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王宮にて

 森の聖巫女候補を神樹の地へ送るためのパレードが執り行われた。

 神宮から王宮までの大通りを、屋根なしの白塗り馬車に森の聖乙女(候補)オランティアが乗り込み、神宮から王宮までの大通りを時間をかけて走行した。やわらかな微笑みを浮かべ、小さく手をふるオランティアの姿は、実に優美だ。

 森の聖乙女とはいったいどんな存在なのか、パレードを見送る人々にはわからない。とにかく凄い女性で、彼らの住む大陸の救世主のようなものだという共通認識だけはあった。誰もが召喚された幻獣の姿を拝んでみたかったが、今のところ天馬は棲み処に戻されているらしい。


「きのう倒れた裏通りの金糸の森の木も、もとに戻るんだろうか」

「森の聖乙女様とやらが何とかしてくれるんだろ?」

「でも、一度倒れたら戻すことはできないよねぇ」

「表通りの木は無事だ。これも森の聖乙女様の恩恵なのかね」


 金糸の森の木は、人々の心の安寧の源でもある。それが倒れたのだ。民草の心に、じわじわと不安が押し寄せはじめていた。




                   ※※




 その夜、王宮では森の聖乙女(候補)を見送るための華々しい壮行パーティーが開かれた。王族や主要名家が一堂に会し、森の聖乙女(候補)である魔法師団団長の息女オランティアを称揚した。

 洒脱しゃだつな装いに彩られた人々が、目を射抜かんばかりの魔法具のシャンデリアの輝く大広間で、森の聖乙女(候補)という異例の存在に鵜の目鷹の目となっている。あわよくば偉業の一端を担う栄誉に与れはしまいか、と誰もが互いを牽制し合っていた。

 オランティアは入場当初から並み居る殿方の視線を独り占めし、足を止めればまるでそこにだけ月の光がこぼれたかのように、ぐるりと周囲を取り囲まれる。この世の春が、ひとりオランティアのみに訪れたかのようだった。

 もともと麗人ではあるのだ。それも当然であろう、と神宮長は満足気だ。オランティアの傍らには、常に長が侍っている。

 世俗感満載の王宮のパーティーにまで顔を出すとは浮かれすぎではなかろうか、などとかまびすしいのは反神宮派か。

 オランティアは国王や王妃に挨拶の後、ふたりの王子をお相手としてダンスを楽しんでいる様子だ。これから大陸の命運をその双肩に担うという緊張感の欠片もない。まぁ、致し方ないところだろう。なにしろ彼女は、あくまで“候補”なのだから。そこのところを皆が皆、無視を決め込んでいるところが鼻白む。



 ダンスに興じる人々を横目に、テミス領主子息ロンバルトは、壁にもたれて気のない風に酒杯を傾けていた。彼は、ため息とともに従者のダルクにこぼす。


「まったく。テミス領の一件は報告ずみだというのに、この緊張感のなさはいったい何だ」

「仕方ございませんね。まだまだ国の片隅の一領地の森の話ですから」

「それにしても、神宮長の厚かましい振る舞いを、どうにかする気はないのか」


 ロンバルトには、森の聖乙女の壮行会パーティーにテミス領主代行として出席しろとの指示が出ていた。そもそも、なぜ、嫡男である兄に言わないのか。

 宮廷勤めのロンバルトの兄は、既にテミス領の異変についての報告を受けている。現在さらなる情報収集のために、華やかな社交場とは関係のない所で東奔西走しているはずだ。長兄は生来の文官肌で、領地を離れて王宮で宰相直属の部署で働いている。

 父に「パーティーにはお前が出席しろ」と一言で済まされて、こめかみの血管がぴきぴきと鳴りそうになったのは昨日のことだ。同調して「必要な社交術を覚える機会だな」と言った兄も、ロンバルトにまったく反論の余地を与えてくれなかった。

 テミス領領主である父のジェラルドは、領地における異変の対応に直々に乗り出しており、余興に付き合っている暇などない、と後足で砂をかける勢いすらある。


「私だって、こんな所で油を売っているわけにはいかないというのにな。まったく、体のいい人身御供だ」

「そうおっしゃらずとも。この際ですからお相手にふさわしい御令嬢などを探されてみては?」

「おまえ、私に喧嘩を売っているのか?」


 舞曲とともに、女性達のきらびやかで色鮮やかなドレスが舞う。

 ロンバルトは端正な面にしなやかな体躯の、令嬢方の熱い視線を集める美男子だ。ところが本人は、まったく意に介していない。美味い酒でも口にしながら幼馴染みのことでも思い描いていた方が、よほど建設的だと考える節がある。


(今ごろ、エンテは、どうしているだろうか)


