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最後の楽園  作者: 結塚 まつり
第二章 偽りと真

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第五話 娼婦の子

「じゃ、これ運んできて」

「あい!」


リディルは渡された盆を慎重に抱え、裏の小さな階段を登る。三階分登り切った頃には息が切れていた。


「はぁ、はぁ……ええと、おへや、おへや……」


リディルはキョロキョロ周囲を見回しながら廊下を進む。と、隅の部屋から歌声が聞こえた。嬉しくなって走り出そうとし、盆の上のお皿を落としそうになって慌ててやめた。


「ビビ、ご飯だよ」


扉の外から声をかけると、声が止む。程なくして内側から扉が開かれた。


「リディル、遠かったでしょう。ありがとう」

「ううん、だいじょーぶ!」


微笑んだ娼婦の名を、ヴィヴィアン――通称をビビといった。この間までは、娼館でも指折りの娼婦であった(・・・)。

盆を置いた途端、ぐぅ、とリディルのお腹が鳴った。


「あら。お腹が空いているの? 厨房には行った?」

「ご飯、もらえなかった」


ビビはりんごを爪楊枝で刺してリディルの口元に運んだ。


「いいの?」

「内緒よ」


リディルは嬉しくなってりんごにかぶりつく。ビビはそれを微笑んで眺めている。柿を咀嚼しながら、リディルは卓の上に置かれた編み物に目を留めた。


「姐ちゃん、あれなに?」

「ん? あぁ、産着を編んでいたの」

「もう、うまれるの?」

「ううん、まだ先よ。でも、楽しみで」


ビビは子を身籠っていた。今まで隠し通していたため皆仰天し、堕ろせと促したが、ビビは梃子(てこ)でも動かなかった。


「なまえは?」

「まだ決めてないの。候補は沢山考えたのよ」


ビビは引き出しから紙を取り出した。


「男の子だったらノエル、アレン、リック、女の子だったらアンナ、アビゲイル、セナ。リディルは何かいい案ある?」


リディルは首を捻り、最近読んだ物語の主人公の名前を出した。


「アノン」

「あら、アノンの大冒険、の主人公ね」

「うん。だめ?」

「そんなことないわよ! アノンは勇敢でかっこいい男の子だもの」


それもいいわね、とビビは上機嫌で紙に名前を書き付ける。


「……ビビは、あかちゃん、たいせつ?」

「世界で一番大切よ」


リディルは忙しなく瞬きを繰り返す。

リディルにとって、母というのは遠い人だった。腹が大きくなるまで気付かず、気付いた後三度堕ろそうとしたが、いずれも失敗した。名前もつけず、その腕(かいな)で抱いたこともなく。リディルが死なずに済んだのは、単(ひとえ)にビビのような子供好きの娼婦が面倒を見てくれたからだ。

時折、その人を見かけることがある。リディルと同じ黄金の髪に、空よりも深い青の瞳。舞がとても上手な娼婦。目が合うと、必ず先に逸らす人。


「私の家族だもの」


リディルには、晴れやかな顔でそう言うビビの気持ちは全く分からなかった。けれど産着を手縫いし、揺籃(ゆりかご)を編み、詩や唄をまだ見ぬ我が子に向けて聞かせることが、愛だということは分かった。


そしてそれを、微かに羨ましく思ったのだ。


「リディルは、この子のお兄ちゃんになってあげてね。ここのこと、たくさん教えてあげるのよ」

「えっ、ぼく、おにいちゃん!?」

「そう。できる?」

「がんばる!」


リディルはふんす、と意気込んだ。



***



ヴィヴィアンが子を産んだのは、よく晴れた日の夜のことだ。リディルの母のお産を手助けしていた娼婦数名がお産を手伝った。陣痛は昼から始まっていて、半日近くが経過していた。まだ3歳だったリディルはその時既に寝ていたけれど、喧騒で目を覚ました。もしかして生まれたのかな、と三つ隣のビビの部屋に走る。娼婦たちの甲高い声に混じって、赤子の泣き声が聞こえた。入ろうとしたが、甲高い声に思わず扉にかけた手を止めた。


