第八話 彼女の名
「紋章があるから殺すなんて。おかしいでしょ。呪い付きなら見世物に、って。ふざけてる」
「……そう?」
ウツィアは首を傾げた。思わずリディルは眉根を寄せる。自然と責める口調になった。
「ウツィアはあれを当たり前だと思うの? あんなの、人に対する扱いじゃないでしょ」
「だって、紋章者は人じゃないでしょ?」
ウツィアの緋色の瞳は、嘲りでも罵倒でもなく、純粋な戸惑いを含んでいた。何を言っているのか、と言わんばかりである。それが余計にリディルを苛立たせた。
「……そんな言い方しなくてもいいじゃないか。ウツィアは昨日の子を心配してたんじゃなかったの」
ウツィアは口を開き掛けて閉じ、飾り布で隠したままの右手で右目を覆った。
それから路地裏に入るまで、気まずい沈黙が漂っていた。
「……どこにいるか心当たりあるの?」
「ない、けど。飢えた子供が、どこに行くかは、わかる」
リディルは思わず緋色の頭に視線を落とした。
到底12には見えない体。飢えた子供の行き先を知るのは、実体験ゆえだろう。天獣を持つほどの裕福な家庭で、外に出ることを許されなかったことを考えると、リディルと同じように妾の子かもしれない。
「どこか別のところに行っている可能性は......ないか。見世物小屋にいたのなら顔は知れているだろうし、お金もないし」
「うん」
ウツィアはゴミ山の前で足を止めた。ぐるりとごみの山を一周し、目を細める。
「いた?」
ウツィアは首を横に振る。
「でも、ここにいたはず。山が不自然に崩れてる」
指し示されたところを見ると、なるほど確かに山が崩れている。
「ゴミの上で寝てたのかな?」
地面で寝ればいいのに、と首を捻れば、否と返事がある。
「ゴミを、漁るの。食べられるもの、あるから」
「……なるほど」
印をつけて歩くから、ここで待っていてくれないかとウツィアは言った。リディルは仰天する。
「昨日迷子になったばっかりじゃないか!」
「リディルは、大人に見えるから。子供は、大人に近づきたくない、から」
「僕14なんだけど……」
「背が、高い」
そう言われるとぐうの音も出ない。リディルは14にしては背が高く、小柄なウツィアとは頭ひとつ半の差がある。
「半刻。それで帰って来なかったから、憲兵を呼んで捜索するからね」
「! リディル、ありがとう」
ウツィアはゴミの山からゴミを集め、歩きながらそれを落としていく。道標にするようだ。
「絶対帰ってきてね!」
ゴミを抱えたウツィアは、よたよたした足取りで遠ざかっていった。
一人残されたリディルは曇った空を見上げる。半刻、ここで暇を持て余すのも性に合わない。
ウツィアとは反対方向にリディルは足を踏み出す。一度見たものは忘れないから、ここにも難なく辿り着けるだろうが、念の為ウツィアと同じようにゴミを撒き、足で地面に跡をつけながら大通りに向かった。
大通りは賑わっている。見世物小屋からやや離れたところにリディルは陣取った。木々の間に渡す縄も大玉もないけれど、この身一つで生きていけるようにと色んな芸を身につけてきたのだ。
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」
大通りに響いた声は人々の視線を集める。その右手の青い紐を、わざとらしく見せつけた。
「今から始めるのは、南の島より来た空行者の芸。これを逃せば次はないよ! さぁ、さぁ、ご覧あれ!」
歓声が上がる。リディルは一番綺麗に見える角度で微笑みを浮かべた。
***
ルーナメリィは迷子にならないようにと道標代わりにゴミを落とした。ゴミが地面に落ちる度、泥に落ちて湿った音を立てる。
多分、あの子は来るだろう。青い紐を持っていても、街には行けない。見世物になっていたのなら、すぐに見つかって連れ戻されてしまうから。
そしてルーナメリィが取り返しに来るのも想定済みのはずだ。紐を失くしたら、罰が与えられるから。
だから、紐と引き換えにお金と食べ物を要求するのが一番合理的だ。
「止まれ」
それほど歩かないうちに、背後から声がした。振り向くと、昨日見た白い髪の少年が立っている。身長は同じくらいだから、年も同じくらいかもしれない。目に見えるところに紋はない。前髪の下にあるのだろうか。
ルーナメリィは少年の瞳をまじまじと見つめる。鮮やかな青は夜空のようで、かつての呼び名を思い起こさせた。
「この紐が必要なんだろ」
「うん。返して欲しい」
「金目の物、全部置いてけ。あと、食いもんを寄越せ」
「食べ物はある、けど、今、お金持ってない」
「なんだと」
少年の声が俄かに殺気だった。ルーナメリィはかすかに震えながら、ゴミを手放し、懐から飴玉や干物を取り出す。跳ねた泥がべちゃりと靴に染みを作る。
「元々、お金はあまり持っていない。宝飾品を、少しだけ」
「じゃあ、それを置いてけ」
「あなたは、いつからこの島にいるの? なぜ、あそこにいるの?」
「関係ないだろ。紋章者に同情か?」
「箱を知ってる?」
沈黙は一瞬だった。獣のように飛びかかられ、ルーナメリィは背中を強かに打ちつけた。衝撃で息が詰まる。のしかかってきた少年の前髪が揺れて、額の紋が顕になった。
「てめぇ、管理者か!? お前が、お前たちのせいで、俺は! 俺は、こんなところで囚われて!」
見開かれた瑠璃色の瞳には怒りと、僅かな怯えが湛えられている。
箱。
それは、島の民が知らぬ言葉だ。
「箱にいた方が、よかった?」
「んなのっ!」
少年は胸倉を掴んだまま黙り込む。言うべき言葉を探しているというよりも、答えを知らず途方に暮れているように見えた。
島民とは、明確に違う音。訛りと切り捨てられたらそれでおしまいだけれど、それが島のどこにも存在し得ないと、ルーナメリィは知っている。その発音に、馴染んでいる。
「非紋が紋章者を語るな! 紋章者を玩具みてぇに扱いやがって! 紋章と権能、それ以外お前らと俺たちの差はねぇのに! お前たちは、お前たちが蔑む紋章者より、よっぽど醜い!」
嗚呼、彼はわたしだ、とルーナメリィは思った。これは、わたしの叫びだ。
「あなたの権能は?」
「誰がお前なんかに教えるか」
ルーナメリィは微かに笑う。こんな状況なのに笑えることが可笑しかった。
「名前は?」
「非紋に名乗る名前はねぇよ。いいからとっとと金を出せ」
「わたしは――」
ルーナメリィは目を閉じた。逡巡は、そう長くなかった。
「ルーナとメリィの子。ルーナメリィ」
「………………は?」
少年が瞠目する。薄々予想はしていたけれど、親の名を繋いで子の名前にするのは、どこも共通らしい。
「お、まえ」
「生まれは八番地区。番号30021984。権能なし」
ゆっくりと目を開くと、少年は息を呑んだ。風がひゅう、と唸りを上げる。微かに揺れた白い前髪から覗く、花のような葉のような紋章。
見慣れた、その色。
「――わたしは、人じゃない」




