テミス領に到着
カンバー魔法具店からの転移先は、テミス領主の館だ。
館内の転移魔法用の室に到着すると、即刻、ロンバルトは領主の執務室へ向かった。カンバー一行は彼と別れ、すでに防護壁の補填魔法具を携えて黒い霧の発生した森へ向かった。彼女らについて、領主である父、ジイド伯に報告をする必要がある。
「父上、ただいま戻りました」
めずらしく執務室で防衛のために指示を出しているジィド伯ジェラルドが、うろんな目つきで息子を迎えた。
「カンバーの刀自は?」
「先に森へ向かいました」
「相変わらず身軽なことだ」
挨拶もなしか、とジィド伯は渋い顔つきを隠しもしない。
もっとも、エイヤらが領主の元へ参じてご機嫌伺いをする猶予など、まったくないのは承知の上だ。到着次第、森へと向かうのは承知していたこと。
それにしてもカンバーの者の自由度が高いのは、もともとの気質はもちろんのことだが、エイヤが多分に影響を及ぼしているのではないか、とジィド伯は睨んでいる。
金糸の森に隣接したテミス領の森は、領館の目と鼻の先にある。そこではアレクとジードが奮闘しているはずだ。
「持ってきた防護壁用の魔法具も、どの程度耐えられるか、エイヤにもわからないそうです」
「あの黒い霧は、いったい何なのだ?」
「刀自は何かしら知っているようですが、霧の発生を押さえるのが先だと」
「それほど危険であるということか」
ロンバルトの目が、厳しい光を放つ。
「大陸中の金糸の森の木が倒れたようなのです」
「なんだと!?」
一瞬、ジェラルドが呆けたような顔をした。
「いったい、どうやってこの短時日に大陸中の木の様子を知ったのだ? 各所からの報告も、そう簡単には集まらんだろうに」
「取り急ぎローラが現状を教えてくれたのですが、慎重を期すため、確認方法についてはそう簡単に説明できないそうです」
「それで、引き下がったのか?」
ロンバルトは、ふ、と唇の端を押し上げる。
「『カンバーのやることに口出しは無用』……ですからね」
「むう、仕方あるまい」
「これから私も森へ向かいます」
首肯したジード伯に軽く頭を下げると、ロンバルトは執務室を辞去した。
「カンバーのやることに口出し無用……か」
窓から空を見あげたジード伯の口から、軽いため息が漏れた。
神樹の地の金糸の森から続いているテミス領の森は、土地の豊かさを象徴する。神樹の地の金糸の森と同じく、結晶石のようにほのかに輝き続ける。
神樹の地は大地母神の恩寵を象徴する聖地だ。神樹の地は丈高いコリドー山脈の山懐に位置している。
隣接するテミス領もまた、同じ山々を背景にした土地だ。そして、金糸樹と金糸の森に影響を受けた鉱石である結晶石が産出される。
その地には、コスモロード国の王家も手出しをできない。結晶石採掘の権利をテミス領から奪ってはならない、という不文律が存在する。テミス領をたばかった場合、結晶石は二度とコスモロードばかりか大陸中の手に入らなくなる。それは、一千年以上も昔からの決まり事である。
王都から転移し、即座に金糸の森へ駆けつけたカンバーの女性陣は、愕然として佇んでいた。
森は、これまでの森ではなくなっていた。
いや、確かに森はあるのだが……。
ともかく現状を確認しようと、エイヤはローラ、エンテ、そしてユイカを従い、すっかり様相を変えてしまった森の縁に立った。
「かあさん」
歩いてきたのはアレクだ。
エンテの父の頬はこけ、額には深い皺が刻まれており、疲れがにじみ出ている。
ローラが歩み寄り、夫の頬に触れた。
「ひどい顔色よ、アレク」
「ローラ……」
エンテの見方に間違いがなければ、アレクは、どことなく、ほっとしたような顔をしている。家族、というかローラの顔を見て、気が緩んだのかもしれない。父にしてはめずらしい、とエンテは両親の会話に耳をかたむける。
「皆で来たのか」
「ええ。とにかく森が気になって。ジークは、どこ?」
「こことは離れた場所で、ほころびの生じた防護壁を補強している」
「あなたもジークも、ここで踏みとどめているのは、さすがね。でも……」
思っていたよりもひどい、と女性陣は衝撃を受けていた。
アレクの防護壁は、かすかな黄色味を帯びて、森に沿って延々と展開されている。しかし、その向こう側に見える森の様子が、あまりにも異常だ。
とにかく真っ黒なのだ。
黒い霧がそこかしこから湧き出てており、森を陰惨で暗澹たる雰囲気に変えてしまっている。神樹の地の方向から流れてきたのは確かだ。
したたるばかりの緑とほのかな光にあふれていた森は、今や生きとし生けるものを寄せ付けない黄泉の国の入り口と化している。木も草も、腐れて、黒い、何か別のもののようになってしまった。
どこからか、不気味な咆哮が聞こえてきた。
「おとうさん。あの声は、なに? 魔獣とも幻獣とも違うような」
顔色をなくしたエンテの顔を見やったアレクは、そのまま森の方へ視線を向けた。
「どうやら金糸の森で、我々の想像を絶する怪物が生まれているようだ」
「どういうこと?」
しばらく森の方へ目を向けていたアレクは、肩をぐるりと回し、疲れたように深く嘆息した。
(おとうさん、ほんとうに疲れてるなぁ)
エンテは唇を引き結ぶ。父の疲れた様子は、現状を如実に表している。
「森の聖乙女候補が召喚して連れてきた幻獣が黒い霧に侵された挙句に変容し、金糸の森に放置されたらしい」
「変容した? もしかしたら、召喚された幻獣が、召喚した人に見捨てられたってこと?」
「詳しくはわからない。大神宮に問い合わせるしかないだろうな。ただ、捨てられたという幻獣よりも数倍の数の啼き声が聞こえてくるんだ。他にも何か、想像を超えたモノが生じている可能性もある」
深刻に腕を組むアレクや眉をひそめるローラ、呆然とするエンテをよそに、エイヤがどしどしと歩を進めて森の縁に立った。
「防護壁が弱まっとるじゃないか」
アレクが仕方なさそうに首をふる。
「どうやら黒い霧は、魔法を脆弱にするようです。防壁を張っても、じきに脆くなってしまう」
むむっ、と口角を押し下げて、エイヤは黒い森を睨みつける。
やがて手首に下げていた巾着の口を広げると、中に手を突っ込んだ。袋の中からつぎつぎと、透明のカバーに覆われた結晶石のついた台座が取りだされ、受けとったエンテとローラによって地面に並べられた。エイヤの収納用魔法具は、無尽蔵に物を保管できることでひっぱりだこの逸品だ。
エイヤが息子を見あげた。
「ほれっ、何をぼんやりしておる。魔法具を設置するぞい」
ローラが同じような巾着から、伝令用の携帯魔法具を取りだした。小さな結晶石が据え付けられた懐中時計のようなものを作動させ、「今すぐ集合」との伝言を吹きこんだ。「もう到着してたのか!?」という、焦ったようなジークの声が、魔法具を通して届く。魔法具付属の鎖をじゃらりと鳴らし、ローラが、ふう、と息を吐いた。