 どうせならエンテと食事でもしながら魔法談義でもする方が、よほど有意義ではある。そんなことはおくびにも出さないが。


「ロンバルト」


 涼し気な声に呼びかけられて振り向くと、先ほどまで森の聖乙女(候補)と踊っていた第一王子が満面の笑みを浮かべてやってくるところだった。


「どうなされました。森の聖乙女候補のお相手はよろしいのですか」


 王子サルナートが、いわくありげな顔でほくそ笑んだ。


「相手は弟に任せた。森の聖乙女候補の腰ぎんちゃくが鬱陶しいのでな」


 ロンバルトもまた、にやりと笑みを返す。


「オーガスト殿下に、借りを作られたんですか」

「あいつはあいつで、うまく立ち回っているからな。先日、剣術の鍛錬で私が勝ちをとったので、そのお返しだ」


 不敵な笑みを浮かべるサルナートに、ロンバルトの表情もほころんだ。


「そういえば、今のところはサルナート殿下オーガスト殿下ともに、婚約者についての発表はございませんね。王家は、ずいぶんと余裕をお持ちのようです」

「私の妃となる女性は、非常に優秀だが、静かな環境を好むのでな」


 事実なのか口から出まかせなのか、この王子も食えない御仁だ、とロンバルトは目を細める。

 現王は凡庸な人物だが、国政はどうにか回っている。それもこれも、優れた家臣が揃っているからだ。それでも頭上に仰ぐ人物に突出した点を望めないとなると、そのうちに立ち行かなくなるだろう。

 しかし天の配剤は侮れない。それが二人の王子だ。双方ともに、愚昧の輩とは明確に一線を画す俊英だ。過去に倣派閥が分かれ敵対関係に陥るところだが、個性を異にしながらも彼らは相互補完に成功している。

 ただ、現王の派閥に関しては油断がならない。御しやすい現王を余所に、神宮との世俗的な関係を深めている。オランティア嬢の父である魔法師団長が、その筆頭だ。

 ただしサルナートは、そういった実情などどこ吹く風だ。ほんとうに、どこかに美姫を囲っているのかもしれない。


「なるほど。それでも早々に発表なさいませんと、勘違いした輩がかしましくなるばかりでございますが?」


 ロンバルトの言葉に皮肉を読み取ったサルナートが、さりげなく広間を見渡した。

 第一王子の妃に関する情報は、貴族間でそれとなく噂されている。それならそれで、とばかりに縁を結びたい相手として次なる標的とされているのが、第二王子オーガスト、あるいはロンバルト・フェニックス・ジィドだった。

 広間中の目が注目するのは第一王子ばかりではなく、彼と歓談するテミス領領主の子息もだ。嫡男ではないのに注目されるのは、たとえ本人にその気がなくとも、実質領地を継ぐのはロンバルトと目されているからだ。「あの呑気な長子では無理だろう」というのが大方の見方ではある。

 まったく、たいていの人間の目は節穴だ。長兄は評判を逆手にとって、このまま王宮で文官業に勤しむ気満々だ。「領地はおまえに任せた」と言われても、ロンバルトの頭が痛くなるだけだ。実際、領主に向いているのは、兄の方だと言うのに。


「そなたこそ、いつになったら伴侶を決めるつもりだ?」


 テミス領領主ジェラルド・フェニックス・ジィドの位は伯爵だが、国内でもっとも力を持つ古い家柄だ。領地は大陸で一、二を争う結晶石の産出量を誇り、神樹の地に隣接するためか農作物の収穫量も群を抜いている。

 そこまで錚々たる名家だというのに、その気風は豪放磊落にして、新規の風を厭わない闊達な精神を旨としている。だからこそ、永らく生き残ってきたとも言えるのだろう。

 ロンバルトは王子らの遊び相手として、幼い頃、数年間王宮に滞在していたことがある。ふたりの王子とは、それ以来の、忌憚のない口をききあう友人同士だ。

 王子からのしっぺ返しを食らったロンバルトが、誤魔化すように酒杯に口をつけた。


「私の方は……鉄壁がすぎて、どこから落とそうかと思案中です。いや、鉄壁とは違いますね。隙がありすぎて、かえって攻めあぐねるといいますか」

「なんだ。意中の女性がいたのか。どこの令嬢だ?」

「そのあたりは、まぁ……。あちらは、まったくこちらの意図を汲み取ってくれそうにありません」


 首をかしげるサルナートは、いったいどこの家門の深窓の令嬢なのか、と想像をたくましくするばかりだ。少なくとも、この会場に姿はないようだが。


「四年ぶりになりますか……。彼女は王都の祖母の下で修業をしておりましたので、久方ぶりに会いました。相変わらずお転婆なところといい、遠慮のない物言いといい、まったく変わりがないのですが、その……」


