金糸の森の木
次の日。
ユイカも少しはこちらの世界に慣れてきたようなので、エイヤの工房で手伝いをすることになった。魔法具の工房で魔力のないユイカに何をできるのかと問えば、意外にできることは多い。
「ユイカさんや、次はこの結晶石を磨いておくれ。小粒だから失くさないようにな」
「了解した」
受け答えは相変わらず固いが、ユイカは比較的手際が良い。
そこへエンテが顔をのぞかせた。
「ユイカさん、どう。おばあちゃんに、こき使われてる?」
「……ん?」
小さな結晶石に集中していたユイカが顔をあげ、やがて、わずかに口角をあげた。
「大丈夫だ。エイヤさんの教えは懇切丁寧だ。優しいとも言える」
「わお」
今度はエンテが声をあげる番だ。
「おばあちゃんの優しさがわかるなんて、ユイカさんは上級者だね!」
「エンテ、ざれ言をお言いでないよ。それにしても魔力のないのが、これほど便利だとは思わなかったね」
魔法具に組み込む結晶石は、曇りのないように磨きあげる。ただし触れれば、その者の魔力の気を記憶してしまう。購入者、あるいは使用する者の魔力の気を魔法具に登録しなければならないのだから、かなり困ったことになる。
神宮でユイカの魔力を調べた時、結晶石にじかに触れたことがある。あれは結晶石そのものが魔法具として加工されているからだ。ありていに言えば、純度の高い結晶石の上を、透明度の高い魔法具で覆った品だ。
結晶石を魔法具に装着してしまえば、触れずに登録することができるので、事前準備には慎重を期す。
通常は、六本足の羚羊の皮でできた手袋を装着し、同じ皮で磨く。
天敵に存在を察知されにくいよう、六本足の羚羊の表皮は魔力を帯びていない。結晶石を磨くのに最適な素材なのだ。ただ、希少な六本足の羚羊の皮は貴重だ。それが、魔力のないユイカには必要がない、ということになる。
「おばあちゃん、ユイカさんには、ちゃんとお給金を払ってよね」
「ああ、もちろんさ」
「衣食住、すべてを世話になっているんだ。賃金などは……」
「駄目だよ、ユイカさん。そもそも、おばあちゃんが、そんなこと許さないって言ったでしょ」
「……そうだった」
カンバー家の者は、誰であろうが出来はどうであろうが、支払いはきっちりとする。信用第一、収支にはけじめをつけるのが信条だ。
「ところで、おばあちゃん。今日は朝から、街全体の雰囲気が落ち着かないんだけど。なんだか物々しい感じ」
エンテが不思議そうな……というよりも不満気な顔で訴えた。
「そりゃ、気づかなかったね」
「おばあちゃんは朝から工房に籠ってたから。あのね、いつもより兵や警邏けいらが多いような気がするのよ」
「ふむ、何か行事でもあったかねぇ」
「おかあさんは、そんなこと言ってなかったんだけど……」
腕を組んで小首をかしげるエンテの耳に、突然、外から大音声が飛び込んできた。
『告知! 告知! 王宮及び神宮よりの告知である!』
玄関扉も店に通じる扉も窓も締め切っているというのに、『告知!』と喚きたてる声は直接耳に響いてくる。騒音に近い声に驚いたのだろう、どこかの赤子の鳴き声まで混じって聞こえてきた。
ローラが「聞きました?」と言いながら工房に顔を出した。広報の魔法具の声は、いつまでも喚き続けている。
ローラが盛大に顔をしかめた。
「広報の魔法具が、どこの工房によって開発されたのか知らないけど、もうちょっと何とかならないものかしらね」
「王宮専属の工房だろうねぇ。この国の王宮も神宮も、庶民の暮らしなんぞ構やしないんだろうさ」
エイヤが苦々しくつぶやくと、どれどれよっこいしょ、と椅子から腰を上げた。
「時期が時期だ。ともかく、表に出て聞いてみようかね」
