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短編集22〜26年  作者: 汪海妹
縁は異なもの味なもの、其の二
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大理寺を離れると、礼部へと足を向けた。中を覗くと、人の円があり真ん中に景舟(けいしゅう)がいる。景舟は楽しそうに何か話していたが、礼部の入り口にいる文淵に気がついた。その視線に景舟を囲んでいた人垣もこちらを見る。


文淵はただこちらで立っていた。


景舟が何か言って、固まっていた円が崩れ、景舟はこちらへ来た。


「いくら俺でも連日連夜は無理だ」

「頼む」


ため息が出る。文淵は景舟を軽く睨んだ。


「お前には散々付き合ってきただろう」

「ああ、わかったわかった」


それで、ほどなく夜の闇が迫り灯りを灯し始める華やかな王都の夜を、都一番の妓楼へと目掛けて2人で歩き出す。


「ま、しかし、あの文淵様が自ら進んで妓楼通いをされるとはねぇ」

「……」

「しかも、嫁を娶ってばかりの身で」

「……」

「というか、お前、新婚の身で連日連夜妓楼に通ってちゃ、またいろんな噂を立てられるぞ」

「通わなくたって、散々言われてるさ」

「ああ……」


花街の夜が始まるにはまだ少し早い。人のまばらな道をゆき、緋月楼(ヒゲツロウ)の敷居を跨ぐ。番台にいた随分とうの立った女が頓狂な声を上げた。


「あら、また来たの?」

「随分ないい様じゃないか」


女将の軽口に付き合うのは景舟。文淵はつまらない顔で後ろに立っている。


「ちょいと韓家の旦那。仏頂面してちゃいい男が台無しだよ」

「……」

「ね、女将さん、月蓮(ユエリエン)姐さんは?」

「だから、月蓮は若い人は相手にしないんですよ。何回言ったらわかるんですか」

「だって、文淵は?」

「それは、月蓮が自分から気に入ったからで」


その後、女将は景舟に付き合うのがめんどくさくなったらしい。


「ほらほら、お前達、二名様ご案内だよ」


パンパンと手を叩くと、下女が飛んでくる。


良家の子息と言ってもまだ家督を継いだわけでもなく、妓女を何人も侍らせて派手に遊ぶのでもなければ適当にあしらわれる。酒と肴が運ばれて、特に名もない妓女が酌のために1人あてがわれたぐらいだった。酒が来ると、文淵は女の酌も待たずに1人で注いで飲み始めた。景舟が眉を顰める。


「おいおい。結婚する前にはお前、蕭家と結べるとは良縁だと素直に喜んでいたじゃないか。なぜそんなに機嫌が悪いんだ?」

「混乱している」

「ああ、それは昨日も言っていたな」


顔も性格も大人しい技女が酌をしようとするのを手で断り、景舟みずから酌をする。大人しい顔をした妓女はそれではと部屋の隅に下がり、どこかから琵琶を取り出してきては、静かな曲をつまびき出した。


「で、その混乱というのは、妹が来るはずだったのが姉が来たからか」

「……」

「それにしても、まさかあの玉桃様が文淵に一目惚れするとはな」


ビーン技女が途中で音を派手に外した。

文淵はとてもつまらない顔をして景舟の顔を見ている。


「これっぽっちも嬉しくなさそうな顔をしているが、嬉しくないのか、惚れられて」

「嬉しくないというか、混乱している」

「またそこに話は戻るのか」


やれやれと景舟は文淵の方に乗り出していた身を引いて、自分も杯を満たすと干した。


「蕭家と縁付くのは嬉しいが、長女では重すぎる。これでは韓家が目立ちすぎる。標的になってしまう」

「またその話か」


今度は、景舟がつまらない顔になった。


「亡国の生き残りがなんだ。今や(シン)は破竹の勢いで拡大しているんだ。人材を登用せずにどうする?王はその者がどの国の出身かなどと気にしてはいないと親父殿から聞いているぞ」

