あなたの記憶、買います。其の二④
次の日の夜。翔とルリの家から遠くない路上。翔は道路のこちら側から向かい側にあるパン屋さんを見てた。中にルリがいるのだ。棚に残っているパンを一箇所に集めている。
さっさと中に入って声をかけて、自分のことを思い出したかどうか確かめたい気持ちと、それを確かめるのが怖い気持ちとがあった。それでなんとなくぐずぐずと外からルリを眺めていた。
明るい店内の中で、奥からパン屋のおばさんが出てきて、ルリになんか耳打ちをした。ルリがまっすぐこっちを見て目が合った。パン屋のエプロンをしたルリが明るい店内からドアを開けて外へ出てくる。明かりが漏れて地面の影を削る。
「翔」
道路の向こうからルリの澄んだ声で呼ばれて、翔は道を渡った。
「何やってんの?こんなところで」
「いや、近く通りかかったからさ」
「なんだ、ルリちゃんの彼氏だったの」
おばさんはほっとした顔になると、お店のトングを持って動き出し、傍に集められていたパンを無造作にビニール袋にポイポイほうりこんだ。
「売れ残りで悪いけど、これ2人で食べな。ルリちゃんもう上がっていいわよ」
おばちゃんはそう言ってにっこり笑うとその袋を翔に渡した。ルリが着替えて出てくるのを待って2人で歩き出す。
「ラッキー」
翔は袋の中を覗きながら喜んだ。
「今日、バイトじゃなかったんだ」
「うん」
翔は横を歩くルリを眺めた。いつものルリに思えた。それだけで満足だった。でも、しばらくして気づいた。それはいつものルリだった。だけど、なんか元気がないような……。
「ルリ、お腹でも痛いの?」
「なんで?」
「何も喋んないから」
ライトをつけた車が、横を通り抜けていく。周りの家からご飯のにおいがする。幸せな雰囲気の街の一隅で、ルリは静かだった。
「翔、あのね」
「うん」
「……」
ルリが少し首を傾げながら翔を見上げている。目が口が何かを言いたがっているのだけど、でも、しばらく黙って見つめただけで、また歩き出した。
「翔、チョココロネ、好きだったよね」
「うん」
「中にある?」
「どうかな?……あ、あった」
「よかったね」
その声もやはりあまり元気がなかった。幸せな帰り道だったんだけど、最後がまずかった。家の前で、美希が待っていた。少し離れたところで二人で気がついて、同時に足を止めた。
「あ……」
翔の横で、美希を見たルリがボソボソとつぶやく。
「だからさ、翔。バイトをしてるわたしを迎えにくるとかもうやめて」
翔がルリを見ると、ルリがとても冷たい目で翔を見ていた。そしてそのまま家へ向かう。その背中に声をかけた。
「ルリ、パン……」
「いらない」
たくさんパンの入った袋を抱えて、翔はとても惨めな気分になった。世界中にそっぽを向かれたような。
「ね、翔」
そこに、美希がニコニコと近寄ってくる。思わずしかめ面になった。
「なんでいるの?連絡とかなしに」
「いや、近くまで来たからさ」
バタン森川家のドアが閉まる。ルリの消えてったドアを見ている翔の腕を捕まえると、美希が甘えた声で言う。
「ね、今晩、暇?」
「……ちょっといい?」
美希のはしゃいだ声に対して低い声が出た。
「なに?なんか食べにいく?」
はしゃいだ美希を連れて、近くの公園に入ると、途端に美希の機嫌が斜めになった。
「なに、公園?」
不機嫌な声を上げた美希の方に振り向いて言った。
「あのさ、もうやめない?1ヶ月ぐらい経っただろ」
「は?」
この後、また、ウエーンとでも泣かれるんじゃないかと正直翔は思ってた。ところが実際は違った。美希はぷりぷりと怒り出した。
「確かに1ヶ月とか言ったけど、翔から言われるのはなんか違う」
「え……」
美希は困惑している翔を見ながら目を見張った。
「うそ、何?まじで翔、あたしと付き合えてんのにそれでもルリのほうがいいとか言うわけ?」
「俺、ルリのこと言ってないよね?」
本命がいるとは言ったけど、それがルリだとは言ってない。美希は吐き出すように言った。
「そんなん見てたらバレバレ」
「……」
「なんであんな地味な子がいいの?ルリに負けるとかありえないんだけど」
これには翔もカチンときた。
「好きな子の悪口、言わないでくれる?」
「は?なにそれ」
派手な口紅を塗った唇が、妙にヌメヌメとそこだけ一個の独立した生き物であるかのように蠢いている。
「ああ、もういい。頼まれたってもう翔とは付き合ってやんない」
そう言い切って、美希は翔に体を斜めに向けると、バッグからスマホを取り出す。ごちゃごちゃとつけられたデコレーションが光り、ストラップがジャラジャラとなった。そして、どっかに電話をかけた。高い声が出る。
「ちょっと暇?今から会えない?ねー、聞いてよ。まじ最悪なんだけど」
その相手が男なのか女なのかよくわからないが、別にもうどっちでもよかった。