 修業? とサルナートは内心首をかしげる。ただの名家の令嬢とはわけが違うようだ。ロンバルトが気を取られる女性に、俄然、興味が湧いてきたサルナート王子である。


「以前とは、その女性を見る目が変わってしまった、と」


 からかい半分にサルナートが指摘すると、ロンバルトは恨みがましい目をして、がっくりと肩を落とした。


「あんなのは反則です……」


 はぁ、とため息を吐く男の気持ちがどこに飛んでいるのか興味は尽きないが、現在は最重要事項が控えている。王子は話題と気持ちを切り替えるため、ロンバルトをテラスに誘った。



 テラスには、夜の庭を楽しむテーブルと椅子がしつらえられている。誰も近づくことができないように、広間との間には腕に覚えのある王子の側近が待機した。ロンバルトの側では、ダルクが隙のない視線を巡らす。

 庭から見ればむき出しで無防備な状態だが、防音と幻惑の魔法具が作動している。サルナート王子とロンバルト・ジィドが軽口を叩きあっているようにしか見えないだろう。


「本来ならば、麗しき姫君と愛を囁き合いたいところなのだがなぁ」

「いつの日にか、お目当ての令嬢との逢瀬を楽しまれることができますよう」

「そう言えば、エイヤ・カンバーの孫娘は、話にならん、と神宮を追い出されたそうだな」

「この国の神宮は無能です」


 ロンバルトがたちまち不機嫌になったのが、手に取るようにわかった。

 これは珍しい、とサルナートは内心ほくそ笑む。なるほど、深窓の令嬢ならぬ難攻不落のカンバーの娘だったか、とサルナートは愉快な気分になった。確かにジィドとカンバーは近しい関係にある。たとえ相手が平民であろうとかまわないのだろう。王子にとって、実に自由でうらやましい限りではある。


「まぁ、それは今に始まったことではない。そもそも森の聖乙女候補にべったりで、王宮のパーティーにまで顔を出す生臭さっぷりだからな」


 大仰に嘆息するサルナートに、ロンバルトは皮肉気に唇を歪ませた。

 さて、とサルナートが背筋を伸ばし、声を低めた。


「ところで、テミス領の森が謎の黒い霧に侵されているということだが」

「……はい。今は、父とともにカンバー親子が対策をとってくれております」

「カンバーか。テミス領はずるいな」

「は?」

「かつて、王宮に取り込まれるのを嫌ったエイヤ・カンバーを、先代ジィド伯がテミス領で庇護してやるとか何とか、甘言を弄して言いくるめたのだろう? まったく、油断も隙もあったものではないな」

「先代への文句をここで聞かされても困りますね。それにエイヤ・カンバーは、なまなかな人物ではありません。甘言などに乗せられはしないでしょう。彼女にも思惑があったと見るのが正しいかと……。甘く見ると、痛い目を見るのはこちらの方ですよ、殿下?」


 椅子に背をあずけたサルナートが、面白くなさそうに鼻を鳴らす。エイヤが簡単に権力になびくようなら、いろいろとやきもきすることもないのだ。そう、いろいろと。


「魔力、魔法技能、そして大地母神の恩寵を賜った者の系譜。魔法師などと乙に済ましてなどいない最高の魔法使い。そう、かつてカンバーはその最高位にあっても叙爵を固辞した。つまり、世の中には勘違いをした輩が多すぎるのだ。王族や名家だからとて、魔法の威力が至上なわけではない」


 サルナートの舌の動きは実になめらかだ。パーティーの鬱憤を払っているのか、そうに違いない、とロンバルトは半ばあきらめた。


「王都裏通りの魔法具店は完全に一般庶民向けだ。カンバーがそう決めたのだがな。我々も入店できはするが、欲しい魔法具を買いあさることがかなわぬ。まとめ買いのために下手に圧力をかければ、二度と店の敷居をまたぐことはできなくなる」

「わざわざ試されたのですか。と言いますか、お忍びで行かれたのですね」

「ちゃんと平民の姿で行ったぞ」

「いや、それでも殿下とわかりますでしょう」


 ロンバルトの顔に、呆れの表情が浮かんだ。なんだか、ほんとうに頭痛がしてきた。警護の騎士は、さぞかし大変なことだろう。


「まとめ買いはできなかったよ。欲しい魔法具をすべて買い占めようとしたら、エイヤ刀自の目つきが変わったからね。機嫌を損ねぬよう、そっと棚に戻した。民は、ひとつひとつ、少しずつ買いそろえるのが当たり前なのだろうからなぁ」

「王族及び名家が、カンバー印の魔法具のまとめ買いや高額の品を希望する場合は、我がテミス領を通してでしか手に入れることはきません。そこのところは、承知されているはずですが?」


