第一話 出会い
中央西部に浮かぶ島、リシュルト。島の内外を隔てる大門の外側に、家数軒分の土地が広がっていた。
出入島監査官は、その中央に立ち、微動だにせず空を眺めていた。夕暮れを迎えた空は、青から赤にゆっくりと色を変えていく。
不意に、パン、と微かな音が響いた。同時に緑の煙が雲の上に線を描いて伸びる。
監査官は双眼鏡を手にした。流れゆく雲の中を、一羽の大鳥が羽ばたいている。騎手の姿は、まだ朧げにしか見えない。
渦巻く風を巻き起こしながら、大鳥はゆっくりと地面に着地した。地面が僅かに揺れる。監査官は踏みとどまったが、騎手の方が体勢を崩し、鞍から転がるようにして地面に落ちた。
うう……と鼻を押さえながら騎手は顔を上げる。年の頃は十前後であろうか。緋色の髪が鮮やかな、美しい少女だ。
監査官は少女を見下ろした。少女は僅かに怯えた様子で身を震わせる。
「リシュルト島出入島監査官である。名乗られよ」
「あ……ええと、」
少女は立ち上がり、服についた砂を払って監査官を見上げる。その喉が上下した。
「わ、わたし、わたしは――ウツィア・アルデバラン。トゥイラヌ島から来ました。天図を落としてしまったので、食べ物のほ……ほきゅう、と、合わせて、入島を、願います」
***
太陽が傾き始めた頃、ルーナメリィは出入島検問所を抜けて大門を潜った。途端、視界からは雲海が消え去り、高い壁に囲まれた街並みが姿を現す。空の色は紅から青に色を変えており、島内時間と島外時間の差を感じた。ルーナメリィは行き交う人々を眺めていたが、何やら軽快な音楽を耳にして、音の聞こえる方に足を進める。
「わぁっ……!」
木々が開けた途端、ルーナメリィは思わず感嘆の声を漏らした。
そこは円形になった広場だった。中央に行くにつれ、白い石造りの階段が低くなっている。
その中央で、ひとりの青年が踊っていた。
天使の輪をなす黄金色の髪が、青年が動く度に太陽の光を弾いて煌めく。声変わりを迎える前の澄んだ声で紡がれる歌に合わせて、青年は鳥のように軽やかに舞っていた。白を基調とした衣装は、派手ではないものの裾の刺繍が美しく、目を惹いた。
「すごい.......!」
まるで御伽噺の一幕のような景色に、人々の笑いさざめく声が賑やかだった。ご飯を食べたり友達と喋りながら、見るともなしに中央に視線を投げ、時折何かを投げている。
やがて踊り手が動きを止め、歓声があがる。その声に驚いてルーナメリィは後退り、人にぶつかった。
「おいっ、そんな大荷物持ってたらあぶねぇじゃねぇか!」
「ご、ごめんなさい」
男に怒鳴られて、ルーナメリィは慌ててその場を離れた。広場を囲むように背を伸ばす木の下に蹲み込み、周囲に人がいないことを確認してから服の下に隠した紙を二枚取り出す。
「ええと、や、と、違う、やどやに行く」
やどやって何だっけ。
ルーナメリィは御伽噺の記憶を必死に引っ張り出す――そうだ、寝起きするところだ。けれど、どうやって見つければいいのだろう? 行けば分かるだろうか。
ルーナメリィは荷物を抱えて立ち上がると、先程と反対の方角に歩いて行った。
広場から離れても、道は大きく、沢山の人が行き交っていた。整然とした道と建物はどこを見ても美しく、けれど似通っているせいで、先程通ったばかりの道も見失ってしまいそうだ。
ルーナメリィが先程覚えたばかりのやどやの文字が掲げられた看板がないかときょろきょろしながら歩いていると、遅い歩みのせいで、何度か後ろの人に蹴られて涙目になった。
広場から離れて暫くしたところで、ようやくやどやの看板を見つけた。店の前に立つ女性は、にこやかな笑みを浮かべて二人組を送り出したところだった。
「あっ、あの.......!」
「はぁい.......何?」
女性はルーナメリィと目が合うと眉を寄せた。声まで僅かに低くなって、ルーナメリィはたじろぐ。
「えっと、あの、やど、に、泊まりたくて」
「うちは子供が泊まるとこじゃないのよ、行った行った」
「お、お金は持って」
「同じこと言わせないでよ、子供の相手してる暇なんてないんだから」
しっしっ、と言わんばかりに手を振られ、ルーナメリィは立ち竦む。その間に、女性は他の通行人に声をかけ始めた。
ルーナメリィは悄然とした。かれこれ五日程度、水で体を拭くことすら出来ていない。鳥の糞を落とされた服は全体的に薄汚れているし、きっと体臭も酷くなっているから仕方ない、と自分に言い聞かせる。それからもう一軒、宿を見つけたが、こちらは一瞥した後無視されてしまった。
「どうしよう……」