森の聖乙女関連の告知の可能性がある。
「ユイカさんも行こう」
エンテが声をかけると、ユイカも音源が気になるのだろう、黙って作業台から離れた。
皆、ぞろぞろと連れ立って、表へ出た。広報の魔法具の定位置は金糸の森の木なので、そこまで出向く必要がある。
店を無人にするわけにもいかない。ローラが「これだけの音量だもの。わたしはここで聞いているわね」と扉の前で足を止めた。
通行人や、各店舗あるいは住居から出てきた人々が、木の下に集まってきていた。数人の子どもらが、広報の魔法具を指さしながら囃はやしたてている。
いつもエンテには、この魔法具が何かの冗談のように思えてならない。彼女の背後では、ユイカが呆気にとられて鳥型の魔法具を見上げている。
金糸の森の木の枝に留まった、嘴の部分が巨大な喇叭の形をした鳥型の魔法具が、何ともやかましい声で告知をはじめた。
『告知! 告知! 明日の正午、森の聖乙女の出陣パレードが大通りにて執り行われる。皆々、心してお見送りするように!』
エイヤが額にいっぱいの皺をよせた。
「“出陣”ねぇ。パレードまでやるとはね。……ところでエンテ」
エイヤが、目をしばたたかせて広報の魔法具を見あげているエンテを振り返った。
「“森の聖乙女”と言ってたね。“候補”ではなくなったのかい?」
エンテもまた眉根を寄せ、ふるふるとかぶりを振った。
「ううん。神宮にいた時は、あくまで“候補”ってことだったよ」
「他国に先んじようという魂胆かねぇ。いや、他の国の候補は、続々と大神宮に集まっていて、既に金糸の森で仕事にとりかかっているという報告もあるね。ま、神樹の地へ行けば、ただの候補なのかそうでないのか、わかるはずだが」
「大巫女様の判断で、その場でお帰りを願うようなこともあるのかな」
「そうさねぇ。そもそも現在、金糸樹がどうなっているのか……」
エイヤが言葉を継ごうとした時、ユイカが、びくっとして足元を見た。
「どうした!?」
「え、地面が!」
人々のうろたえたような声が、一斉にあちらこちらから聞こえてくる。地面の下から、ごごごご、という地響きがどこからともなく伝わってくるのだ。皆、不安そうに、きょろきょろと視線を走らせている。
突如、ずがぁん、と全身を震わせる振動が大地を襲った。
体勢が崩れ、エンテはとっさに足を踏ん張る。
「お、おばあちゃん、大丈夫!?」
エンテが振り向くと、ユイカがエイヤの体を支えてくれていた。全体重をかけるようにしてすがるエイヤを、ユイカは難なく支えている。ほっ、とすると同時に、不気味な振動が下から突き上げてきた。
「な、何が起こったの?」
その場にいる誰もが、一斉に同じ方向へ目を転じた。
広報の魔法具を枝に留まらせていた金糸の森の木が、空気を切り裂くような轟音をたて、前方へ向かってゆっくりと傾いでゆく。
崩れ落ちるかのごとくの状況に巻き込まれた広報の魔法具は、あえなく吹っ飛ばされ、通り沿いの建物の壁に激突した。ばらばらに粉砕した魔法具は、もう使い物にならないだろう。
「木の下に人がおるぞ!」
告知に引き寄せられ、けっこうな人数が木の下に集まっていた。
エイヤの叫びよりも先に、エンテは祈りの言葉をつぶやいていた。
「我は願う
大地の母たる御身の名のもとに
はらからなる風の神よ
我が呼びかけに応えよ……」
ひゅううぅ、と建物をすり抜ける風の音が、エンテを中心に集まってきた。彼女の栗色の髪が、あおられてバサバサとたなびく。
美しい、透きとおった緑の風が巻き起こった。
風が、手を差し伸べたエンテの周りを、ぐるぐると舞い踊る。風に色があるのかと問われれば、エンテの風は緑色を帯びていると答えるしかない。
