あなたの記憶、買います。其の二①
時間は、あなたの記憶、買います。そのいち で、翔くんが学食でPeterと出会った後に戻ります。
ーーー路地裏に木の扉。看板に店名はなく、「あなたの記憶、買います」とだけ洒落た飾り文字で書かれていた。扉を開けると扉の上部につけられていたベルがいい音で鳴った。
店の中に入ると、大きな壁時計
「わ、なにこれ、お爺さんの古時計みたい」
飾られた鎧の騎士
「え、うそ、何これ、本物?」
「触らないでくださいっ!!!」
ピーター、キレる。ごめんね、ピーター。翔が落ち着かない人で。
「さ、ここに座ってください」
翔をカウンター席に座らせ、ピーターはカウンターの内側に入り正面に立つ。カウンターに肘をついて顎をのせる翔。
「お茶とかでないの?昼間だけど酒でもいいよ」
「この店にあなたに出す飲み物は一滴もありません」
そして、ピーターはピラっと紙を一枚と羽のついたペンとインク壺を取り出してカウンターの上に並べる。羽ぺんの先をインク壺に浸してから翔に持たせる。
「じゃあ、これからいう通りに書いてください」
「なに?」
「人生に」
「人生に」
「汚い字ですね」
「うるせえな。その先は?」
「疲れました」
「疲れましたっと」
そこまで書いて、翔くん、ふとペンを傍におき、両手で紙を持ち上げ目の高さに掲げてしばらく見る。
「いや、お前、なに怪しい文章書かせてんだよ」
ビリっ、ビリっ慌てて書いた紙を破る。
「遺書みたいじゃん。こんなん書かせて何する気だよ」
「なに言ってんですか。ちょっとしたジョークですよぅ。はは!」
いや、全然面白くないんだが、ピーター。それに君、笑いながら目だけは笑ってないぞ。そしてまたペラっと新しい紙を出すピーター。
「紙にこう書いてください。ルリさんの記憶の代金として」
「ルリの記憶の代金として」
「金一万円と自分の輝かしい記憶で払います」
「払いますっと」
ピーターは翔くんの書いた紙を取り上げると内容を確認する。それから朱肉を取り出して、蓋を取った。
「ここに親指で拇印を押してください」
「こうでいい?」
「OKです」
「払う記憶って自分で選べるの?」
ピーターの出してきたティッシュで指の朱肉を拭き落としながら翔くんが聞く。ちえっ、綺麗に落ちねえぞ。
「翔さんが選ぶといえば選ぶんですが、無意識に選ばれて抜ける感じですかね?」
「なんだそれ?」
次に、翔君は店の奥に案内された。カーテンの後ろにはベッドと小さなサイドテーブルがあるだけの小部屋がある。サイドテーブルの上にはアラビアンナイトを彷彿させるような紋様の入った香炉が置いてある。
「そのベッドに横になってください」
「何するの?」
「いいから」
翔君が横になると、ピーターはこほんと咳払いをした。
「これから翔さんは眠くなります」
「眠くないけど」
「眠くなるんです」
「はぁ」
「眠って起きたら記憶はもう抜けてますから」
「まぢ?変な薬とか使って眠らされて、起きたらとんでもないとこにいたとかだったら怖いんですけど」
「そういうのもいいんですけどねぇ……」
クックックッと笑うピーター。むくっと上半身を起こす翔くん。
「俺、やっぱ帰るわ」
「冗談ですよっ、冗談ですってば」
だから、ピーター、お前の冗談、笑えないって。
「大体、翔さん、ルリさんの記憶が抜けたままでいいんですか?嫌なら、300万……」
「……しょうがねえなぁ」
もう一度ベッドにしぶしぶと横になる翔君。
横になったまま目をめぐらし、ふと気づいた。いつの間にかあのアラビアンナイトを彷彿とさせる香炉から薄い紫色の煙が上がりはじめている。部屋に嗅いだことのないような花の香りのようなものが立ち込めてくる。
いい香りだなあと、思った……。
「翔さん、翔さん」
ピーターの声がして揺さぶられて、翔君はぱっちり目を開けた。
「え、なに?」
「終わりましたよ」
「うそ。俺、寝てたの?」
「はい」
「うっそだぁ。だってさっき」
「ご自身の腕時計を見てみてください」
「……」
店に入ってから軽く2時間ほど経っていた。
「それじゃあお約束のものはいただきましたし、こちらもお渡ししますかね」
それは小さな小瓶だった。よく見ると、中に淡い桜の色のような煙が渦巻いている。手を伸ばして受け取ろうとしたら、ピーターがぎゅっと手の平に小瓶を握りしめる。そして、ぺっともう片方の手を開いてだした。
「一万円」
「くそー、忘れてなかったか」
次のバイト代が入るまで、昼飯どうしようと思いながら一万円をわたした。ピーターはこほんと咳払いをした。
「それでは翔さん、この記憶についてのご説明を差し上げます」
いいですか?人間の記憶っていうのはですね、とてもデリケートで取り扱いの難しいものなんです。
ピーターは語り出した。
記憶はこの瓶に蓋をされている間は比較的安定しているが、落として割ってしまったりすれば空気中に散ってしまい、二度と取り戻せない。記憶を戻すためには本人が寝ている夜中に、その枕元に瓶を置いて蓋を取ること。そのまま朝になれば、記憶は戻っている。
「いいですね。翔さん。それともう一つ注意があります」
「なあに?」
「枕元にこの瓶を置いたら、その後その部屋には誰も入れないでください」
「どうして?」
「記憶が戻る最中に他人がそばにいると変質したり最悪壊れてしまうんですよ」
ピーターは桜色の小瓶を翔の手にそっと載せた。
「記憶を戻す、タイムリミットみたいなのってある?」
「タイムリミットねぇ」
ピーターは首を傾げて天井を見上げた。
「ま、でも、できるだけ早いほうがいいですね。記憶とルリさんが離れている時間が長ければ長いほど、つながりも薄れていきますから」
「そっか……」