 サルナートは片手を振って、念押しするロンバルトを黙らせた。カンバー魔法具店で好きなだけ魔法具を物色したい、という王子の野望は潰えたわけだ。悲嘆のほどは理解できるが、同情はしない。なぜなら性懲りもなく、何度でも挑戦しそうだから。いや、頻繁に出入りして、エイヤの支持を得ようとするのかもしれない。たぶん徒労に終わるだろう。


「愚痴を御披露されるだけなら、辞去をお許しいただけますか」

「冷たいぞ。少しは付き合え」


 ぐりぐりとこめかみを指で捏ねたサルナートが一息つくと、用意された香茶に口をつける。


「仕方がない。では、本題にはいろうか」


 ロンバルトも襟を正した。これからは気の置けない友人同士から、主と臣下の会話へと変わる。


「森の聖乙女という者が、神宮の有り様をひっくり返す可能性に、ロンバルトは気づいているのであろう?」

「はい。大神宮に対する各国神宮の動きが、看過できないことになる可能性もあります。大神宮及び神樹の地は、清浄、清廉、静謐を旨とする、まったき場所だと申しますのに」

「ところが支部である神宮は、必ずしもそうとは言えないわけだ。清濁併せもつ……というか濁のみの王宮に近すぎるのがよくないのだろうな。世俗にまみれれば、人間、どうしたって欲が出てくる」

「託宣によって名指しされた森の聖乙女候補という、これまでになかった者を大神宮へ送り込むことができるのは、多くの神宮にとって渡りに船なのでしょう」

「大巫女というのは、その力に反して権力とはほど遠いところにいるからな」


 大巫女は指名制で、先代の大巫女がこれと決めた巫女を大巫女へと押し上げる。連綿と続く、大神宮の理ことわりだ。

 大巫女が害されれば、大地母神の怒りを買うと言われている。大巫女には誰も逆らうような真似はできない。その上、今代の大巫女が、いったいいつからその座にあるのか、大神宮の外では知られていない。


「あの、齢もしれない刀自の出自すら把握している者はおらんのだろう?」

「大巫女の真名も知られておりません。ですが、託宣を授かる力は確かなものです。そして大地母神の加護も」

「大神宮と大巫女を害さんと、神樹の地へ侵攻した国が滅びた話か。五百年前だったか?」

「はい。大災厄の記録とともに、テミス領にもその時代の文献は残っております。間違いなく大地母神の怒りによるものであった、と」

「不可侵の地を穢さんとする愚か者は、至高の存在によって即刻排除される。ならば大神宮及び大巫女の権威は盤石である」


 しばし手のひらで顎をこすりながら、サルナートは思案にふけった。


「……そこへ今回の森の聖乙女騒ぎか。各国の中枢にとっての目の上の瘤である大巫女を排除する良い機会かもしれないというわけだな」

「うまくいけば大巫女と森の聖乙女の入れ替えも可能なのではないか、という目論見があるようです。森の聖乙女というのがどういった存在なのかもわからないのに、ずい分と短絡的なことですが」


 大神宮と大巫女の絶対的な権威を揺るがすことは、どのような王家名家にも難しい。

 ところが五百年ぶりだという森の聖乙女の存在が明らかになった。託宣により名指しをされたのは、王族や名家の息女がほとんどだ。おそらく豊富な魔力を持つ娘が優先されたと見るべきだろう。

 これに浮足立ったのが、各国の神宮だ。特にコスモロード国の神宮の長は、もはや野望にぎらつく面を隠しもしない。政治の駒として有用な有力名家の令嬢が、森の聖乙女という特例として大神宮に送られる。もしかしたら、次の大巫女の座を得るか、あるいはそれに準ずる、いや、上回る者として神樹の地を掌握できる存在となるのかもしれない。


「非常に、きな臭い。だが、そのようなことは些末時でしかない脅威が近づいているのではないか、と私は危惧している」

「仰せのとおりです。正直なところ、私は森の聖乙女の働きに期待しているのです。まさに五百年前に起こった大災厄が目前に迫っているような気がする、と父も案じております」


 テミス領の森を覆う昏黒の靄は、ぎりぎりの位置で留めている、とジークから連絡が入ったばかりだ。だが黒い靄は、あらゆる生命を食らい尽くす凶兆の証ではないか。そこからいったい、どのような事態が生じるのか。五百年前の大災厄同様に、地上は地獄と化すのか。



 もしや、それ以上の? 考えたくもない。

 考えたくはないが、常に最悪のパターンを想定しておらねばならない。


「間違いなく大巫女は、森の聖乙女の本来の責務を果たすことを期待しているのでしょう」


 ロンバルトは厳しい視線を夜の空に向けた。



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