「風よ、倒れ伏しゆくものを支えよ!」
びゅあんっ、と突風が、金糸の森の木に向かうのが見えた。ただの風だというのに、空気を切り裂く何千本もの矢のようだ。
「普通の風ではないのか……」
ユイカがつぶやく。
メキメキメキ、と軋み音を立てながら倒れゆく木を、鮮烈なつむじ風が下から吹き上げて地面に激突するのを止めた。
「早く木の下から出ろ!」
いち早く叫んだユイカの声に、茫然となって倒れてくる木を見上げていた人々が、我先にと木の下から駆け出てた。
……だが。
押し返されていた木が、ぎしぎしと悲鳴のような音をたて、吹き上げる風を圧してゆく。まるで見えない力で、地面に向かって引っ張られているかのようだ。
「いや、ちがう」
ユイカのつぶやきを裏付けるように、風の威力が弱まってきた。
「風が、消える。お願い、風の神よ、もっと力を与えて!」
歯を食いしばるエンテをあざ笑うように、うっすらと緑色を帯びていた風が、ふい、と途絶えた。
はっ、としたエンテが見やれば、木の下には、まだ二人の子どもが残されている。ぎいいぃ、と不気味なうなりをあげながら、金糸の森の木が倒れようとしていた。
「まだ子どもがおる。間に合わん! ……いや、待て?」
焦りを滲ませた声を発したエイヤだったが、即座に疑義をはさんだ。
エンテが、琥珀の目を開く。
木が、地面に激突する音が聞こえない。
完全に倒れたかと思った金糸の森の木が、地面から2メートルほどの高さで、ぴたりと止まっていた。まるで巨人の手で下から支えられているかのように。
大きく広がった枝葉が、ばさばさと空中で暴れている。その葉陰には、二人の子どもをかばってうずくまる、ユイカに似た背中が見えた。
「ユイカさん!?」
エンテがあわててエイヤの傍らを見やると、そこにいたはずのユイカの姿がない。倒れかかった木の下にいるのはユイカに間違いない。
ユイカは体をひねり、木を睨みつけていた。
ユイカの瞳が、ぎらりと銀色に光っている。
そこだけ時間が止まったかのようだ。
二人の子どもを両脇に抱え上げたユイカが、繁茂した葉でできた巨大な傘の下から、俊敏な動きで抜け出した。子どもらを地面に下すと、二人とも泣きながら親らしき者のもとへと駆けてゆく。
ユイカが、ほっ、と息を吐くと、金糸の森の木が完全に地に倒れ、どおおぉん、と地響きが木霊した。
土埃が舞いあがり、ユイカの焦げ茶色っぽい黒髪が躍った。
「ユイカさん……?」
ごくり、と唾を呑み込んだエンテに向かって、ユイカが悠然と歩いてくる。
エンテの目の前に辿りついたユイカは、わずかに口角をあげるのみで、ひと言もない。
そんなエンテとユイカの腕を、ぐいっと引いたのは祖母のエイヤだ。
「店に戻るよ。急いで」
突如として金糸の森の木が倒れた周辺では、その事実に誰もがうろたえている。きっと木が倒れていく様に仰天して、ユイカの行動を見とがめた者は少ないだろう。いや、目にしたことも、きっとわずかな機を狙って子ども救い出したかのように見えたに違いない。それに、金糸の森の木の惨状を目にして、それどころではなくなっている可能性もある
ならば、いつまでもユイカをこの場に留まらせておくのは得策ではない。ありえない力が出現した、と憶測を呼べば、さらなる混乱のもとともなる。
「戻ろう、ユイカさん」
ユイカは何事もなかったかのように、平然としてうなずいた。
ふと、エイヤが金糸の森の木に向かって首をめぐらした。無残に倒れた木の根元に漂う、もやもやとした黒いものが彼女の目に映った。
「土埃……とは違うようだね」
エイヤの表情に緊張の色が浮かんだ。
※※
「エンテ」
