第十話 相容れずとも
「ありがとうございましたー!」
今日の芸が面白かったらお金の雨を、と冗談めかして微笑むと、主に女性陣からの投げ銭が多く得られた。ほくほく顔で散らばったお金を袋に詰める。これだけあれば、せめて替えの服は買えるだろう。
拾い残しはないかと周囲を見回し、建物の脇に光るものを見つけた。しゃがみこんで拾い上げた途端、視界に複数の軍靴が入る。
顔を上げると、そこには憲兵が複数人立っていた。まさか道端での芸は禁止だったか、と一瞬顔が強張る。ちらりと背後に視線を投げると、客は既に散っていたが、興味深そうにこちらを眺める者も残っている。
「空行者、リディル・シュトロフィアだな」
リディルは膝の土を払いながら立ち上がった。
「......ええ。何か御用ですか?」
「連れのウツィア・アルデバランはどこにいる」
どきりと心臓が跳ねる。
まさか、紐を失くしたことがバレたのか。
「――分かりません。朝ご飯を食べた後は、別行動をしていたので。僕がこの辺りで踊っていたことは、通行人の方々に聞いたら分かると思います」
ウツィアが何か? と素知らぬ振りを装って尋ねると、宿屋の者から通告があった、と冷ややかな声が返る。
「昨夜と今朝、ウツィア・アルデバランの手首の紐を確認できなかったと」
リディルは心の中で舌打ちする。朝、親切に教えてくれたと思った女の従業員――あれは紐の確認のために呼び止めたのか。
「あぁ、誤解を招いてしまったようですね。昨夜はウツィアは寝ていましたし、今日は飾り布で手首を隠してました。いつもの癖で、すみません」
「念の為、確認をさせていただく。ウツィア・アルデバランはいつ頃宿に戻る予定だ」
「うーん、夜ご飯を食べた後、ですかね」
「それまではずっと別行動だと?」
はい、と笑顔で頷く。では夜に伺おう、と憲兵は無表情に言い放つ。
「――近頃、紋有りが脱走した。補助者がいるのではないかと疑う者もいる」
紛れもない警告に、己の頬が引き攣るのが分かった。
「くれぐれも、疑いを招く行為は慎まれるよう」
リディルは軽く頭を下げる。じゃり、と小銭の詰まった袋が重い音を立てた。
***
「~~っ、もうっ!」
リディルはゴミが落とされた道を辿り、憤然と声を上げた。
憲兵に詰問されてから早半刻。大通りで服や携帯食料を買い、人目を避けて路地裏に入った。上手いことゴミの道を見つけられたが、ゴミは途切れ、ウツィアの姿は消えている。憲兵の疑いを晴らさないと、という焦りと、約束を違えたウツィアへの怒りが渦巻いていた。
「いや、落ち着け」
何度か深呼吸して気を鎮める。ひくひくと引き攣るこめかみは無視だ。
幸か不幸か、地面はぬかるんでいて足跡が残りやすい。注意深く見れば、足取りを追うこともできるだろう。
大丈夫大丈夫と頷いて、いざゆかん、と足を踏み出した途端である。不意に、視界の隅に深緑が過ぎった。ひとつ向こうの通り――周囲を見回しながら歩く複数の人影。
ざあっと血の気が引いた。
――憲兵!
