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最後の楽園  作者: 結塚 まつり
第二章 偽りと真

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第七話 最期

ビビが質素な衣に着替える間、他の娼婦が服や飾りを詰めた袋をしまう。リディルは泣きじゃくるアノンの涙を必死に拭った。


「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」

「ごめ、なさ、ひっく、ごめん、なさい」

「あやまらなくていいよ、ノン、わらって。ね?」

「ヴィヴィアン! 憲兵が来てるよ!」


息を切らして娼婦が駆け込んでくる。早い、とビビは呻き、強張った笑みをリディルに向けた。


「リディル、今までノンのお兄ちゃんになってくれてありがとう。さ、アノン、行こう」


アノンを抱き上げ、ビビは裏口から出て行く。リディルは慌ててその背を追った。


「ねえちゃ、」


呼びかけようとして、やめる。ビビの額には玉の汗が浮かんでいて、息も荒かった。


「リディル、もういいよ。帰りなさい」

「でも、」

「いい子だから、ね。大丈夫、上手く逃げ」

「娼婦ヴィヴィアン。そこまでだ」


ビビとリディルは凍り付いた。路地の先に、憲兵が複数人立っていた。後ろからも、足音が聞こえる。


「この子をどうするの」

「規定に従い処理する」

「私の子よ、前世の悪業なんて関係ない、私の子よ! あなたたちには渡さない」

「そなたに選択権はない。その子を渡せ」

「子供ひとり、見逃してちょうだい。お願いよ。私のたったひとりの家族なの」

「規定は規定だ」

「あなたたちにも大切な家族がいるでしょう? どうか私から家族を奪わないで。お願いよ」


ビビの哀願にも、憲兵は全く表情を変えない。その無表情が、リディルにはひどく恐ろしく感じられた。


「決して悪いことはさせないわ。島主さまに仇なすようなことは絶対にしないと誓う。だから、どうか」

「これ以上の抵抗は憲兵の業務執行妨害と見做し、実力行使に入る」


ビビは身を翻し、脇道に駆け込んだ。ビビ、と名を呼び追い掛けようとしたが、憲兵がそれを阻んだ。リディルは身を屈めて制止の手を掻い潜り、走る。


「お願い、やめて、だめ、ノンを返して、いやぁ、いやぁあぁぁああああ」


おかぁさん、とアノンが泣く声は、ビビの絶叫に掻き消された。リディルはアノンを連れ去る憲兵と、憲兵に押さえ込まれながら泣き崩れるビビの姿を認めた。


「アノン!」


追いかけようとした途端、視界が反転する。息が詰まり、地面に押さえつけられたのだと理解した。


「ノン、アノン、アノン! あぁあぁああああああああああ」


連れ去られた我が子の名を呼びながら、ビビは哀哭した。


「び、び」


リディルは手を伸ばそうとしたが、押さえつけられた体は言うことを聞かなかった。立ち上がれないでいるリディルの脇を、ひとりの憲兵が通り過ぎた。


「ヴィヴィアン。お前は紋有りの存在を申告しなかった罪によりシケイとなる。同じ娼館の者が告発したことに免じて、娼館に罪は問わない」


何が何だかわからなかった。シケイというのはなんだろう。何かの罰なのだろうか。不安に思ったけれど、泣き崩れるビビは微動だにしない。きっと、その耳には何も届いていない。


「どうやら我々は紋有りの存在が如何に悪しき者であるか、周知することを忘れていたらしい。そなたはザンシュされた後、3日間街で晒される」


ザンシュってなんだ。さらすってなんだ。

ビビに、アノンに、何をするんだ!

リディルは憲兵の体の下でもがくが、憲兵はびくともしない。リディルを見下ろした瞳は、どこまでも冷えていた。


「ねえ、アノンを返して! アノン、悪いことしてないよ、ねえ!」

「喚くな。我々はそうたくさん人を殺したいわけではない」

「どういう、」


憲兵は慈悲なく告げる。


「連行しろ」

「まって、ビビ、ヴィヴィアン! ねぇ、ねえってば!」


いくら呼んでも、ビビがこちらを振り返ることはなかった。叫び続けるリディルの口を憲兵が塞ぐ。腹に衝撃があって、意識は途絶えた。


目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。飛び起きると、娼婦見習いのエルヴィーラが、起きたかい、と声を掛けてくる。リディルはエルヴィーラの腕に縋った。


「ビビとアノンは!? ねぇっ、二人はどうなったの!?」


エルヴィーラは目を伏せた。たっぷりの沈黙の後で絞り出された声は、ひどく小さく震えていた。


「……アノンは憲兵に連れてかれて、ビビは……明後日、処刑されるって」

「しょけい?」

「……殺されるんだよ」

「え――」

「二度と、会えない。話せない。そういう、ことだ」


ギリッと歯を食いしばる音が聞こえた。リディルは呆然とエルヴィーラを見上げる。


「……なんで?」


意味が、わからなかった。


「だって、まだ、舞のおけいこ、とちゅうだよ」


ビビは楽器を弾くのが得意だった。リディルがビビの演奏に合わせて体を動かしていたら、踊り方を教えてあげる、と笑って稽古をつけてくれたのだ。まだまだね、と言われたのは、つい昨日のことで。


「アノンも、まだ、森のくまさんのお話、終わってないよ」


アノンはすぐに寝てしまうから、いつまで経っても物語が終わらなくて、昨日ようやく、終盤に入ったのだ。あと二、三日で終わるね、と言ったらすごく嬉しそうにしていたのに。


