第七話 最期
ビビが質素な衣に着替える間、他の娼婦が服や飾りを詰めた袋をしまう。リディルは泣きじゃくるアノンの涙を必死に拭った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」
「ごめ、なさ、ひっく、ごめん、なさい」
「あやまらなくていいよ、ノン、わらって。ね?」
「ヴィヴィアン! 憲兵が来てるよ!」
息を切らして娼婦が駆け込んでくる。早い、とビビは呻き、強張った笑みをリディルに向けた。
「リディル、今までノンのお兄ちゃんになってくれてありがとう。さ、アノン、行こう」
アノンを抱き上げ、ビビは裏口から出て行く。リディルは慌ててその背を追った。
「ねえちゃ、」
呼びかけようとして、やめる。ビビの額には玉の汗が浮かんでいて、息も荒かった。
「リディル、もういいよ。帰りなさい」
「でも、」
「いい子だから、ね。大丈夫、上手く逃げ」
「娼婦ヴィヴィアン。そこまでだ」
ビビとリディルは凍り付いた。路地の先に、憲兵が複数人立っていた。後ろからも、足音が聞こえる。
「この子をどうするの」
「規定に従い処理する」
「私の子よ、前世の悪業なんて関係ない、私の子よ! あなたたちには渡さない」
「そなたに選択権はない。その子を渡せ」
「子供ひとり、見逃してちょうだい。お願いよ。私のたったひとりの家族なの」
「規定は規定だ」
「あなたたちにも大切な家族がいるでしょう? どうか私から家族を奪わないで。お願いよ」
ビビの哀願にも、憲兵は全く表情を変えない。その無表情が、リディルにはひどく恐ろしく感じられた。
「決して悪いことはさせないわ。島主さまに仇なすようなことは絶対にしないと誓う。だから、どうか」
「これ以上の抵抗は憲兵の業務執行妨害と見做し、実力行使に入る」
ビビは身を翻し、脇道に駆け込んだ。ビビ、と名を呼び追い掛けようとしたが、憲兵がそれを阻んだ。リディルは身を屈めて制止の手を掻い潜り、走る。
「お願い、やめて、だめ、ノンを返して、いやぁ、いやぁあぁぁああああ」
おかぁさん、とアノンが泣く声は、ビビの絶叫に掻き消された。リディルはアノンを連れ去る憲兵と、憲兵に押さえ込まれながら泣き崩れるビビの姿を認めた。
「アノン!」
追いかけようとした途端、視界が反転する。息が詰まり、地面に押さえつけられたのだと理解した。
「ノン、アノン、アノン! あぁあぁああああああああああ」
連れ去られた我が子の名を呼びながら、ビビは哀哭した。
「び、び」
リディルは手を伸ばそうとしたが、押さえつけられた体は言うことを聞かなかった。立ち上がれないでいるリディルの脇を、ひとりの憲兵が通り過ぎた。
「ヴィヴィアン。お前は紋有りの存在を申告しなかった罪によりシケイとなる。同じ娼館の者が告発したことに免じて、娼館に罪は問わない」
何が何だかわからなかった。シケイというのはなんだろう。何かの罰なのだろうか。不安に思ったけれど、泣き崩れるビビは微動だにしない。きっと、その耳には何も届いていない。
「どうやら我々は紋有りの存在が如何に悪しき者であるか、周知することを忘れていたらしい。そなたはザンシュされた後、3日間街で晒される」
ザンシュってなんだ。さらすってなんだ。
ビビに、アノンに、何をするんだ!
リディルは憲兵の体の下でもがくが、憲兵はびくともしない。リディルを見下ろした瞳は、どこまでも冷えていた。
「ねえ、アノンを返して! アノン、悪いことしてないよ、ねえ!」
「喚くな。我々はそうたくさん人を殺したいわけではない」
「どういう、」
憲兵は慈悲なく告げる。
「連行しろ」
「まって、ビビ、ヴィヴィアン! ねぇ、ねえってば!」
いくら呼んでも、ビビがこちらを振り返ることはなかった。叫び続けるリディルの口を憲兵が塞ぐ。腹に衝撃があって、意識は途絶えた。
目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。飛び起きると、娼婦見習いのエルヴィーラが、起きたかい、と声を掛けてくる。リディルはエルヴィーラの腕に縋った。
「ビビとアノンは!? ねぇっ、二人はどうなったの!?」
エルヴィーラは目を伏せた。たっぷりの沈黙の後で絞り出された声は、ひどく小さく震えていた。
「……アノンは憲兵に連れてかれて、ビビは……明後日、処刑されるって」
「しょけい?」
「……殺されるんだよ」
「え――」
「二度と、会えない。話せない。そういう、ことだ」
ギリッと歯を食いしばる音が聞こえた。リディルは呆然とエルヴィーラを見上げる。
「……なんで?」
意味が、わからなかった。
「だって、まだ、舞のおけいこ、とちゅうだよ」
ビビは楽器を弾くのが得意だった。リディルがビビの演奏に合わせて体を動かしていたら、踊り方を教えてあげる、と笑って稽古をつけてくれたのだ。まだまだね、と言われたのは、つい昨日のことで。
「アノンも、まだ、森のくまさんのお話、終わってないよ」
アノンはすぐに寝てしまうから、いつまで経っても物語が終わらなくて、昨日ようやく、終盤に入ったのだ。あと二、三日で終わるね、と言ったらすごく嬉しそうにしていたのに。
「会えないなんて、うそでしょ……?」
「――そんなことっ、あたしに言わないでくれよ」
エルヴィーラは顔を歪めた。