皆でカンバー魔法具店に戻ろうと、踵を返した時だった。背後からエンテを呼び止める声があった。エンテがおそるおそる振り向くと、そこに知りすぎるほど知った顔をみとめた。
「え、おにいちゃん!?」
「おや、ジークじゃないか」
エンテとエイヤが、同時に声をあげた。そこにいたのは、エンテの兄であるジーク・カンバーだったからだ。
「王都に来ていたの!?」
エンテの問いに、ジークがかぶりを振った。
「つい先ほど着いたばかりだ。ロンバルト様をお連れするために、転移魔法を使った」
「え、バルト様?」
懐かしい名を聞いたエンテがジークの視線の先を追うと、秋に実る麦穂のような色の髪が目に飛び込んできた。端正な顔立ちに加えて上背のある男は、プルシャンブルーの瞳にエンテの顔を映し、穏やかに微笑んでいる。
そもそも市井に紛れているような人物ではないはずだが、着古した服を身に着け無造作に髪を結わえた姿は平民と大差がない。
「え……と、バルト……ロンバルト様?」
「久しいな、エンテ」
ジークと連れ立っていたのは、テミス領領主の子息であるロンバルト・フェニックス・ジィドだった。彼はどこか照れくさそうに、エンテの顔を覗き込む。
そう言えばこの人は、昔から、館を抜けだして町中をふらつくのが好きな方だったな、とエンテは思いだした。
テミス領で、ともに泥だらけになりながら遊んだ幼馴染みが、そこにいた。彼は隣国に留学をしていたので、ほぼ四年ぶりの邂逅だ。
「エンテ、ロンバルトというのは止してくれ。バルトと呼ばねば返事をせぬぞ」
「あ……。は、はい」
エイヤが、ほっほっほ、と声をあげて笑った。
「ナリは変わっても、若は相変わらずですの」
「若、というのもやめてほしい……」
「若は若ですじゃ」
だいぶ大人びたロンバルトだったが、不満げに唇を尖らせる。それでもエンテには、幼い頃のように「バルト」と声をかけるのははばかられる。背丈もエンテを頭ひとつ分はゆうに越えている。男性というのは、わずか四年で、これほど変わるものなのか。
ロンバルトが、声をひそめた。
「大変なことが起きたな」
……大変。
そうだ、大変なのだ。エンテは、沈んでいた己が思考から思いっきり浮上した。懐かしんだり寂しがったりしている場合ではない。
金糸の森の木は無残に倒れ、周辺には、いまだ土埃がもうもうと立っている。
「は、はい。まさか、金糸の森の木が倒れるなんて」
肩越しに金糸の森の木の方を見やっていたロンバルトの表情が、固く、暗くなるのがわかた。
「やはり、テミス領から離れた王都でも、怪しげな兆候が表れだしたようですね」
「どういうこと、おにいちゃん?」
ジークが、ロンバルトと同じように緊張した顔つきで、眉間に皺を寄せている。
エンテは、いつも兄が飄々とした雰囲気を醸し、当たり障りのない笑みを浮かべているのを知っている。彼がこれほど緊迫した様子を見せるのは、かなり異例のことではなかろうか。
ジークは、顔はにこやかではあるが、厳しい目つきをユイカに向けた。
「あなたには、先ほどの魔法とは異なる現象について、説明してもらいたいのだが」
皆で一斉にユイカを見た。それでもユイカは素知らぬ風で、あらぬ彼方へと視線をそらしている。
(素で知らんふりしてるけど、お兄ちゃんには通らないよ、ユイカさん!)
もちろんエンテも、ぜひとも説明をしてもらいたい。だが、よくよくユイカを観察してみれば、どこか茫洋としているのがわかった。
(あれ、神宮ではじめて会った時みたいになってる?)
エイヤがエンテの背中を、ぽん、と軽くたたいた。
その場から撤退すべき、というエイヤの言葉に従って、ロンバルトとジークも含めて全員でカンバー魔法具店へ戻った。




