第三話 見世物小屋
ふにふにと頬をつままれる感覚でルーナメリィは目覚めた。微睡んだまま手を伸ばした先には、日の光と同じ色が見えた。
「……あ、るて?」
「おはよう。朝だよ」
記憶よりも低い声に、ルーナメリィはぱちりと目を開く。視界に入った金色は、瞳ではなくて、髪の色だとそこで気付いた。
「リディル」
「うん。そろそろお昼だよ。お腹空いてない?」
ううん、とルーナメリィは首を横に振る。雲海の上でも携帯食料を食べたから、さほど空腹は感じなかった。
「ウツィアは少食過ぎるよ......僕、もうお腹ぺこぺこ」
「じゃあ、外に行こう。服と靴も買わなきゃ」
「お金は、追々芸をして稼いだお金で返します」
「わたしも頑張る。飾り、たくさんはないから」
もし迷子になったらまたこの宿に、と約束して、二人は宿を出た。
明るくなった街は、白が基調だったリシュルトとは違い、目に鮮やかだった。立ち並ぶ家々の壁には落書きも多く、絵筆を持った子供が縦横無尽に絵具を散らしている。取り締まる大人でさえも便乗するものだから、壁も地面も色とりどりだった。昨夜雨が降ったのか、石畳は僅かに濡れている。憲兵はリシュルトよりも多いようだが、人々は気にした様子もなく大声で歌い笑いながら歩いていく。肉を焼くいい匂いが漂っていた。
「紐にも色がついてるし、髪を染めてる人も多いし。センリョウの生産が盛んなのかな」
「センリョウ?」
「染め粉のこと。ほら、髪とか布を染めるやつ」
あぁ、とルーナメリィは頷く。家もそうだが、髪も自然とは思われない色の人が多かった。何なら二色以上髪に色がついている人までいる。
「この分だと、服も色鮮やかかもなぁ」
「いや?」
「リシュルトじゃ白が基本だったから慣れないってだけ。ま、着てたら好きになるでしょ」
服屋を探す道中で、リディルは屋台に入った。全くお腹が空いていなかったので、ルーナメリィは店の外でリディルを待つことにした。荷物はほとんどリディルが持ってくれたので背は軽い。
「お嬢ちゃん、どこから来たんだい?」
ぼんやり空を見上げていたら、声を掛けられた。驚いて右を見ると、老人が人好きのする笑みを浮かべている。その視線はルーナメリィの右手の青い紐に注がれていた。紐を隠せないというのは、なかなか不便だ。
「遠くの島です」
「そうかいそうかい。それは大変だったろうねぇ。でも安心しなさい、この島はとてもいいところだよ」
「はぁ」
「丘に行くと街並みが鮮やかに見えるし、食べ物は美味しいし。それになんと言ってもね、この島にはミセモノゴヤがあるんだよ」
「ミセモノゴヤ?」
鸚鵡返しに呟くと、知らないか、無理もない、と老人は相好を崩す。
「うちの島主さまっていうのが娯楽が好きな方でね。見世物小屋には色々と置いてあるんだ。トラやヤマアラシなんかが踊ったり、昔話に舞をつけたりね」
「曲芸のことですか?」
「そんなもんさ」
じゃあ、リディルもお手伝いしてお金を貰えるだろうか。わたしは、どうしよう。物語の朗読でもしようか。
そんなことを考えていたら、老人は尚も続けた。
「うちの島はそれだけじゃあないのさ。なんと紋有りを飼ってるんだ」
ルーナメリィは凍り付いた。開きかけた口は何も言葉を紡がず、ただ空気を食む。
「お嬢ちゃん、紋有りを見たことがあるかい? あれは何もないところから火を出せるし、傷をつけても死なないんだよ。こう、腕を串刺しにしたり、殴ったり」
呼吸の間隔がどんどん短くなっていく。耳の中で高い笑い声が響いている。
――ははははは! いいぞいいぞ、もっとやれ!
無意識の内に、ルーナメリィは耳を塞いでいた。
逃げなきゃ、と思う。早く、早く人のいないところに行かないと。
足が動いていた。人波に抗うように走り、ぶつかってしりもちをついた。
「わあ、ごめん! あれ、あなた、空行者? 大丈夫? 荷物とか落としてない?」
「ひっ」
差し出された手が、申し訳なさそうに眉を寄せた顔が揺れる。どうした、と周りの人が集まってきて、喉の奥が痙攣した。
――立て! まだ終わっていないぞ!
耳を塞いでも尚、声は追い縋る。座ったまま後ずさり、人にぶつかった。咄嗟に顔を上げると、きょとんとした若い男の顔が目に入った。
「おっと、大丈夫かい?」
早く立たないと。でも、立ったらまたなぶられる。逃げないと。でも――でも、どこへ?
