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ロンバルトとジーク

 ローラが、カンバー魔法具店の通りに面した扉の錠を閉めた。扉には『都合により、本日は閉店いたします』と断りの札を下げる。

 エイヤをはじめとした店の者達に加え、テミス領領主の子息と自分の息子までが顔をそろえているのだ。尋常ではないことが起こった、と判断したためだ。さらには。


「金糸の森の木が倒れた」


 エイヤの一言で、ローラの顔つきが、ぴしりと引き締まった。

 皆でそのまま奥へ向かい、居間兼食堂にそれぞれ落ち着く。


「はああぁ」


 とたんに、どっ、と疲れを感じたエンテは、倒れるように椅子に座り込んだ。ローラがなだめるように、エンテの背中を撫でさすった。


「突然、風魔法を使うことになったのね。かなりの魔力を消費したでしょう?」

「わたしは平気だよ。それよりも……」


 エンテの魔法力(魔力、魔法技能、応用力など)は、平民のそれを上回っている。それどころか、王侯貴族でさえも追いつかないかもしれない。そのことはエイヤの意向で、身内か身内に近い者、あるいはテミス領主家しか知らない。

 エンテは、ちらりとユイカに視線を向けた。ユイカは相変わらず淡々とした表情を崩していない。ローラは、ユイカに何か起こったのだ、と直感し、気づかわし気に黒い瞳の娘を見る。

 ごほん、とエイヤが空咳をした。彼女は自然に上座に席を占めている。


「とりあえず今は、そのことは保留にしておこう。さあ、若もジークも座りなさい」


 エイヤが、強制的ではないが、厳とした声音を出す。ロンバルトとジークはおとなしくうなずき、テーブルを囲む椅子に並んで腰をおろした。エンテもそれに倣う。ローラが促したユイカも、緩慢な動作で隅の椅子に座った。

 ローラが香茶を用意しようと厨房に向かいかけたが、エイヤに止められた。


「ともあれ今は、若の話を聞かせてもらうのが先じゃよ」


 エイヤに促されはしたが、この場にひとりの見知らぬ人物がいるために、ロンバルトは話を切り出すことに躊躇いを覚えていた。


「……ああ、ユイカさんのことは気にせんように願います」

「おばあちゃん、その人は、いったい何者なんだ?」


 ロンバルトの疑念を解消しようと問いを投げかけたのはジークだ。


「彼女についての説明は、若の話を聞いた後にしよう。若の方が緊急を要するようじゃからの。そのためにジークが、魔力も高度な技術も要する転移魔法を稼働したのじゃろ?」

「そうだな、エイヤの言う通りだ」


 いったん疑念を呑み込んだロンバルトが、テミス領での危機的状況について口を開いた。


「テミス領の金糸の森に異常が起こった」


 ユイカ以外の者に緊張が走った。ユイカは、半分眠ったような目をして黙ったままだ。

 金糸の森は、神樹の地と隣り合ったテミス領とにまたがった広大な森だ。森は大陸の最重要区域だが、神樹の地とテミス領それぞれが分担して管理している。ただし森の中心である金糸樹は、神樹の地の側にある。


「昨日のことだ。森から獣が逃げ出しているとの報せを受け、テミス領直属兵の隊が調査のために入ったのだ。その隊から、緊急の連絡が入った。金糸の森から不気味な黒い靄が湧き出ている、と」

「黒い靄……ですか?」


 エンテが首をかしげた。あまり聞いたことがない。


「獣は金糸の森の木を好む。ゆえにその森から出奔するなど異様だ。その元凶と思しきものが、森の深部で確認された。東、つまり神樹の地の方角から、靄がまるで生き物のように這い出てきたらしい。しかも、それがただの靄ではない」

