぐっ……」
ユイカの顔から、ぶわっ、と汗が噴き出した。エンテも必死に風で岩を押さえつける。
やおらロンバルトが飛び出した。巨人の腕ぎりぎりの地面に刀身を深く突き立て、腰の革帯をはずす。握りの部分に革帯を結わえると、反対側へと腕を飛び越えた。ロンバルトが地面に寝転がり、巨人の腕に渡した革帯を引っ張る。
革帯はちょうど手首から肘の真ん中あたりを押さえ、巨人は腕を動かせなくなった。
仰天したエイヤが怒鳴った。
「若、無茶をなさりますな! 跳ね返されたら、ただの怪我ではすみませんぞ」
確かに無謀だが、魔法が効かないのだ。おそらくロンバルトは魔法で身体中の筋肉を強化し、肉体の力のみで巨人を抑え込みにかかったのだろう。
「このまま巨人を放置したら、被害はまぬがれない」
「そのとおり」
ロンバルトの言葉を受けて、にやりと笑ったのはジークだ。見る間にロンバルトと同じ方法を取り、巨人のもう片方の腕を絞めつけた。
主達に負けじ、とダルクが足に回った。ダるクは巌のような男だが、脚を押さえる方が腕よりも困難なはずだ。
ユイカは彼らの行為に目を細めた。エンテが重石に使った岩にも、じわじわと黒い霧が這い上ってきた。だが巨人には、岩そのものの重量がのしかかっている。風の魔法が消えても、効果に変わりはないだろう。
基本的にはユイカの押さえが効かなくなれば、巨人は動けるようになるだろう。ユイカは、まんじりともせずに巨人の体を拘束し続ける。
やがて、ようやく兄弟な魔獣用の鎖が、荷馬車に乗せられて到着した。荷馬車の周囲には、テミス領の防衛組織の要である小隊が同道している。
巨人の腕を押さえて地面に仰向けになったままのロンバルトが、指示を出した。
「隊長、鎖で巨人を拘束し、身動きひとつできないようにしろ!」
「はっ!」
それからの兵達の動きは早かった。まずは巨人の体のまわりに杭を深く打ち込む。太い鎖で手足の動きを封じる。次は巨大な岩ごと鎖をかけ、怪力自慢の者達が杭の先の輪に通した。
そこでようやく、エンテは風を散らし、ユイカは超能力による力を緩めた。ただしユイカの眼は、油断なく巨人の動きを見張っている。
すべての作業が終わり、全員がほっとしたところ、エイヤが爆弾を投下した。
「黒い霧が、さらに濃くなった。防護壁を突破されるのも時間の問題だろう」




