試される候補
コスモロード国から送られてきた森の聖乙女候補は、ひとりだけだった。
転移の間からの報告を受けた大巫女は、この世に大災厄を誘おうとしているのは大巫女本人ではあるまいか、と誤解されるほどの怖ろしい気を全身にみなぎらせた。
転移の間から謁見の間へと通されたオランティアと付き添いの神官は、室内に充満する尋常ならざる空気に圧倒された。正面に座するのが大巫女で、その傍らには大神宮の長が侍っている。両壁には、巫女と神官が五名ずつ立ち並ぶ。彼らはそれぞれ、次代の大巫女及び大神宮の長と目された者達だ。いずれ、彼らの中から選ばれることとなろう。
白髪に痩躯の大巫女の齢は知れない。そこにいるだけで、他を圧する威を放つ。
「コスモロード国の神宮には、候補はふたり、と伝えていたはずだが?」
静かな怒気を滲ませ、大巫女は眼前にて平伏する神官に問うた。
傍らには戸惑いを隠し、傲然と顔をあげる森の聖乙女候補がいる。居丈高な大巫女に対し、彼女は眉をひそめた。わざわざ出向いてやったというのに、この歓迎ぶりはいかがなものか、というような無言の非難が窺える。明らかに大巫女のいかめしさに怯ひるんでいるはずだが、面に出すのを矜持がさえぎっているのだろう。
大巫女の側近くにある大神宮の長は、ひそかにため息を吐く。
(大名家の令嬢らしくはあろうが、今は、そのような態度は何の役にも立たない)
森の聖乙女候補に付き従ってきたコスモロード国の神宮神官は、身を貫かんばかりの大巫女の気を浴び、舌が顎に張り付いたようになっている。それでも応えねば、大地を裂かんばかりの迫力に全身を粉々にされそうだ。
「は……ははっ。そ、それが、平民である方の候補が召喚したのは、ただ人でございました。ゆえに、神々しいばかりの天馬を喚よびよせたオランティア様こそが森の聖乙女にふさわしいかと……」
「それを決めるのは、おぬしらではない」
つぶやくかのように口を開いたというのに、謁見の間を震撼させるような声が、小柄な大巫女から放たれた。うわぁん、と耳鳴りのように、広間を駆け抜ける。
「まったく! なぜにカンバーの娘を連れてこなかった。託宣をおろそかにするにも程がある」
大神宮の長が、さっと大巫女に近寄り、耳元でささやいた。
「ここで癇癪を起されても、仕方がございませんでしょう。候補であるのは確かなことでございます。即座に金糸樹へ向かわせてはいかがかと」
むう、と唇の両端を思いっきり押し下げた大巫女は、仕方なさそうに鉾ほこを収める。
「わかった。では、さっそくに、そこな候補を金糸の森へ向かわせよ」
「し、しかし、オランティア様は到着したばかりで……」
悠長な神官の言葉を受け、大巫女の唇から、地の底より湧きあがってきたのではないかと思われるような言葉が漏れ出た。
「他の候補は、ことごとく失敗しておる。というより、森に入る前から尻込みする者ばかりだ。ならば、コスモロードの娘こそが真に森の聖乙女であると証明するがため、即座に金糸樹へと向かうがよい」
異論は許さぬ、とばかりに、言うだけ言った大巫女は椅子から立ち上がった。のっそりと数歩足をを進めると、思い出したように振りかえった。
「おぬしらは、事の重大性をわかっておらぬようだ」
あわてた神官が、にじり寄る。
「お待ちください。いったいどのようにすれば、森の聖巫女であるとの証を得られるのでありましょうか!?」
「それは、その者が金糸樹の前に立てば、おのずと知れよう」
ぎろりと神官を睨めつけた大巫女は、いまいましそうに片頬をゆがめた。
「その前に、金糸樹に辿りつく必要があるがな。その娘こそが森の聖乙女であると主張するのならば、ここで無駄な時間を費やしている猶予はない」
びりびりとした気をまとったまま、大巫女は退席した。
※※
「……こんな、こんな状況で、いったいどうしろと言うのです?」
金糸の森の縁に到着したオランティアは、あまりのおぞましさに全身を震わせた。
いま彼女は、喚び戻した天馬に騎乗している。その天馬も及び腰になっていて、四足がじりじりと後ずさる。
目の前に広がるのは、もはや金糸の森とはいいがたい、暗黒の腐臭漂う世界だった。
話に聞いていた輝く森など、どこにもない。
黒い霧は、中心部から森の辺縁へと触手を伸ばしていた。木々は倒れ、下草は腐り、鼻をつく臭気にまみれている。そこかしこに散らばっているのは、苦しさのあまり這い出てきた獣の死骸だろうか。
金糸の森に棲む獣は穏やかな性質をしており、攻撃的ではないと聞いている。それらが、黒々とした腐乱状態と化している。地面は赤黒く爛れたようになり、今にもおぞましいモノが這い出てきそうだ。
「……これは、金糸の森などではなく、おどろなだけの黒い森ではありませんか」
オランティアはハンカチで口と鼻を抑える。できれば目も覆いたいに違いない。
彼女の護衛としてついてきた大神宮騎士らは、当初から面貌を装着していた。この状況を知っていたからに違いない。コスモロードの神宮よりつかわされた神官は、なぜ教えてくれなかったのか、と恨めし気な目を騎士に向けた。
