縁は異なもの味なもの
縁は異なもの味なもの
習作として遊びで書いた短編です。お楽しみいただけましたら。汪海妹
目覚めるとそこは、妹の阿梅の寝台の上だった。
「お嬢様、お目覚めですか」
扉をほとほとと侍女が叩く。
「なんだかぐっすり眠ったわ」
それにしてもどうしてわたし、阿梅の部屋にいるのかしら?寝台の上で伸びをしながらあくびした。
「急いでお支度なさらなくては」
「あら、わたしより阿梅の支度が先でしょう?」
「何を寝ぼけたことをおっしゃてるんですか?梅お嬢様」
「はい?」
わたしは昨日、こっそり厨から梅酒を持ち出して、塞ぎ込んでる妹と飲みましたが、それで、まだ酔っ払ってるんだろうか?
「お前、どっかに頭でもぶっけたの?誰が阿梅だって?」
「ふざけてないでさっさとこちらにいらしてください」
侍女の捧げ持つ盥で顔を洗い、寝巻きを着替えさせられる。それから姿見の前に立った。侍女があたふたと髪をすく。
「あら、この鏡、壊れたわ」
「鏡は壊れておりません」
「でも、なんで、阿梅が映っているの?」
そこで、侍女がため息をつく。
「お嫁入りなさるのがそんなに嫌ですか」
「嫁入りするのは阿梅でわたしではないわ」
「また、そんな、頭がおかしくなったふりをしてっ」
侍女がマジギレし始めたので、なんだか風向きがおかしいなと。それで、もう一度壊れてはいないらしい姿見を見る。
阿梅が映っている。
自分の手を持ち上げて、ほおをつねってみた。
鏡の中の阿梅がほおをつねっている。痛い……
「え、ええ〜!」
「ちょっと動かないでください」
よく聞いてみたら、わたしの口から出てる声も、姉妹だからよく似ていて気づいていなかったけど、阿梅の声やんけ。
寝坊をしてしまったので時間が押しているせいか、他にもわらわらと侍女が出てきて、化粧やら髪やらではがいじめにされた。鏡の中の阿梅を見ながら、頭を回転させる。
韓家に嫁がされることを阿梅はそれはもう嫌がっていた。それから、最近、なんかこそこそと屋敷に人を呼んでやっていたような。何をやったんだ、妹よ。
そんなこんなのうちに支度は終わり、家人の待つ間へと案内される。花嫁姿の娘を見て父母は目を潤ませた。
「大きくなって」
「大きくなって、じゃないですよ。お父様」
「なんだ。このごに及んで、まだ嫌だとでもいうつもりか」
「いや、そうじゃなくて」
「もうここまできたら諦めなさい」
困ったなと思っていると、目の端に、わたしが映っている。わたしが顔を伏せながらニヤリとしているのが見えた。やっぱ、あれ、阿梅だ。あれ。わたしの中に入ってる。
父母をほっといて妹の方へ問いただそうとしたところ、
「お時間です」
「え、ちょっ」
とにかくさっさと婚儀を済ませてしまえと馬車に押し込められた。カタカタと車が回り始める。
「ねえ、ちょっと」
韓家へと向かう道すがら傍を馬に乗ってついてくる侍女に窓を開けて話しかける。
「心の準備ができてないんですけどっ」
「あら、おほほほほ」
「いや、おほほじゃなくて」
「お嫁入りされる時なんて、皆さん、そんなものですよ」
「いや、雑な返しだな」
「おほほ」
顔で笑いながら、見事なスナップをきかせながら窓をピシャンと閉じられた。いや、韓家のご子息ってどんな人だよ、知らねーよ。妹の話だと思ってたから気にしてなかったし。
カタカタカタと一路馬車は韓家の屋敷へと向かう。
我が蕭家は本王朝の初代の王から仕えてきた由緒正しき家柄で、それに比べて韓家は先代の王によって征服された隣国の王朝に仕えていた家。王家とともに途絶えさせられてもおかしくなかったのを先王が惜しみ、永らえさせられた家で、先王に続き現王も重用しているのだが、朝廷内では嫌われ孤立している。