まずい。今、紐を失くしたウツィアと、青い紐を持った紋有りがこの路地にいる。盗まれたという申告は、先程のリディルとのやりとりがある以上は不可能だ。紋有りが殺されるかも、なんて心配よりも、己が身を案じていれば、と悔やむも遅い。
――憲兵よりも先に、ふたりを見つけないと。
リディルは全速力で走り出した。
***
「......っはあ、はあっ.......」
もう、走れない。
ルーナメリィは地面に四つん這いになって荒い息を吐いた。先程、白い髪を見かけて頑張って追いかけたけれど、やっぱりすぐに見失ってしまった。既に足はパンパンで、息を吸い込むだけでも苦しい。額から頬、顎に汗が伝い、落ちる。
「――おいッ!」
響いた声に、ルーナメリィは顔を上げた。汗が目に入って、視界が霞んだ。
「返す!」
「え?」
目の前には、少年が息を切らして立っていた。差し出されているのは、かつて奪われた青の紐。
「な、なんで……」
「憲兵が俺を探してる。お前も、紐ないとやばいんだろ」
「え――」
思いがけない言葉に、ルーナメリィは目を見開いた。
「でも、それじゃ、あなたは」
「知るか。逃げ回りゃあ、なんとかなるだろ」
そう言いながらも、少年の声は震えている。
紐を押し付け、走り去ろうとする少年の手を掴んだ。
「離せバカ!」
「も、紋章、紋章隠さないと、」
「何を阿呆な……っ、お前と違って俺はそんな器用な芸当できないんだよっ」
「でもっ!」
紋章を隠さなければ、捕まってしまう。
「お前にゃ関係ねーだろ! 大体……俺は人なんかになりたくねえ! お前みたいな裏切り者、」
「人にならなくたっていいよ、同じになんてなれないよ!」
「っ!?」
思わず大きな声が出た。怯んだ様子の少年の手を、強く握る。
「みんな少しずつ違うから。ひとりくらい、嫌じゃない人もいるからッ……!」
「そんなの知らな、」
言いかけた少年に一歩近づいて、その額を擦った。
「ちょばか、離せって!」
「消える、消える! 絶対消える!」
手の下で、額が熱を帯びる。少年は顔を歪めた。
「俺は人になんか!」
「ウツィア!」
明瞭な声と軽やかな足音が響く。振り返った先、汗だくのリディルが、全速力で駆けてきていた。少年の額から手を離すと、少年は怯えたように後ずさった。
「無事!?」
「う、ん」
「よかったぁ……」
リディルは安心したように大きく息を吐いた。直後、ルーナメリィの背後の少年に気づいてか、目を丸くする。
「り、リディ、」
「アノン……?」
リディルの口からこぼれ落ちたのは知らない名前だ。
「て、めえは誰だ」
警戒心も露わに、少年はリディルを睨みつける。そして、ルーナメリィを。
けれどルーナメリィは、憎しみの籠った瞳より先に、少年の額に視線が吸い寄せられた。
先程まで、鮮やかだった紋章が。
「お前……まさか、こいつと旅をしてるのか。こいつと! まさか、信頼してるのか!? こいつを!?」
ルーナメリィは躊躇いなく首を横に振る。リディルが勢いよくこちらを向き、え゛?と潰れた蛙のような声を漏らした。
「信じてないよ――でも、それでも。わたしは初めて、人を信じたいと思った」
少年は縋るような、怯えるような目でルーナメリィとリディルを交互に見つめる。
沈黙を破ったのはリディルだった。
「〜〜っ、今は話すのは後! 憲兵が来てる! 君、小屋から逃げ出した子でしょう?」
少年は目を見開き、飛び退った。強張った表情で周囲を見回す。それをよそに、リディルは捲し立てた。
「ウツィア、紐は返してもらえたんだよね? それなら憲兵のところに確認に行って」
「え、あ、うん」
あっち、と示された方向にルーナメリィは走り出す。その刹那、髪飾りの存在を思い出した。
「これっ!」
「は、」
「お金になると思うから。使って」
ルーナメリィは少年の手に髪飾りを押し付ける。
「おまえ、なんで」
「絶対、大丈夫だから――次に会ったら、たくさん、話をしよう」
大きく頷いて、ルーナメリィは走り出す。
決して、振り返らなかった。