袖口で鼻を押さえた神官は、もごもごと大巫女の言葉を伝えた。
「金糸樹の立つ場所へ赴けば自ずとわかると言う大巫女様のお言葉ですが、この森に分け入る必要がございます」
オランティアの口から、思わず知らず悲鳴があがった。
「いやよ! どうして、こんなところへ入らなければならないの!?」
思わずぞんざいな言葉遣いになってしまったことに気づき、オランティアは、ぐっ、と口をつぐむ。
神官はあわてた。
「し、しかし、金糸樹は、この先にあるはずで……」
「……これは、わたくしの役目ではございません! そ、そうだわ。もうひとり、候補がおりましたでしょう? これこそ、平民の仕事ではございませんの。あの者を呼べば良いのです」
「し、しかし、ここまで来て引き返しなどしたら、大巫女に失格者の烙印を押されてしまいます。もとより森の聖乙女の称号を戴くことはかないません。国元へ顔向けが……」
「失格者としての責任は神宮にあるわ。そ、そうよ、あなた……あなたこそが失格者と言えるのではなくて?」
ここまで来たら、責任うんぬんではないことは神官にもわかっている。国家の権威、神宮の沽券を示さねばならない。嫌でも押し通すより他ないのだ。
「ただいまオランティア様には、幾重にも防御魔法がかけられております。いかなる穢れも受けつけません。ですので……」
腐った森の端で、オランティアと神官は睨み合う。そこに、いかなる天啓も閃きも生じることはない。進むか、退くか。いずれにしろ御旗をあげてここまで来たのだ。神官も、そのまま国元へ戻れはしない。何より大巫女の怒りを買うのが、どれほど恐ろしいことか、謁見の間でオランティアも身に染みたはずだ。
「そ、それに、騎士達も必ずやオランティア様をお守りいたしますでしょう」
言いながら騎士らを振り返ると、隊長が面貌を外した。
「我らが付き従うは、ここまででございます。森の聖乙女候補には、おひとりで森へ入っていただくようにとの大巫女様からの指示でございます」
「なんですと!?」
この忌まわしい森へ、淑女たる名家の令嬢ひとりを送り出そうというのか。
隊長の言葉を耳にとらえたオランティアは、愕然として体をすくませた。
「そ、それは、無体でございます。あまりに無謀と言えましょう」
懸命に言い立てる神官に、表情を変えぬまま隊長は言葉を継いだ。
「あとひとつ、大巫女様よりのお言葉でございます。森の聖乙女に召喚されたモノとならば、たやすく金糸樹へと到達できるであろう、と」
大巫女よりの伝言に、神官は森に入る方法について気づいた。
「そ、そうでした。オランティア様の喚ばれたのは天馬ではありませんか。空から金糸樹へ向かえばよろしいのでは?」
オランティアは唇を引き結ぶと、きっ、と神官を見据えた。彼女の背後は騎士らに固められており、もはや退路は閉ざされた。
「……わかりました」
オランティアがささやきかけると、天馬はそろそろと足を踏み出す。天馬すらも脅えているのがわかる。
やがて天馬は、ばさりと羽音をたて、おおいなる翼を広げた。
「まいります」
前足を踏み込んだ天馬が、勢いよく舞い上がった。その背にあるオランティアの姿は、美しくも神々しい。
「おお」
天馬を見送る人々は、感嘆の声をあげる。
だが、森の上空へ駆け上がろうとした天馬が、森の端を越えようとしたところで、いきなり翼が力を失い、だらりと垂れ下がった。
「きゃあっ」
首にすがるオランティアともども、天馬は金糸の森の端に立つ木の樹冠に落ちた。黒くカサついた葉や枝をへし折りながら、天馬は為すすべもなく墜落する。
見守っていた神官は、蒼白となり慌てふためく。さしもの大神宮騎士も見過ごすことはできない、と金糸の森に踏み込んだ。
防御魔法を自らにかけていた者はまだよかった。必要はないだろう、と生身の状態で森へ飛び込んだ多数の騎士は、たちまちのうちに手足の力を失い倒れ伏す。
防御魔法をかけていた騎士数名が、木の根元で意識を失っていたオランティアをどうにか回収した。
「み、見ろ!」
ひとりの騎士が声をあげた。
目の前に、ゆらり、と幽鬼のように佇立する天馬の姿があった。
黒い靄に包まれた天馬は、元の美しい姿を失っていた。
ぜいぜい、と荒く息を吐き出すたびに、口から黒々とした靄が噴出してくる。
天馬の背や腹に、不気味な靄がまとわりつき、汚物のようにこびりつく。
天馬は、もはや天馬ではない、何かもっと禍々しいモノに変わり果てた。
恐れをなした神官や大神宮騎士達は、意識を失ったオランティアを抱え、一刻も早くとばかりに、その場から逃げ出した。
森の縁で、禍々しく変色した天馬が、耳障りな声でいなないた。
似たような状況は、各国から送られた候補らの間で、何度も繰り返されている。そのたびに、召喚された幻獣が変わり果てた姿となり、森の奥深くへと姿を消した。消沈した候補は、成すすべもなく帰国する羽目となった。
つまり、各国から送られてきた候補の中に、森の聖乙女はいなかった、ということだ。