「どうやら、かなり不審な現象のようでございますのう」

「不審どころの騒ぎではなかった……」


 しばし瞑目するように目を閉じたロンバルトは、軽く息を吐きだしてから続けた。


「その靄のかかったあたりから、木も草も黒くなりはじめていたそうだ。逃げそこなった獣も、あっという間に靄に包まれて黒く染まっていったと」

「それらの動物は、どうなったのでしょうか?」

「もちろん、そんな状態で生きていられるわけがない。ほどなく絶命したらしい」


 エンテもエイヤも、そしてローラも異様な報告に息を呑んだ。


「それで、工房にいたアレクに頼んだのだ」

「まあ、夫に何を?」


 ローラが不安そうに頬に手を添えて訊ねた。


「魔法防護壁だ」


 ロンバルトの答えに、エイヤが納得したように首を縦に振った。


「確かに、親のあたしが言うのも何ですが、魔法具なしで張るあやつの防護壁は、大陸随一でございますからな」

「そうだ。だが、いま現在も、その防護壁でさえ、じわじわと浸蝕され続けている」

「まさか……」


 一瞬、エンテの息が止まった。複雑な祈りの言葉と、絶大な魔力を込めた父の魔法防護壁が破られているとは。

 さしものエイヤも、確かめるようにジークに困惑したような目を向けた。ジークは険しい表情で、小さく首を縦に振る。

 ロンバルトが話を続ける。


「アレクも多少は動揺したようだが……。さすがだな、すぐに気を取り直してくれた。今は森の中と辺縁の二か所で防護壁を維持するのに尽力してくれている。だが、破れるのも時間の問題だと言われた。そこで私が父上に進言し、エイヤに助力を頼むために都まで来たのだ。アレクも同意見だ」


 黒い靄は、まるで魔法防護壁を食らうように侵してゆく、とロンバルトは言う。唇を引き結んだエンテが、前のめりになって彼に問うた。


「その、防護壁が消える時というのは、ふいに消えるような感じだったのでしょうか?」

「そうだな。アレクが言っていたが、それまで張りつめていた魔力が、急に霧散してしまったような感じだったらしい」

「急に霧散……」


 そこで黙りこんで思考を巡らせ始めたエンテに、エイヤが声をかけた。


「さっきの風魔法のことかい?」

「うん。おとうさんの得た感触とは違うのかもしれないけど、わたしも急に手応えを失くしたような感じになったの。何だか、すかっ、と空気をつかむような気分になって」


 室内に、重い沈黙が下りた。


「その黒い靄によって力が相殺された……とは考えられないのか?」


 突然のユイカの言葉に、誰もが呆気にとられた。目を見開いたエンテが、呆然となったままつぶやく。


「まさか、魔法が相殺されたなんて……。え、打ち消されたの? あっ」


 そこでエンテが思い出したのは、ガルウから聞かされた言葉だ。


「昏黒の魔法……?」

「ふむ、昏黒の魔法か。ありうるのう。というより、それしか考えられんかもしれんの」

「昏黒の魔法、とはなんだ?」


 ロンバルトが眉根をよせて問うた。ジークもはじめて聞く言葉のようだ。


「あらゆる魔法を無効にするもの……とでも言えばよろしいかの」

「まさか、そのような魔法が存在するのか!?」

「今のところは伝説のようなものでしてな。ただし、それが発動されたことはない、とは言いきれません」

「おばあちゃん、いったい誰がそんな魔法を使うっていうんだ!?」

「静かにおし!」


 いきりたつジークを一喝すると、エイヤが皆の顔を見渡した。


「人が行使するのは無理でございましょうな。まず、体が耐えられない。そして、法則も発動条件も不明ですからの」

「では、もしや金糸樹と関係が?」

「そうですな。そちらの方は森の聖乙女候補が神樹の地に集結し、大神宮では対抗手段をとっているものと考えられます。若はテミス領を守ることのみを考えなされ」


 食堂を沈黙が支配する。外部の喧騒も、ここまでは届いてこない。

 静寂を突いて、ふいにエイヤが、ふっふっふ、と不敵に笑った。

 よっこいしょ、とわざとらしい声をあげ、おもむろに立ち上がる。呪縛が解けたように、誰もが、はっ、として顔を見合わせた。


「それじゃあ、これから防護壁の魔法具の製作にとりかかろうかね。それまで息子が、がんばっていてくれるといいんだがね」


 うそぶくエイヤに、ジークが応えた。


「おばあちゃん、俺がテミス領へ取って返して親父の補佐をするから、しばらくは保てるはずだ」

「そうかい」


 ジークはロンバルトに向き合った。


「ロンバルト様には、ここで祖母の魔法具が完成するのを待っていていただきたいのですが」

「しかし、ここまで来てしまって、今さら言うのも何だが、私も領地で尽力すべきなのだ」

「祖母のことだから、短時間で補填魔法具をロンバルト様にお預けすることができるはずです」


 転移魔法で魔法具だけを送ることもできないではないが、それよりも人が携えていく方が転移の途中で壊れる可能性が低くなる。転移の魔法具は、高価で貴重なものだ。しかも起動できるほどの魔力を持ち合わせる人間はそうそうおらず、ロンバルトにとってはカンバー家の力を借りて転移する方が効率が良い。