幾許もせずに見えた複数の深緑の制服に、ルーナメリィの喉が引き攣った。こちらを睥睨する、温度のない瞳が何よりも恐ろしい。
ぶたれた痛みとこだまする悲鳴が、容易に脳裏に蘇る。後退りそうになった足を、必死に押さえ込んだ。
「あ、ぁの、あの、」
ルーナメリィは右腕を突き出した。
「つっ、連れ、から、わたしを、お探しと、聞きました。ひも、の確認を、と」
「……お名前をお聞きしよう」
「う、ウツィア、ウツィア・アルデバラン。リシュルト島から、参りました!」
***
ウツィアの姿が路地裏に消える。さて、とリディルは空を見上げた。先程見た憲兵の位置とウツィアの時間稼ぎ。どこに逃げるのが最適か。
「なんで」
小さな声に、リディルは視線を斜め下に落とす。少年が呆然とした様子でリディルを見上げていた。頬を殴られでもしたのか、唇の端が切れて血がこびりついている。
「俺、アノンなんて名前じゃねえ」
ほんの一瞬、リディルは息を詰めた。
髪の色も違う、目つきも口調も違う。
分かっているのに、深い瑠璃色の瞳が、途方に暮れたような表情が、アノンを思い起こさせた。
――この少年を助けても、アノンを助けられなかった事実は変わらないのに。
「てめえが助ける理由なんて、」
「……理由なんてないよ。ただ、何かしないと嫌なんだ」
「俺は、紋章者だぞ! あいつの紐を盗んだのは、俺だぞ!?」
「だから?」
「――は、」
「君が誰であってもいいよ。僕にとってそれは、何もしない理由にはならないから――また、何もできないまま、目の前で誰かが死ぬのは嫌なんだ」
左側から、足音が近づいてくるのが聞こえた。もしかすると、ウツィアと行き違ったのかもしれない。或いは、別働隊か。
「君はあっちへ。僕は向こうに行く」
少年は未だ呆然とした様子で、リディルを凝視している。
すぅ、と大きく息を吸い込んだ。
「――走れっ!」
弾かれたように少年が走り出す。その背を見送り、リディルは深く息を吐いた。
無意味な足掻きかもしれない。少年も、捕まってしまうかもしれない。憲兵に楯突くなんて、馬鹿みたいだと分かっている。
それでも。
リディルは強く地面を蹴った。
***
空はからりと晴れ渡っていた。湿っていた地面も、完全に元の色を取り戻している。
「うーん、お金残らなかったなぁ」
「服とか携帯食料とか色々買えたの、すごいよ。三日だけでこんなに稼げるなんて」
「ふっふーん。ウツィアも、踊りやってみる?」
「ええっ。できるかなぁ」
「出来るよ! 次の島に行ったら教えてあげる」
「がんばる」
リディルとルーナメリィは荷物を揃え、大門に向かっていた。今日も相変わらず、人々は賑やかだ。
「わっ」
「おねーちゃん、ごめさい!」
「だ、大丈夫……って、早」
木の枝を振り回しながらやってきた子が、ルーナメリィにぶつかった。ぺこりと頭を下げるが早いが、また集団に戻っていく。元気だねぇ、とリディルは笑った。
「……あの子は無事かなぁ」
「大丈夫だよ」
ルーナメリィが言い切ると、リディルは怪訝そうな顔をする。
「自信満々だね」
「絶対、大丈夫」
「……そうだね」
リディルは微かに笑う。信じたい気持ちが半分、疑う気持ちが半分、といったところだろうか。
けれど、ルーナメリィはこれが嘘でも強がりでもないことを知っていた。
だって、彼の額の紋章は、消えていたから。
ルーナメリィは目を閉じて、紋章の消えた少年の顔を思い返す。彼がいつの間にか身につけていたこの技術は、彼の命を繋いでくれるだろう。人を嫌う彼が、人の中に紛れて生きるのか、人を否定しながら生きるのか、そこまではわからないけれど。
「……っていうか、僕のこと信頼してないって、ほんと?」
「あっ」
「あっ、って! 忘れてたの!?」
「い、色々あったから……」
「僕にとっては一大事なのに! もーっ、ウツィア、旅の仲間なんだから信頼してよ!? 僕、ウツィアに命託してるからね!」
「それはちょっと、荷が重い……」
「ちょっ、それ、天獣に乗せて攫った人の台詞!?」
「うっ」
「も〜っ!」
澄んだ空に、リディルの叫びが吸い込まれていった。