「あたしだって、あたしだってッ……止められるものなら、止めたいよ……!」
ガシャン、と扉の外で何か割れる音がした。まさかビビ、と思ってリディルが飛んでいくと、扉の外にはサラが青白い顔でへたり込んでいた。自慢の赤茶色の髪は、梳られずに広がっている。割れた茶器が、周囲に散らばっていた。
「……さ、ら」
サラは何も言わない。茫洋とした眼差しでリディルを見ていた。
リディルは何を言うべきか分からず、ただ勢いよく扉を閉めた。
サラの顔を、一秒だって見たくなかった。
***
「おやめよリディル」
「やだ! 絶対行く!」
「お待ち、リディル、話を――」
「聞かないっ!」
周囲の制止を振り切って、リディルは娼館を飛び出した。まだ日が高い時間、夜の街に人は少ない。行き交う人々の顔も声も普段通りで、だからこそ、ビビと会うのが今日で最後だなんて信じられなかった。
店の前の道を駆け抜けて、大通りに出る。地区で一番大きい広場には、これまで三回しか行ったことがない。朧げな記憶を頼りに走った。
「はぁっ……はあっ……」
広場は四方を木々に囲まれていて、中央には人だかりがあった。子供はほとんどおらず、大人ばかり。異様な熱気が立ち込めていて、思わず後退りそうになってなんとか踏みとどまる。
「人でなしを産んだんだろ? これだから娼婦は」「ったく、この前までなんでもない顔して酒注いでたくせによぉ」「なんでさっさと殺さないんだか」「バレるに決まってるのに馬鹿な奴」
耳を塞いでも、罵声が突き抜けてくる。泣き出しそうになるのを唇を噛み締めて我慢して、リディルは前の方へと進んだ。
人だかりを抜けると、大きな木の台が目に入る。同時に太陽の光が目をさした。眩しさに目を細めた途端、前方の人だかりが動いた。
軍靴のザッザッという規則正しい音が響く。人々がわあっと沸いた。
深緑の集団に囲まれてやってきたビビは、二日しか経っていないとは思えないほど窶れていた。歓声がすぐに、罵声へと変わる。
リディルの瞳には恐怖で涙が浮かんだ。けれど、悪意の矛先であるビビは、気にした素振りもなく歩いていく。助けを求めて周囲を見回し、リディルはふとある一点に目が止まった。
「……サラ?」
少し離れたところに、フードを目深に被った女がいた。顔はよく見えないけれど、癖のある赤茶色の髪が、サラによく似ていた。その頬にきらりと光るものを見つけた瞬間、ガタン、と大きな音が響いた。視線を戻して、リディルは思わず悲鳴を上げた。
「ビビッ……!」
木の台の上で、ビビが跪いていた。首だけを木の台に預けた状態だ。わぁああ、と観衆が叫んでいる。静粛に、と憲兵が声を張り上げても、異様な興奮が冷めない。ダンダンっ、と強く憲兵が足を踏み鳴らし、群衆を睥睨してようやく、ざわめきが僅かに収まる。
憲兵が高らかに宣言する。
「紋有りは既に処した! その骸は焼かれ、今やこの世のどこにも残っておらぬ!」
周囲が熱狂した。リディルは言葉が理解出来ず、何度も何度も頭の中で反芻した。
――むくろ? 残ってない? 何が? しょしたって、一体、
「罪人ヴィヴィアンは紋有りを生み、あろうことか一年以上の長きに亘って秘匿し続けた。悔い改める道もあると示唆したが、罪人はこれを拒んだ。よって、斬首に処す」
「ーーっ、ビビ!」
リディルは思わず飛び出した。精一杯手を伸ばしたけれど、高い木の台の上にいるビビには届かない。よじ登ろうにも、足場がない。追い払おうと近づいてきた憲兵は、登ってくることがないと悟ったのか、鼻で笑って持ち場に戻って行った。
半泣きのままどうしようと右往左往していると、瑠璃色の瞳がリディルを捉えた。
ビビは、笑った。
あまりにも、美しい笑みだった。
リディルが呆けていると、ビビは小さく口を開いた。ハッとして耳をそばだてたけれど、ビビは結局口を閉ざした。代わりに、困ったな、と言わんばかりに眉尻を下げた。
「ビビっ、ビビ、ねぇ、ビビ、逃げようよ、ねぇっ!」
「……リディル、泣かないで。私は今から、アノンのところに行くの。だからどうか、祝福して」
罵声はもう、聞こえなかった。いやだいやだとリディルは首を横に振る。堪えきれなかった涙が頬を滑り落ちた。
「やだ、やだ! ビビ、逃げて、ビビ!」
「リディル。しあわせに、なっ」
きらりと煌めいた剣が、やけにゆっくりと振り下ろされる。全ての音が遠のいて、ビビの瞳の青と唇の紅だけがやけに鮮明だった。
ドンっ、という音と悲鳴で、世界に音が戻ってくる。点々と地面に赤が飛んでいた。生温いものが頬を伝う感覚があって手で拭うと、己の手にも同じ赤がついていた。
「……び、び?」
木でできた台の上に、真っ赤な断面が覗く。地面の上に視線を彷徨わせて、リディルは固まった。
綺麗な亜麻色が、濃い茶色の地面に広がっている。
「血が、……血が、出てるよ。ねぇ、ビビ。ねぇ、ね……?」
震える手でビビに触れた。力を込めたつもりはなかったのに、それはころりと容易く転がった。
見開かれた青い瞳は、空を映している。半開きになった口からは、リディルの手と頬についたのと同じ赤が垂れていた。
「ビビ……?」
ビビは、答えない。動かない。
ビビは、もう――……
「あ……ぁあっ、あぁあぁああああああああ!」
己の叫びを最後に、意識が途絶えた。
――リディルは今も、あの泣き声を、笑みを、忘れることができないでいる。