ルーナメリィは途方に暮れた。
物を盗まれたら困るから、必ず宿に泊まること。
それは彼女と交わした約束のひとつだった。
御伽噺のように、泊めてくださいと頼んだら、誰か家の軒先を貸してくれるだろうか。でも、魔女に捕まったら困る。
ルーナメリィはうろうろと忙しなく足を動かす。程なくして、前方に明るい光が見えた。日が傾き始めて空は暗いのに、と首を傾げながらそちらに向かうと、何やら建物の間に沢山の灯りが吊り下げられている。白ばかりだった先程の道なりとは裏腹に、門や建物の内装は煌びやかで、建物の中からは着飾った女や男が道行く人に声をかけていた。鼻をつく色々な匂いで咽せ返るようだった。どうしてか子供の姿はひとつもなく、おっかなびっくり歩いていると、いきなり声を掛けられた。
「おい、お前」
肩が跳ねる。恐る恐る振り向くと、赤ら顔の男がふたり、へらへらと笑いながら立っていた。
「珍しい髪と目の色じゃあん。買ってやろうか」
「ぎゃははは、こんな小せえガキ相手にすんのかよ、お前!」
「るせぇ、いいだろ、顔は整ってんだ」
ルーナメリィは棒立ちになった。
買う、子供、相手、顔。
言葉を頭の中で何度か反復して、ざあっと血の気が引いた。ガタガタと、小刻みに手足が震える。視野が狭窄し、呼吸の感覚が短くなった。
「うわ、震えてるよこいつ」
「なんだぁ? 俺たちが気に入らないってか? こーんないけてる男らぞ!」
「ひっ」
腕を掴まれ、ルーナメリィは固まった。歯の根が噛み合わず、喉から歪な呼吸音が漏れる。
「ほら、来いよ!」
強い力で引っ張られて蹈鞴を踏んだ。どうしよう、このままじゃ、でも、
「――ちょっとお兄さん、うちの子虐めるのやめてくれない?」
声と同時に、男の腕を白く細い手が掴んだ。反射的に顔を上げると、金色の髪が目に入った。先程見た踊り手が、男を睨んでいる。
「この子を買うって言うなら、一旦うちの店通してもらうけど? アデラの店、高いよ? 知ってるよね」
「な……なんだよっ、娼婦なら店に閉じ込めとけ!」
男たちはタジタジになり、ルーナメリィから手を離した。覚えてろよっ、と御伽噺でしか聞いたことのない捨て台詞を吐いて逃げていく。
「全く……酒に酔うとろくなことしないんだから」
呆れたように言った踊り手は、ルーナメリィに向けてにこりと笑いかけた。
「君、さっき広場にいた子だよね。なんでここに?」
目を見開いたまま固まっていると、目の前で手を振られる。
「ごめん、驚かせたかな。大丈夫?」
「は、い」
「随分大荷物だけど、よその地区から来たの? 宿は取った?」
「あい、空いていないって言われました」
つっかえながら答えると、踊り手は溜息をつく。何かしてしまったかと、ルーナメリィは青褪めた。
「ちょっと汚いからって大人気ない。今日はうちにおいで。服を変えて風呂に入ったら、明日は宿に泊まれるよ」
「え、」
前触れもなく繋がれた手は暖かく大きい。ルーナメリィは驚いてその手に視線を注いだ。
「また声掛けられたら危ないし、手離さないでね」
踊り手に手を引かれるがまま道を進む。一本脇の道に逸れた途端、人も灯りも目に見えて減った。先程の通りとは違い、煌びやかな衣装を着た人もいない。暗い道を歩くこと少し、踊り手は木造の建物の戸に手をかける。建物の中も灯りが少なかったが、踊り手の足取りに迷いはない。何回か角を曲がったところで立ち止まると、棚の中を漁り布をくれた。
「こっちで体拭いて、これは床拭く用ね。替えの服はある? ないならこれ、はい。お古で誰も着てないからもらっちゃって」
「あ、え」
ぽんぽん、と柔らかな布が腕の上に重ねられる。その感触に戸惑った。
「これが仕切り。使用中って札立てといたら多分誰も入ってこないけど、酔った姐さんが間違って入ってくるかもしれないから、その時は許してやって」
「あの、」
「他はないかな。ん? 何?」
「あの、なんで、ここまでしてくれるんですか」
ルーナメリィが知る人は、みんな酷薄で、他者を気遣うなんてことをしない。例外は今までにひとりだけだ。或いは踊り手が、ルーナメリィの正体を知らないからかもしれないけれど。
「困ってるちっちゃい子ほっとけないでしょ」
踊り手はおどけたように笑う。それがますますよくわからない。
「……ありがとう、ございます」
「あ、名前まだ言ってなかったね。僕はリディル。芸者だよ。君は?」
「わ、わたしは」
束の間、ルーナメリィは躊躇った。
この人も、優しい人だ。嘘はつきたくない。けれど、この嘘は必要だと彼女は言った。
「わたしは、ウツィアです」