この大地には、空に浮かぶこの島々には、人しかいないのに。
鉛のように手足が固まって動かない。人だかりが増えていく。
「ねえ、ほんとに大丈夫なの? どっか痛めた?」
しゃがみこんで顔を覗き込まれる。足に触れられて、息が止まった。
「怪我はしてなさそうだけど。びっくりしたの? 手、貸すよ」
眼前に手が現れる。ぶたれるのだと思ったら、反射的に立ち上がっていた。遠くへ、一刻も早く遠くへ行かなくては。
「あっ、ちょっと」
ただただ人がいない方を探した。走りながら辺りを見回して、店と店の間の薄暗い路地に駆け込む。ゴミが散乱していて、地面はぬかるんでいた。泥に足を取られて転び、それでもなお走る。
「はあっ、はあっ」
走れなくなってから立ち止まるら、建物の陰で薄暗く、あたりに人はいなかった。荒い息の音だけが聞こえる。
壁に凭れるように座り込み、空を見上げた。もう大丈夫だという安堵感がゆるゆるとこみあげてくる。息を整えて、暫くぼうっとした。もやがかかったような頭の中で、聞き慣れた声がルーナメリィの名を呼んだ。
「あ、るて」
走りすぎたせいか、声を発しただけで喉が痛んだ。
――あぁ、ここはあそこじゃない。
あの子は、ここにいない。
ようやくそれに思い至り、ルーナメリィは己の顔を手で覆った。落ち着いてから顔を上げる。周囲を見回して初めて、今いる場所がどこか分からないことに思い至った。元の場所から、随分離れてしまった気がする。待っていてと言われたのに。
「どうしよう……」
***
リディルは屋台から出て周囲を見回した。ここで待ってる、と言っていたウツィアの姿が見えない。一瞬人攫い、という単語が頭を過ったが、もしそうなら何かしら騒ぎになっているだろうと頭を振る。どこかに行ってしまったのだろうか。荷物はほとんどリディルが持っているのに。
リディルは頭を抱え、道行く人を片っ端から捕まえて尋ね始めた。
「すみません、このくらいの背丈の、緋色の髪の女の子を見ま」
「やだー、お兄さん空行者なの? かっこいい! ね、あたしのこと連れてってよ」
いかにも安そうな品を高値で売り付けようとしたり、往来だというのに胸をあからさまにすり寄せてこようとする女性がいて辟易した。これが青い紐の効果か。
「すみません……」
もう何度目か、移動した先で老人に声を掛けようとすると、走ってきた少年たちに阻まれた。
「早くしろよー!」「置いてくぞ!」「待ってよー!」
少年たちの走って行く方に目をやると、何やら人だかりが出来ている。時折歓声と拍子をとる音が聞こえるから、もしかしたら曲芸か何かやっているのだろうか。ウツィアもいるかもしれない。
歩き出そうとした時、手を掴まれた。振り向くと、丸眼鏡をかけた男が憂鬱そうな顔をして立っていた。勧誘にしては浮かない顔で、つい、振りほどくのが遅れた。
「――見ない方がいい」
「え?」
「君は、空行者だろう。悪いことは言わないから、ここは素通りしなさい」
「......ご忠告ありがとうございます。ですが連れを探しているんです」
そうか、と呟いて男はリディルの手を離した。なぜか、その暗い顔が目に焼き付いた。
リディルは緋色の頭を探して人だかりをかき分ける。迷惑そうな視線が注がれたが、構ってはいられなかった。
やがて人だかりを抜けた。途端、歓声が上がる。もっとやって、と子供が無邪気な声を挙げ、大人がいいぞと囃し立てた。
その歓声と眼前に広がる光景があまりにも一致しなくて、リディルは何度も目を瞬いた。
少年が火を吹いていた。
文字通りだ。首と手足に枷のついた少年の口から、言葉の代わりに火が吹き出ている。その度に周囲の人は手を叩き、銅貨の雨を降らせた。密集した群衆の熱気と少年が吹く火で、この場所だけ、温度が高い。
拳を握りしめて、自分の掌が汗をかいていることに気づいた。温度のせいばかりでは、きっとない。
「何、これ」
「あんちゃん、紋有りを見るのは初めてかい?」
紋有り。その名前は、勿論知っている。体に紋章を抱く者たちだ。彼らは生まれてすぐに島主の元に運ばれ、殺される。リディルが生まれ育った娼館でも、紋有りが生まれたことがあったが、赤子が二歳になる前に憲兵が連れ去り、母子共々殺してしまった。
――可愛い、可愛い子だった。でぃう、と舌足らずにリディルを呼び、葉っぱのように小さな手を持った、無邪気な子だった。
「そうそう。紋有りはな、たまに呪い付きがいるんだよ。呪い付きはこうやって火を吹いたり、付けられた傷をすぐに治したり、まぁ、色々とやるんだ。ああでも、傷を治せるやつは逃げ出しちまってよぉ」
「なぜ、枷を?」
かろうじて絞り出した声は低く震えていた。
「何故ってそりゃあ、お前、犬には枷を付けるだろう?」
男はきょとんとリディルを見返した。
「犬って、そんな言い方しなくても」
「あ、そっか、犬に失礼だったか。犬の方が役に立つもんなぁ」
あはは、と男は笑う。朗らかな表情なのに、鳥肌が立った。
「こいつらなんて、生かされてるだけ御の字だもんな!」
「な、にが御の字だ」
「あん?」
思わず、大きな声が出た。
「犬より下の扱いをされて、何がいいんだっ!」
男は当惑した風にリディルを見遣る。喝采が止んで、静かになっていた。周囲の人々は、眉根を寄せてリディルに視線を向けている。
火を吹いていた青年と目が合った。そのどこかあどけない顔が、失われた幼子のそれに重なった。
――でぃう!
耳に蘇る声があって、リディルはきつく目を瞑る。
「な.......なんだよお前、文句あるなら見なきゃいいだろ」「そーだそーだ!」「どっか行っちまえ!」
歓声の代わりに罵声が飛び交う。追い立てられるようにしてリディルはその場から離れた。
暫く早足で歩いて、やっとリディルは足を止めた。先程の光景が、頭から離れなかった。
――紋有りに生まれたのは、それだけで罪だ。
リディルは無意識のうちに頬に手を当てていた。かつて聞いた冷ややかな声が、頬に撥ねた血が、鮮やかに蘇る。
「......なんで」
どうして、今も昔も彼らはあんな風に扱われなければならないのだろう。
――どうして僕は、それを見ていることしかできないのだろう。
握りしめた拳が皮膚を食い破って、血が滲んだ。