「今すぐ殺しちまいな!」

「嫌よ! この子は私の子よ!」

「モンアリは人じゃないんだよ! すぐに殺さなきゃばちが当たる!」

「……っ、でも!」

「サラ、落ち着きなさい。ビビも、冷静に」

「相手してらんないよ!」


荒々しく扉が開けられる。リディルは尻餅をついた。扉を開けた娼婦、ササラリーネはリディルを助け起こすと溜息をつく。


「なんだいリディル、盗み聞きかい。いい度胸だね」

「う、」

「とっとと寝な、子供がベッドに入る時間は過ぎてるよヴィヴィアン。あんたもさっさと子供殺す覚悟決めな。」


ササラリーネを筆頭に、娼婦が数人桶や布を持って出て行く。ひとりの妓女がリディルを見て足を止めた。リディアーヌという娼婦だ。黄金の髪に青の瞳。舞の美しい、笑わぬ娼婦。


「......おかあ、さん?」


リディアーヌは目を見開いた。手が伸ばされ、引っ込められる。薄い唇が開き、しかし何も言葉を紡ぐことなく閉ざされる。足早に去って行くその背を見つめ、リディルは項垂(うなだ)れた。リディルは母に、名を呼ばれたことも、抱かれたこともない。

ビビも、生まれた子供に、見向きもしないのだろうか。ぼうっとしていると、部屋の中から赤子の泣き声がした。リディルは我に返って部屋に飛び込む。


「ビビ!」


リディルは四つん這いでベッドの側に寄った。ビビの腕の中には、弱く泣く赤子がいる。


「おとこのこ? おんなのこ?」

「……男の子よ」

「なまえ、どうするの?」

「……どうしよう」


ぽたりとビビの瑠璃色の瞳から涙が落ちる。初めてビビが泣いているところを見て、リディルはびっくりした。


「ビビ、ビビ、なかないで」

「り、でぃる。リディル……」


どうしよう、と呟く声は掠れていた。


「私の子が、殺されちゃう」

「ころされる?」

「……連れていかれちゃう」

「えっ、なんで?」


リディルはただただ驚いていた。ビビは束の間躊躇(ためら)い、生まれたばかりの赤子の額を見せた。

そこには不思議な模様があった。花のような、葉のような。言葉では形容しがたい模様だ。


「きれいだね」

「へ?」

「え?」


沈黙のまま見つめ合うこと数秒、先に声を上げたのはビビだった。


「モンアリ、よ?」

「モンアリ?」


どこかで聞いたことがあるような、とリディルは首を捻る。


「憲兵に、連れて行かれちゃうの」

「えーっ、どうして!?」

「だから、紋章があるから」

「もんしょーってなぁに?」

「紋章は、悪人の……悪いことをした人の生まれ変わりの証。だからこの子はーー昔、すごく悪いことをしたの」

「わるいことってなぁに?」

「それは……わからないけど」


リディルは首を傾げた。わからない悪いこと、がなんなのか、よくわからなかった。


「あかちゃん、いまもわるいことするの?」

「……それは」


ビビは言葉に詰まった。赤子の泣き声だけが部屋に響く。


「も、もしかして!」

「ど、どうしたの」

「あかちゃん、ぼくのおかしとっちゃうかな!?」

「……それは心配いらないと思うわ」

「よかったー!」


リディルは満面の笑みを浮かべた。


「なら、いいこだね!」

「…………リディルは単純ねぇ」

「たんじゅん?」

「もしかしたら、他に悪いことをするかも。リディルのお洋服、盗っちゃったり」

「ええっ!」


それは困る、とリディルは腕組みして唸った。一生懸命考えて、考えて、あっ!と声を上げる。


「わかったよ、ビビ姐!」

「今度はどうしたの?」

「あかちゃんにね、これぼくのっていうの!」

「……え?」

「そしたら、あかちゃん、ぼくのおかしたべないよ!」


ビビは呆気にとられた様子で口を開けた。


「だいじょーぶ! ぼくがおしえてあげる!」


えへん、とリディルは胸を張る。


「だってぼく、おにーちゃんだもん!」


ビビは目を丸くし、次いで弾かれたように笑い出した。


「そっか。リディルが見ててくれるなら、安心ね」

「えへへ」

「……私も、ちゃんと教えてあげたらいいんだわ。悪いことをしちゃだめだって。そうしたら、きっと」


ビビは何度も頷いた。


「ーーリディル、ありがとう」

「へ? なにが?」


首を傾げるリディルの傍らで、ビビは花開いたように笑った。


「ええ。とっても素敵なことをしてくれたわ」

「? どういたしまして」


眠くなったので部屋に戻ろうとしたリディルを、ビビは引き留めた。


「リディル。この子の名前、アノンにするわ」

「ほんと!?」


リディルは飛び上がって喜んだ。


「やった! アノン、よろしくね」


アノンは返事の代わりに泣いた。リディルはアノンの、ビビと同じ瑠璃色の瞳を見下ろして笑った。






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