第三話 島主の息子
ルーナメリィは言われた通り、エルヴィーラの部屋に戻った。似たような内装のせいで何度か迷いそうになったが、その度に通りすがりの女性がエルヴィーラの部屋は向こうよ、と指し示して教えてくれた。
「おかえりぃ。あれ、リディルは?」
「えっと、誰かに呼ばれてました」
部屋に入ると、エルヴィーラはまた煙管を咥えていた。ルーナメリィの答えを聞くと、憂鬱そうに煙を吐き出し、煙管をくるりと回す。
「また島主の使いかねぇ」
「島主?」
島主とは、島で一番偉い人ではなかったか。
困惑が表に出ていたのか、エルヴィーラはあぁ、と頷いた。
「あの子は島主の息子なんだ」
ルーナメリィは目を見開く。
「リディル、とっても偉い人なんだ......」
「ところがそういうわけでもない」
「え?」
どういうことかと尋ねようとしたところで、何かが割れる甲高い音がした。ルーナメリィは反射的に身を竦める。
「喧嘩か」
「けんか……」
「殴られないといいけどね」
ルーナメリィは思わず腰を浮かせた。エルヴィーラは怪訝そうにこちらを見る。
「どうしたんだい」
「けんか、だめです」
「止められないよ」
「でも」
「......気になるなら、行ってきな」
「……はい!」
ルーナメリィは部屋を出て、声を頼りに足を進めた。一階まで降りて、先程行った食堂とは逆の方向に足を進める。
程なくしてリディルと、言い争う男を認めた。建物の正面口に近く、扉の向こうから通行人が覗き込んでいる。床には粉々になった何かが散らばっていた。もう日が暮れたのか、扉の向こうは暗く、遠くに吊るされた灯りだけが眩しい。
「何度言われようと行きません。先に僕を捨てたのはそちらでしょう」
「この店がどうなってもいいのか! 島主さまの力なら、こんな店どうとでもなるんだぞ!」
「この店を潰したら、面子がどうなるか分かってるんでしょう?」
「おまえ!」
男の人が手を振り上げた。思わず足を止めかけたが、鞭じゃないと言い聞かせてなんとか進む。バシン、と音が鳴り、リディルは頬を押さえてよろめく。うわ、ひどいな、大人しく言うことを聞けばいいのに、と扉の向こうで誰かが言った。
――あぁ、ここは、箱と同じなのか。
なぜかすとんと腑に落ちた。
「リディル!」
「ウツィア!? なんでここに」
振り返ったリディルの瞳が驚愕で見開かれた。ルーナメリィはその背に駆け寄る。
「リディル、大丈夫?」
「誰だ! 娘、邪魔をするなら容赦はしないぞ!」
見知らぬ男が鞭を持った男の姿と重なる。恐怖に背筋が粟立った。
「この子は関係ないだろう!」
「邪魔をするなら関係者だ!」
「邪魔があろうとなかろうと、僕は行かない。島主さまには、あなたの息子はもういない、と伝えてください」
「お前っ、どれほど名誉なことか分かっていないんだろう!」
「島主になりたいなんて思ったことはない。帰ってください」
「ふざけるなっ! どれほど栄誉なことか、お前、わかっているのか!」
「栄誉も地位も興味ありません。そもそも娼婦の息子だからと捨て置いたのはそちらでしょう」
「お前っ……!」
再び男が手を振り翳す。ルーナメリィは咄嗟に叫んでいた。
「か、帰ってください!」
「は、小娘が領主の使者を追い返すつもりか!」
「痛いのは、ダメです。話し合いをするなら、痛いのは、なしにしないと」
「知ったことか!」
ルーナメリィめがけて男が手を振る。リディルが庇うが、それより早くルーナメリィはまたも同じ言葉を口にした。
「帰って!」
次の瞬間、男は何故か手を下ろし、気圧されたように一歩後ずさる。
「……今日のところはこれで帰ってやる。だが、忘れるなよ! 必ずお前を連れて行く! 絶対だ」
「……帰るも何も、一度だって息子扱いした試しがないだろうに」
はぁ、とリディルは溜息を吐いた。まだ見物人が残っていることに気づくと、ルーナメリィの手を引いて奥へと走る。完全に人だかりが見えなくなったところで足を止めた。
「ごめんね、変なとこ見せて。怪我してない? 大丈夫?」
ルーナメリィはふるふると首を横に振る。小刻みに震える手は、握り込んで背の後ろに回した。
「り、リディルは? 大丈夫?」
「慣れたよ」
「慣れと、大丈夫は、違うよ」
リディルは虚をつかれたように目を見開く。
「慣れても、痛いよ。大丈夫じゃ、ないよ」
リディルは口を開き、けれど何も言わずに口を閉ざした。
「戻ろう」
部屋に戻るとエルヴィーラはいなかった。少し待っていたが、戻ってくる気配がない。
沈黙に耐えかねて、ルーナメリィは口を開いた。
「わたし、余計なこと、した?」
「ううん。そんなことない。庇われたのは、初めてだったんだ」
「そう、なの?」
「芸者が島主に、なんて夢物語だからね。みんなそうすべきだって思うし、言うよ」
「で、でも、リディルは嫌なんでしょう?」
「そうだね」
言って、リディルは窓の外、空を眺めた。遠く、手に届かないようなものを見るような眼差しは、ルーナメリィが幾度も見たものに似ていた。
夢を追い、疲れ、諦めた者たちの。
「リディルは、やりたいこと……あるの?」
リディルは視線を合わせ、再び空に戻した。ないよ、と呟いた声に温度はなかった。
「部屋に戻ろう」
「う、ん」
部屋に戻ると、エルヴィーラが険しい顔で待ち構えていた。手招きしてリディルに何か囁いていたが、ルーナメリィはその内容を聞き取ることは出来なかった。
ただ、リディルの顔色が蝋のように白くなったのだけが印象に残った。