「お前にはわからないと思うが……」


文淵は少し遠い目をした。


「人は論理的には生きていないんだ。確かにお前や王のいう通りだとは思うが、実際はそういう道理を受け入れられない人間の方が多いんだよ」

「それじゃ、国はよくならないよ」

「国はよくはならないが、人は簡単に変えられない」

「……」

「たとえ、王が思っていても、王が思っているだけで国が動くわけじゃないんだ」


ビーンもう一度技女が派手に音を外した。


「おい、お嬢さん、わかってるとは思うが、ここで聞いている話は他言無用に頼むよ」


景舟が声をかけると、技女は顔を真っ赤にして頷いた。


「ま、しかし、今更聞くのもなんだが」

「なんだ?」

「お前、気を悪くするなよ」

「いいから、早く言え」

「丞相はどうしてお前を婿として選んだのだ?」

「……」

「俺が言うのは玉桃様の婿にというのではないぞ。妹御の婿にだよ」


なんと答えようか文淵が逡巡している。その様子を景舟は見逃さなかった。杯を持ったまま指を立て文淵を指差した。


「お前、お前は何か心当たりがあるのだな」

「いや……」

「なんだ。なんでそれを早く言わない。お前と俺の仲だろうが」

「そうかもしれないし、いや、おそらくそうなのだろうが、丞相がこのことについて触れられないので、俺から話すわけにもいかんのだ」


すると突然ガラリと戸が引き開けられた。景舟が入ってきた人を見て歓声を上げる。


「月蓮姐さん」

「時の人が来てるって聞いて、ちょっと寄らせてもらったよ」


月蓮は、文淵や景舟よりは年上の妓女で、緋月楼一、つまりは王都一と言われる妓女である。後ろに格下の技女を従えて中へ入ると文淵のすぐ隣に座り込んだ。


「どうだい?文淵様。王都一と謳われる才女の玉桃様は?」


馴れ馴れしく肩に手を置く。文淵は間近に月蓮の目を見つめた。その艶やかな黒い目には相変わらず何が映っているのかがよくわからない。


「たおやかなお姫様なんだろう?玉桃様というのは」


たおやかという言葉を聞いて、文淵はふと思い出した。遠くから玉桃を見た日のことを。命を助けた娘が実は丞相の娘だったと知ったのは、助けた後のこと。名乗り出るつもりはなかったが、あの後元気にしているのかが気になっていた。


花朝節(かちょうせつ)で遠くから見かけた。初めて玉桃を見た時、紙のように白い顔をして震えていた。当たり前だ。賊に攫われかけたのだから。その娘が花朝節では着飾って花の下に立ち、頬をうっすらと桃色に染めていた。扇で口元を隠しながら丞相の横に立ち、ひっきりなしに息子づれで訪れる男達の挨拶を受けていた。


蕭玉桃は、間違いなく文淵にとってとても遠い人だった。でも、あの日はそれでよかった。元気になったのが見てとれたからだ。


「確かにもう少したおやかな人だと思っていた」

「思っていた?実際は違うのか?」

「なんか違う」


ぼんやりと何かを思い出し、心ここに在らずの様子の文淵を、月蓮は間近にじっと見つめていた。それから突然、ぱっとこう言った。


「よかったじゃないか。幸せになって」

「幸せ?」

「そりゃ、幸せだろう。丞相の娘を手に入れたんだ。これからは文淵も出世するよ」

「そうだろうか」

「そりゃ、そうさ。ねぇ、景舟様」

「もっとこいつに言ってやってくださいよ。姐さん」


しかし、やはり、文淵の顔は晴れない。


「何を考えているんだい。文淵」


文淵の隣にピッタリと座った月蓮の独特な響きの声が耳に届く。


「人は極めればそこから落ちるだけだから」

「ああ……」

「だからと言って、極めずにどうする。機会があればそれを掴む。それが、男子たるものだろうが」

「お前にはわからないんだよ、景舟」

「また、それか」


景舟を見る文淵の目は怒ってはいなかった。ただ少し困ったような色をしていた。


「まぁまぁ、陸の若旦那。飲んで飲んで」


月蓮の甘い声が飛び、白い手が伸びて景舟の杯に酒を満たす。灯りに照らされて、満たされた酒が揺らぎ煌めく。そして、妓女の伏目がちになった目元に少し憂いの影が落ちる。景舟は息を止めて、月蓮のその顔に見惚れた。


「ま、でも、文淵の気持ちもわからないでもない」

「姐さん」

「わたしも色々あったからこんな身になったわけでね」


そこから先の言葉を月蓮は曖昧に誤魔化した。


「ところで、そんな文淵相手だからいうんだけどね」

「なんだ?」

「あんた、その玉桃様に、騙されてないかい?」

「騙す?」


その時なぜか、もう一度文淵の脳裏にはあの日の玉桃が浮かび上がってきた。花の下に立って頬をほんのりと染め、無垢の象徴のような様子で次から次へと訪れる男達に応対していた玉桃を。


「文淵は相手が男だったら問題ないが、女だったら騙されそうだよ」

「どういうこと?」


景舟が興味を持ってきた。


「玉桃様ってのは、相当に頭のいい人なんだろ?文淵はまっすぐなところがあるからね。それに女には初心だ」


ぶっと景舟が笑って酒をこぼし、文淵がムッとした。


「玉桃様の方にそういう意図があれば、簡単に騙せる隙があるってことさ。なんせ、王都一の才女だからね。才色兼備のお姫様だ。せいぜい気をつけな」


技女の目が光る。その美しさから周りの人間は目を離すことができない。


「別に俺はそんな簡単に騙されるようなことはない」

「本人はいつもそう言うんだよ。ただ普通の女ならともかく、あの玉桃様だよ?」

「姐さん、その女が男を騙すって、どんなふうにやるの?」


景舟が聞く。


「なんだい。それを教えたら、こちとら商売あがったりだよ」

「いいじゃないか。教えてよ」

「そうさねぇ。そりゃ、自分の美しさを武器にする」


月蓮はそういって、自らの白い手を顎のあたりにあてて少し小首を傾げ斜め上を見る。


「それで、あたし達みたいな女なら別だけど、お姫様達ならねぇ、嘘なんか生まれてから一度もついたことないって顔で、あれやこれや言って最終的には自分の思い通りに男を動かしてんのさ。その裏の顔は一切男には見せないままでね」


おい、月蓮、お客様のお越しだよ、女将の声が妓楼の下から響いてくる。


「はい、かあさん、只今」


月蓮は妓楼の中央の吹き抜けとなっている回廊越しに下へ向かってよく通る声で答えた。


***

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