第四話 盗まれた紐
ルーナメリィは元来た道を辿ろうとした。しかし、無我夢中だったせいで、正確な道を覚えていない。袋小路を彷徨い歩いていると、不意に服の裾を引っ張られた。
「おねぇちゃん」
見ると、5、6歳ほどの小さな子供が立っていた。鎖骨どころか肋骨や頬骨までが浮き出ている。
「たべものをめぐんでくれませんか。ずっと、なんにもたべてないんです。おかぁさんがたおれて、なにかたべないといけなくて、だからおねがいします」
「......ごめんなさい」
必死な表情も肩を落とした様子も、身に覚えがあって胸が痛んだ。
それでも渡せるものは何もない。足首に縋る人たちと死体を跳ねのけてルーナメリィは歩く。大きな通り、日の差している方――でも、それはどこ?
必死に道を探したが、見覚えはまるでない。崩れ落ちそうな家屋に、ごみの山。どの建物も同じに見えて、動けば動くほど変な方へ行ってしまう気がした。ルーナメリィは堪らず座り込んだ。ーー途端、その背に衝撃が走り、地面に頭から突っ込む。
「いっ......」
投げ出された右手が引っ張られる感触があった。ルーナメリィが慌てて顔を上げると、塵の山を走っていく少年の後ろ姿が見えた。鮮やかな白い髪が、泥を物ともせずに遠ざかって行く。その手に握られた、青い紐。けれど彼の右手には、紐が見えない。
「――待って!」
慌てて立ち上がって追いかけたけれど、次の角を曲がる頃には少年の姿は影も形もなかった。ルーナメリィは呆然と己の手首を見下ろす。
隠してはならない、なくしてはならない――そう言われたのに。
「どう、しよう.......」
ルーナメリィは薄暗い路地に立ち尽くした。
***
「――やっと見つけた!」
リディルがウツィアを見つけたのは、夜を迎える少し前だ。袋小路に迷い込んだのでは、と見当をつけて探し回った甲斐があった。
「ウツィア! 無事で良かった!」
「リディル......」
途方に暮れた様子でウツィアは顔を上げた。
「......紐、盗まれちゃった」
リディルは目を見開き、固まった。
***
「絶対に手を離しちゃ駄目だよ」
「ごめんなさい、リディル」
「いいよ。でも、今度からはひとりでいなくならないで」
「うん……」
リディルはウツィアを抱き上げ、腰に巻いていた領巾でその体全体を隠していた。声を出しちゃだめだよ、と囁いて、リディルは宿に戻る。出掛ける時にも会計場所にいた従業員は、右手に目を走らせ、にっこりと笑った。それを横目に通り過ぎ、足早に部屋に入る。
「……ここまで来られたのはいいけど、この後どうしようか」
「……盗んだ子、髪が白かった。紐を持っていてもわたしとは似てないから、大門を出る前に止められるとは思う」
「髪が白い子、か。その子の紐の色は? あの辺りの人の紐は、茶色か黒か分からない色になってたけど……」
ウツィアは僅かに沈黙した。
「……なかった」
「え?」
「あの子、手に紐をしてなかった」
「もしかしてその子も、紐をなくしたのかな」
言いかけて、リディルははたと気づいた。そういえば、先程声を掛けてきた男が、紋有りが脱走したと言っていなかったか。
「――紋有りかも」
「え?」
ウツィアは大きく目を見開いた。そんな、と呟いた声は掠れている。
「紐のことまで、確認していないんだけど。見世物小屋からひとり脱走したって聞いたから、もしかしたらその子のことなのかも」
「......返してもらえるかな」
「返してもらわないと。なくしてもいけない、って言われたし」
「うん......」
「憲兵に、届ける?」
「届けたら、盗んだ子はどうなるのかな」
「――殺されるだろうね」
我ながら低い声だった。ウツィアは目を伏せ、己の手を強く握った。見世物小屋に行きたい、と呟いた。リディルは先程見た光景を思い出して顔を顰めたが、ウツィアの意思は固く、明日の朝一番に観に行くことにした。
***
「ねえ、リディル、わたしの髪まとめてほしい」
「いいよ! 髪飾りもつける?」
「うん。これをつけたい」
「任せて!」
リディルは嬉しくなって髪を結ぶ。折角の紅い髪なのだから、結い上げたら綺麗だろうと思っていたのだ。予想通り、白い垂れ飾りはよく映えた。
「はい、出来上がり!」
「ありがとう。リディル、なんでもできてすごい」
「姐さんたちの髪結って慣れてるからね。掃除、料理、支度、なんでも任せて」
悪戯っぽくリディルは笑い、ふたり揃って宿を出た。途端、声をかけられた。
「おや、おでかけかい」
「あ、はい。少し買い足すものもあるので」
一昨日、夜中に招き入れてくれた女の従業員は、箒を持ったまま笑う。
「それなら、見世物小屋の奥の店が安くておすすめだよ。気をつけてな」
「ありがとうございます」
迷子にならないように、ウツィアはリディルと左手で手を繋ぎ、また飾り布で上半身から右の手首までを隠していた。
「さぁ、ご覧あれ! 火を吹く呪いの紋有りだよ!」
見世物小屋では昨日見た子供が火を吹いていた。しかしその火の勢いは昨日よりも弱く、体には真新しい痣が多くあった。
リディルがあんなことを言ったせいだろうか。言わなければ良かったかもしれない。責任なんて、取れはしないのだから。
「もっとやれ!」「殺すぞ!」「金やらねぇぞ!」
「……ウツィア、大丈夫?」
ウツィアは頷いたが、傍目にも分かるほど青褪めていた。
「……行こう。あの子を探さなきゃ」
昨日の路地裏までの道のりは、リディルが記憶していた。路地裏に行くまで、気を紛らわせようとリディルは話をしたが、ウツィアはいつにも増して口数が少なかった。
「……やっぱり、見ない方が良かったかな」
「え」
「あんなの見たら気分が悪くなるのも当然だよ。どこかで休む?」
ウツィアは一度口を開きかけて閉ざす。数拍の沈黙の後、絞り出すような声を発した。
「……リディルは、あの状況をおかしいと思う?」
「そりゃあね。正直、この島の人たちがなんであれで喜んでるのか、意味が分からないよ。そもそも紋有りは……」
リディルは一度言葉を区切った。声が低く、暗く沈んでしまいそうだった。
「……紋章があるから殺すなんて。おかしいでしょ」
娼婦が子を産むことは滅多にない。リディルが知る中で、母の他にはひとりだけ。嫋やかで,、腕を掴めば折れそうなほど細かったけれど、どんなに罵詈雑言を浴びせられても、客にいたぶられても泣かなかった。
二度。たった二回だけ、彼女は泣いた。
――リディルは今も、彼女が泣き叫ぶ声を覚えている。
ハッピーハロウィン!
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