あなたの記憶、買います。其の二⑥
それから数日後、森川家、夕食後。姉妹でテレビを見ていると、姉のまゆが言う。
「ね、ルリ、アイス買いに行かない?」
アイスと言われて、すぐにまた時々アイスを買って来ていた翔を思い出してしまったルリ。ほんと病気だなと思う。
「そんで、アイス食べながらちょっと散歩しない?」
「なんで?」
「いいじゃん。たまにはさ」
なんとなく姉が自分を気遣っている気がして、それで、じゃあと腰を上げた。コンビニの明るい光の中で、2人で並んでケースをのぞく。
「これにしようかな」
「今日、バニラじゃないの?」
「なんとなく」
さっぱりとしたものが食べたかった。それで、オレンジのアイスにした。食べてみるとそれは、オレンジというより蜜柑の味がした。
「おいしい?」
「おいしい」
「一口、ちょうだい」
「もう、お姉ちゃん……」
しょうがないなと一口あげる。こういう人なのだ。
夜の道を2人で歩きながら、なんでもない会話をしながら、それでも時間は経っていくのだなと思う。好きな人が自分の世界からいなくなってしまったり、いてもちょっと遠くなっちゃったり、それでも、わたしは少しずつ大人になっていくのかなと。翔がいなくても、わたしの毎日って続いていくんだ。それに慣れればだんだん辛く無くなっていくのかも。
「あ、ね、ルリ」
「なに?」
「ちょっと足伸ばしてさ、小学校に行ってみない?」
「なんで?」
「なんでも」
夜の小学校。奥の方を見るとまだ職員室にあかりが灯っている。先生ってこんな時間まで仕事しているんだ。ルリは校門のところでちょっと躊躇した。
「ね、中入っちゃっていいのかな?」
「大丈夫だって。どっからどう見ても不審者じゃないじゃん」
まゆは両手を広げてくるりと回ってみせた。
「そりゃそうだけど」
ま、いいか。校庭に入った。校庭の端っこの桜の木の下を通って奥へゆくと、懐かしい遊具があった。ブランコ、砂場、ジャングルジムに、半分埋められたタイヤ。
「えー、こんなちっちゃいの?」
「もっと大きく見えてたよねー」
ルリは片隅にあった鉄棒の前に立った。今は低くなったその鉄棒を両手で握る。鉄の冷たい感触と共に思い出が蘇ってきた。
「逆上がりができなくってさ、お姉ちゃんと翔にここで教えてもらったよね」
「でも、最後までできなかったんだよな」
背中に聞いた声に驚いて、後ろを向いた。目が丸くなる。
「え、翔?」
最近、翔のことばかり考えていたから、夢でも見ているんだろうか。さっきまでそこにいたまゆが消えてなぜか翔がそこにいた。
「ちょっとまゆに頼んで、ルリのこと連れてきてもらったんだよ」
「え?」
翔くんはちょっと気まずそうに鼻を擦った。
「その……話したいことがあって」
「話したいこと?」
せっかく学校の校庭にいるのだから、選手宣誓でもするように、そこでばっと片手でもあげてズバッとその話したいことを話せばいいだろう。男らしいじゃないか。だが、ここまでぐずぐずしていた人がそんなことをするわけはなく、とりあえず翔くんはルリちゃんの方に近寄ると、隣に立って自分も鉄棒を握った。
「ほんとちっちゃいな」
それで、その小学生用の鉄棒でくるりと回ろうとしたので、ルリが慌てて止めた。
「やめな。翔。その身長でやると頭ぶつけるよ」
「あ、はい」
しばし沈黙。鉄棒の前に並んで立って、二人で校庭を見ている。今日の翔はなんかどうかしているなとルリは思う。そして、あの地球儀みたいな形をしてぐるぐる回るやつを指差した。
「これ、お姉ちゃんと翔好きだったよね」
「ああ、そうだったかも。あれ、ルリ、苦手だったよね」
「うん。だから、いっつも二人がぐるぐる回ってるの見てた」
下の方で地面を蹴りながら球を回し、ぐんぐん回っているそれをひょいひょい上の方へ上っていく二人はすごいなと思いながら、いつも下から見ていた。ルリは怖くて一緒に回れなかったけど、でも、二人を見てるだけでも楽しかった。