「それに、今から二人で帰るために転移魔法で魔法力を使ってしまうのは、なかなか厳しいのです」

「私の魔法力は使えないのか?」


 ローラが、ロンバルトをなだめるように説明した。


「ロンバルト様の魔力の色は赤でございますよね。転移魔法には少々不向きかと」

「そうか……」


 自嘲するように、ジークはうっすらと笑った。


「二人で戻ると、領地で魔法防護壁を張るための俺の魔力が不足してしまいます。祖母の魔法具が出来上がったら、エンテに転移魔法を起動してもらってください」

「エンテの魔法を行使する力は、そこまで凄いのか!?」

「おそらくは俺よりも、かなりの余裕が見込めますね」


 エンテは素知らぬ顔をしているが、それはカンバー家の誰もが認めるところだ。エイヤもローラも、にこやかにうなずいている。ただし、無駄に魔力を使うのを良しとするわけではないのは、ロンバルトにも十分理解できる。


「……そうか、金糸の森の木が倒れたばかりだったな。都でも何が起こるかわからないんだ。エンテに頼んで領地に戻っても、再度転移魔法を稼働してもらう必要が出てくる。もともとジークがひとりで都に来るつもりだったのを、無理を言ってついてきたんだ。ここで確実に使命を果たせるよう、待つことにするよ」

「そうなさってください」


 ジークは額の汗を軽くぬぐうと、ほっ、と息をついた。

 転移魔法は拠点と拠点をつなぐ魔法だ。ロンバルトとジークは、テミス領主である父親やアレクと魔法防護壁に関しての打ち合わせの後に、速攻で転移してきた。つまり、領主の館から都のタウンハウスへの移動だった。




「バルト様、どうして兄といっしょにいらしたのですか? 兄から話を聞かせてもらったら、わたしが届けましたのに」


 エンテが首をかしげると、なぜかロンバルトの目が泳いだ。


「……その、エンテが都の神宮に連れていかれたと聞いて、じっとしていられなかったというか、何というか」

「あらまあ」


 どういうわけか、ローラがほくそ笑んでいる。ジークは苦笑した。

 エンテの胸が、ほんわりと温かくなった。ロンバルトとは何年も会っていなかったというのに、案じてくれたらしい。


「そうなんですか。ご心配をおかけしました」

「い、いや。無事に戻ってこられたようで安心した。数年ぶりに会ったエンテが大きくなっていて驚きもしたが」


 いや、そこは、大人びたとか、きれいになったとか言うべきところだろう、と突っ込みを入れたくなったのはジークだけではないだろう。

 常に冷静な人なのに、なにやらあたふたしているロンバルトが珍しくて、エンテは思わず顔をほころばせた。そんなエンテを見て、さらにこめかみから流れる汗をぬぐうロンバルトが不審人物に見えないこともない。

 ようやく気持ちがほぐれたジークだったが、ふと、テーブルの隅でこれまでの経過を黙って見ていたユイカに目が移った。


「ところでエンテ、そろそろ教えてもらえないか。彼女は、いったいどういう人なんだ?」

「あ、そうか。その、ユイカさんは……」


 ユイカを召喚してしまった経緯を語ったエンテは、元の場所に戻す方法も見つからないため、しばらくここで暮らしてもらうつもりだ、とジークに伝えた。話に耳を傾けていたロンバルトの眉間には、わずかに皺が寄せられている。


「ユイカさんは危険人物ではないぞい」


 エイヤの助言があって、ロンバルトもジークも、ひとまず納得してくれた。どちらにしろユイカも、どんな世界から召喚されたのか、詳細を語ってはくれていないのだが。

 ジークとしては、正体不明の人物が家族とともに暮らすということに抵抗がある。ただ、エイヤもローラも良しとしているのならば仕方がない。カンバー家の長であり叡智の源はエイヤなのだから。そして家政に関する決定権はローラにある。ジークが口をさしはさむ余地はない。



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