「会えないなんて、うそでしょ……?」

「――そんなことっ、あたしに言わないでくれよ」


エルヴィーラは顔を歪めた。


「あたしだって、あたしだってッ……止められるものなら、止めたいよ……!」


ガシャン、と扉の外で何か割れる音がした。まさかビビ、と思ってリディルが飛んでいくと、扉の外にはサラが青白い顔でへたり込んでいた。自慢の赤茶色の髪は、梳られずに広がっている。割れた茶器が、周囲に散らばっていた。


「……さ、ら」


サラは何も言わない。茫洋とした眼差しでリディルを見ていた。

リディルは何を言うべきか分からず、ただ勢いよく扉を閉めた。

サラの顔を、一秒だって見たくなかった。



***



「おやめよリディル」

「やだ! 絶対行く!」

「お待ち、リディル、話を――」

「聞かないっ!」


周囲の制止を振り切って、リディルは娼館を飛び出した。まだ日が高い時間、夜の街に人は少ない。行き交う人々の顔も声も普段通りで、だからこそ、ビビと会うのが今日で最後だなんて信じられなかった。

店の前の道を駆け抜けて、大通りに出る。地区で一番大きい広場には、これまで三回しか行ったことがない。朧げな記憶を頼りに走った。


「はぁっ……はあっ……」


広場は四方を木々に囲まれていて、中央には人だかりがあった。子供はほとんどおらず、大人ばかり。異様な熱気が立ち込めていて、思わず後退りそうになってなんとか踏みとどまる。


「人でなしを産んだんだろ? これだから娼婦は」「ったく、この前までなんでもない顔して酒注いでたくせによぉ」「なんでさっさと殺さないんだか」「バレるに決まってるのに馬鹿な奴」


耳を塞いでも、罵声が突き抜けてくる。泣き出しそうになるのを唇を噛み締めて我慢して、リディルは前の方へと進んだ。

人だかりを抜けると、大きな木の台が目に入る。同時に太陽の光が目をさした。眩しさに目を細めた途端、前方の人だかりが動いた。

軍靴のザッザッという規則正しい音が響く。人々がわあっと沸いた。

深緑の集団に囲まれてやってきたビビは、二日しか経っていないとは思えないほど窶れていた。歓声がすぐに、罵声へと変わる。

リディルの瞳には恐怖で涙が浮かんだ。けれど、悪意の矛先であるビビは、気にした素振りもなく歩いていく。助けを求めて周囲を見回し、リディルはふとある一点に目が止まった。


「……サラ?」


少し離れたところに、フードを目深に被った女がいた。顔はよく見えないけれど、癖のある赤茶色の髪が、サラによく似ていた。その頬にきらりと光るものを見つけた瞬間、ガタン、と大きな音が響いた。視線を戻して、リディルは思わず悲鳴を上げた。


「ビビッ……!」


木の台の上で、ビビが跪いていた。首だけを木の台に預けた状態だ。わぁああ、と観衆が叫んでいる。静粛に、と憲兵が声を張り上げても、異様な興奮が冷めない。ダンダンっ、と強く憲兵が足を踏み鳴らし、群衆を睥睨してようやく、ざわめきが僅かに収まる。

憲兵が高らかに宣言する。


「紋有りは既に処した! その骸は焼かれ、今やこの世のどこにも残っておらぬ!」


周囲が熱狂した。リディルは言葉が理解出来ず、何度も何度も頭の中で反芻した。

――むくろ? 残ってない? 何が? しょしたって、一体、


「罪人ヴィヴィアンは紋有りを生み、あろうことか一年以上の長きに亘って秘匿し続けた。悔い改める道もあると示唆したが、罪人はこれを拒んだ。よって、斬首に処す」

「ーーっ、ビビ!」


リディルは思わず飛び出した。精一杯手を伸ばしたけれど、高い木の台の上にいるビビには届かない。よじ登ろうにも、足場がない。追い払おうと近づいてきた憲兵は、登ってくることがないと悟ったのか、鼻で笑って持ち場に戻って行った。

半泣きのままどうしようと右往左往していると、瑠璃色の瞳がリディルを捉えた。

ビビは、笑った。

あまりにも、美しい笑みだった。

リディルが呆けていると、ビビは小さく口を開いた。ハッとして耳をそばだてたけれど、ビビは結局口を閉ざした。代わりに、困ったな、と言わんばかりに眉尻を下げた。


「ビビっ、ビビ、ねぇ、ビビ、逃げようよ、ねぇっ!」

「……リディル、泣かないで。私は今から、アノンのところに行くの。だからどうか、祝福して」


罵声はもう、聞こえなかった。いやだいやだとリディルは首を横に振る。堪えきれなかった涙が頬を滑り落ちた。


「やだ、やだ! ビビ、逃げて、ビビ!」

「リディル。しあわせに、なっ」


きらりと煌めいた剣が、やけにゆっくりと振り下ろされる。全ての音が遠のいて、ビビの瞳の青と唇の紅だけがやけに鮮明だった。

ドンっ、という音と悲鳴で、世界に音が戻ってくる。点々と地面に赤が飛んでいた。生温いものが頬を伝う感覚があって手で拭うと、己の手にも同じ赤がついていた。


「……び、び?」


木でできた台の上に、真っ赤な断面が覗く。地面の上に視線を彷徨わせて、リディルは固まった。

綺麗な亜麻色が、濃い茶色の地面に広がっている。


「血が、……血が、出てるよ。ねぇ、ビビ。ねぇ、ね……?」


震える手でビビに触れた。力を込めたつもりはなかったのに、それはころりと容易く転がった。

見開かれた青い瞳は、空を映している。半開きになった口からは、リディルの手と頬についたのと同じ赤が垂れていた。


「ビビ……?」


ビビは、答えない。動かない。

ビビは、もう――……


「あ……ぁあっ、あぁあぁああああああああ!」


己の叫びを最後に、意識が途絶えた。


――リディルは今も、あの泣き声を、笑みを、忘れることができないでいる。



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