「ちっちゃい頃ってさ」
「うん」
「なんかまゆって隊長っぽかったじゃん、俺らの」
「え?ああ、まあね」
「で、俺がその隊長のポジション狙ってる隊員でさ、でも、いっつもまゆに負けてて」
ルリがくすくす笑ってる。翔の頭の中にはこの時、小さなルリの様子が蘇っている。いつもルリがどこにいるか、笑っているか、振り返って確かめてきた。それがいつの間にか好きだという感情になっていた。そんなことを思い出しながら、翔は 話したいこと を続ける。
「それでまゆと2人でいっつもルリのこと守ってる気分だった」
「ふうん」
「ルリが元気でにこにこしてたらなんか嬉しかった」
「そうなんだ」
しっかりしろ、翔。全然気持ち伝わってないぞ。ただの思い出話だと思われてる。こんなのは告白とは言わないぞ。
「そ、そのくらいの頃から好きでした」
「なにを?」
「というか、過去形じゃなくて好きです」
鉄棒を握りながら、ぽかんとしているルリちゃん。
「ルリを」
ザ倒置法。言った。とうとう言ってしまった。翔くんの身体中の温度が一気に上昇する。ルリちゃん、やっとハッとする。そして、その後、こう言った。
「え、じゃあ、美希はなんだったの?」
ですよね……
ゴツッ
「ちょっ、翔、大丈夫?」
突然勢いつけてしゃがみ込んだ翔くん、あろうことかその途中で鉄棒におでこをブッけた。驚いて傍らにしゃがみ込むルリちゃん。しかし、翔くん痛みを感じる余裕がない。
「いや、あれはもう終わってるというか、つうかもともと始まっていたのかというか……」
「ええ?」
「できれば今は、聞かないでほしいというか……」
翔くんとしては、むしろピーターに美希との記憶を売りたいと思っているくらいなのです。
「なんかよくわからないけど。ほら、おでこ見せてごらん。やだ。赤くなってるよ。帰って冷やそう」
どう考えても、翔くんの一世一代の告白よりも、たんこぶの方がルリちゃんの関心を惹いている。腕を捕まえてルリちゃんは翔くんを立たせようとするのだけど、翔くんは立とうとはせずにルリちゃんを見上げている。
「ルリは?」
「ん?」
「ルリは俺のことどう思ってるの?」
ここでルリちゃん、またポカンとした。
「え、なに、翔、知らなかったの?知ってるんだと思ってた」
ルリが翔のことを好きなのは、見てればわかるとみんなに言われてきたから、当然翔も知ってると思ってた。本人だけ気づいていなかったのか。
「馬鹿だなぁ」
翔はそのバカという言葉を聞いた。最近、まゆにも散々馬鹿だと言われたが……
「なんでルリからなら馬鹿だと言われても嬉しいんだろう?」
一世一代の告白をして血が逆流し、ついでに鉄棒に頭をぶつけ、ぼうっとした頭で翔くん、しみじみとした。
「そんなことよりさっさと帰るよ」
手を引っ張られて立ち上がりルリがそのまま手を引っ張りながら歩き出す。
「まだ疑問に答えてもらってないんですが」
「そんなこと言わないでもわかるでしょ」
ここでやっと、ずっと信じられなくて不安だった翔くんの気持ちが、上の方に向かって跳ねた。メロディーで音が一段階上がるように。
「いやでも、言葉で聞きたいっていうか……」
ルリの口から俺が好きだって聞きたい。
そこで、ふと立ち止まり、ルリちゃんは振り返って翔くんをつくづくと見た。そして、唐突にこう思った。ここ最近、めっちゃ落ち込んで疲れていたよなと。結構大変だった。それは、翔くんのせいだったわけで。だからちょっとぐらい意地悪をしても、バチは当たらないなと。
「それはまた今度ね」
「え……」
困った顔の翔くんをみて、ルリちゃんは笑った。
少しだけトーンの上がった音階で、それをもっと高く響かせたいという想いを抱えながら、翔くんは今晩多分ルリちゃんのことしか考えられないだろう。果たして寝られるだろうか。
ついでにいうと、心と一緒になんだか頭もじんじんしてきた。
「痛い」
「だから言ったじゃん。はやく帰ろ」




