第四話 街歩き
「よし、これで支度は出来たね」
「なかなかいい女じゃないか」
「ありがとう、ございます」
翌朝。リディルとエルヴィーラはルーナメリィの支度を手伝ってくれた。長い旅をするのに持ち物が足りないことは明白だったから、服や食べ物を分けて貰えたのは助かった。
「さ、行こうか」
リディルはルーナメリィに手を差し出した。ぽかんとそれを見つめていると、リディルは苦笑して、手を出して、と言う。よく分からないまま手を差し出すと、その手を掴まれた。昨日と同じように手を引いてくれようとしているのだと、ここに至ってようやく理解する。
「ご、ごめんなさい」
「いいよいいよ。ウツィア、時々すごく大人びているけど、いつもは迷子みたいだよね」
「え」
「どうすればいいか分からなくて、戸惑ってる感じ」
心臓が跳ねた。けれどリディルはそれ以上何も言わず、昨日見た広場へ向かう。
「さ、そこで見ててね。今からキョクゲイするから」
「うん」
「おーい、リディル、今日は何やるんだー?」
「そろそろ島主さまんとこ行ったらどーだい」
「芸者なんてやめちまえ!」
「うるさいよ、黙って見てな」
野次を一睨みして黙らせると、リディルは一本の大木に瞬く間に登る。
「さぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 踊り子リディルの曲芸だよ!」
大きな声が広場に響くと、広場でお喋りをしていた人の視線が一気にリディルに集まる。それを確認してから、リディルは木と木の間にかけられた細い糸の上を歩き出した。
リディルの足が糸の上で沈む。かと思うと飛び上がる。思わず声が出たが、リディルの足はまるで吸い込まれるかのように糸に着地した。良いぞぉ、と野次が飛び、ちゃりんちゃりん、と糸の下にお金が投げ込まれる。
まるで空の上を飛んでいるかのようだった。踊る、跳ねる、回る。リディルのつま先から頭の天辺までが、まるで空から糸で操られているかのような錯覚さえ覚えた。髪の毛の先一本まで美しい、という表現は、きっとこういう時のためにあるのだろう。
心配したり驚いたりうっとりしたりと、ルーナメリィの感情は忙しなく動いた。
「ウツィア、どうだった?」
「すごい! リディル、とってもすごいよ!」
ルーナメリィは目を輝かせた。すごい、初めて見た、と興奮も露わだ。
「気に入って貰えてよかったよ。さ、お昼を食べに行こう。美味しいお店、教えてあげる」
リディルに教えてもらった露店は、やっぱりとても美味しかった。可愛い子にはおまけ、と焼き菓子なるものを貰った。齧ると仄かに木の実の風味が口に広がる。この味を甘いと言うらしい。甘いは美味しい、とルーナメリィは知った。
「腹ごしらえもしたし、地図を買わなきゃね」
「あの、お店の場所、教えてほしい」
「地図のお店に寄った後、宿まで送っていくよ。また迷子になったら大変だからね」
「だっ、大丈夫だよ。教えてもらえたら、ひとりで」
「この地区に来た段階で、迷子になる可能性は高いって分かってるからね?」
「……うぅ」
リディルは再びルーナメリィの手を引いて街を歩いた。先程通った道とは打って変わって、進むごとに人が減っていくようだった。家の中からも音がしなくて、異様な静けさが漂っている。
なんとなく、主人さまに打たれる前のような落ち着きのなさを感じて、ルーナメリィは繋いだ手を強く握った。
「人、少ないね」
「この辺りは大通りから外れてるからね。まぁ、いつもより少ない気はするけど……あ、あのお店だ」
店は、入口こそ狭いものの、奥行きがあった。紙が山積みになった店の奥には、白い髭を蓄えた老人が、気難しそうな顔をして座っている。古い紙の匂いが香り、大きな柱時計が目を惹いた。
ほぅ、と感嘆の息を吐きながら店の中を見回し、我に返って焦り始めた。
「あ、地図こっちにあるよ」
「はーい」
先に入ったリディルが、この辺だねー、と山積みになった紙を指す。けれど目は紙の上を滑ってうまく内容を読み取れない。
「これとかいいんじゃない? 家までもちゃんと帰れそう」
「あ……うん」
リディルが指したのは島の南西を描いた地図だ。羅針盤もいるかなぁ、とリディルは店内を見回している。
リディルの好意はありがたいけれど、ルーナメリィが必要としているのは、地図ではなく天図。空に浮かぶ島々を描いたもの。しかしリディルに偽りの経緯を述べた以上、目の前で天図を買う訳にはいかない。
どうしよう、と焦れば焦るほど、頭は空転して何も考えられない。
「この二つがいいかなぁ。ちょっと高いけど、大丈夫?」
「あ、ああ、あの」
「ん? どうしたの?」
きょとんとリディルは首を傾げる。それがますます、居た堪れなかった。
「わ、わたし、天図、買わないと、いけなくて」
「えっ、天図を!?」
リディルは目を見開いた。リディルの目を見ていられなくて、うろうろと視線を彷徨わせる。
「ええと……買ってきてって、頼まれてて」
「そんな高価なもの頼むなんて、いったい……あ、もしかして、今から行く親戚の人に?」
「そっ、そうです!」
「それじゃ、その人は天獣を持ってるの?」
「は、はい」
天獣とは、その名の通り天翔る獣だ。島から島への移動の際に必須とされるが、非常に高価で、庶民が一生働いても手に入れられない。
「……そっか、いいなぁ」
微かに羨望の混じった声に、顔を上げる。リディルの顔は切なそうであったけれど、それはほんの一瞬のこと。すぐにいつもの笑顔が浮かんだ。それでルーナメリィは、なんと言葉をかけていいのかわからなくなってしまった。
ルーナメリィは以前見せてもらったのとほぼ同じ天図と羅針盤を、そして使わないであろう地図を買った。
「――お前、天図を買うのは初めてか」
「は、はい。……これじゃ、ダメでしたか?」
不安になって尋ねると、店主はいや、と首を横に振った。
「この版は、一番よく出来ていると言われている。いいものだ」
そうなのか、とルーナメリィは天図を見下ろした。彼女がそれを知っていたのかどうか、ルーナメリィは知らない。尤も、ろくな会話をする時間もなかったから、彼女のことは顔と名前と家族くらいしかわからないのだけれど。
「天獣を見たことはあるか」
「あ、りません」
声が上擦ったが、店主はちらりとルーナメリィを一瞥した後、そうか、とだけ言った。
「俺は、一度だけ見たことがある。旅人が、青い天馬に乗ったまま入ってきてな」
店主はかつてを思い出すかのように目を細めた。
「――俺は、あれほど美しい獣を見たことがない」
持っていたお金だけでは足りなくて、ルーナメリィは彼女がくれた宝飾品をひとつ売ることになった。
「ウツィア。もし、また会えたら、天獣の話を聞かせてくれない?」
「あの、ぜったい、とは言えないけど」
「それでいいよ。僕を探して迷子になったら大変だし」
リディルはおどけて笑い、また手を繋いでくれた。柔らかな風が頬を撫でていく。いい天気だねー、とリディルはのんびりと言った。
歩きながらその横顔を見上げ、ごめんなさい、とルーナメリィは心の中でつぶやいた。
わたしはきっと、この島には戻らない。
あの人に託されたことを、果たさなければならないから。
なんとなく、胸が息苦しかった。何故なのかは、分からなかった。