父上も何か事情か考えがあってそんな韓家に娘を嫁がせることにしたのだろうけど、そりゃ、こうやって嫁がされる身になってみたら妹の気持ちがわかる。せっかく蕭家に生まれて何不自由ない暮らしをしてきたのに、よりによって韓家に嫁ぐことで、どれだけ苦労するかわからない。
でも、だからって、なんでわたしと入れ替わるねん。
そんな考えを巡らせていると、カタカタと動いていた車輪がぴたりと止まる。側面の扉がパタリと開いた。
「お嬢様、お足下にお気をつけください」
そんなことを考えているうちに嫁ぎ先についてしまった。侍女が頭を下げながらわたしに片手を差し出している。え、ほんとにわたし、嫁ぐんですか?ちょっと待って。
ドラエモーン!……
もちろん、これは、そんな小説ではないし、わたしは転生もしてないし、ドラえもん出演のギャラも払えないし、ドラえもんは現れず、わたしは婚家の屋敷の中へと誘われ夫となる人の前に座らされてしまった。
そこには目元の涼しげな若い男の人が婚礼用の着物を着て座ってた。
これが、新郎の韓文淵か。とりあえずつくづくと眺めた。
その時、何かおかしな感じがした。あれ、と言ったような。それから、二人で正面を向かされて儀礼が始まる。
なんだろう、そう、あの婿様の顔。涼しげな目元に見覚えがある。勘違いだろうか。どこで見たんだろう?
そうこうしているうちに、婚礼の儀が終わってしまった。わたしは、妹の姿のままで、結婚してしまった!
婚礼の儀の後で、酒宴となる。動きやすい着物に着替えるために一度場を退出して用意された自室へと入ると、わたしの姿をした妹が後からぴょんぴょんと入り込んできた。
「あ、ちょっと、あんた!」
「お姉ちゃん、結婚しちゃったね」
「結婚しちゃったじゃないわよ」
「こうなったらもう最後まで責任とってねぇ」
部屋の長椅子に座り、嬉しそうに足をバタバタさせている。わたしの姿で。鏡を見ているような非常に奇妙な感覚である。
「どうしてこういうことになったのか、説明しなさいよ」
「へへーん」
妹は懐より小さな薬瓶のようなものを取り出して見せた。
「珍しい薬を手に入れたんだよん」
「何それ」
「近しいもの同士が身近で同時に飲むと入れ替われる薬だよん」
「はぁ?」
それで、昨夜のことを思い出す。
「それで、あんた、最後の夜だからお酒を飲もうって」
「へへん」
最後は眠ってしまって覚えていない。あの時のお酒にこんな薬が入れられていたなんて。
「ちょっと、貸しなさい」
「あ、ちょっと待って。それ結構したんだから」
「どれどれ」
そして、瓶の裏側の説明書きをみて肩の力がどっと抜けた。妹に瓶を返しながら、指で示す。
「あんた、ここをちゃんと読みなさいよ」
「え?」
「24時間有効」
「へ?」
「そりゃそうよ。そんな奇天烈なことが永遠に続くとでも思った?」
妹は件の薬を両手で捧げ持ち、目をまんまるに見開いて見ている。
「え〜!」
「昨日の夜に入れ替わったってことは、あと何時間かすればまた元通り」
「え〜、結婚しちゃったじゃん」
「しちゃったわねぇ」
「え〜、やだやだ」
「やだって言ってもしょうがないわよ。もう結婚しちゃったんだから」
さぁ、出てった、出てったと、まだ騒いでる妹を追い出して、着替えを済ませた。やれやれどうなることかと思ったが、あと数時間我慢すれば解放されるぞと。気が楽になり、酒宴の場に戻る。
主賓の座の婿殿の横に座り、食べたり飲んだりする縁戚の者や客人を観察して過ごした。婿殿は隣の席で終始静かにしていたが、宴もたけなわとなってくると、酔客に絡まれた。
「そなたの剣の腕前は誠に見事と伺っている。なんぞ舞って見せてはくれまいか」
「こら、お前、やめろ。めでたい席で」
婿殿も片腕を引っ張られながら、苦笑している。笑うとこういう顔になるのかと思って眺める。韓家といえば、諸国の歴史や法に明るく、その才あっての登用と聞いていたが、武道にも通じているとは初耳。それで、興味が湧いた。
「わたくしも見たいですわ」
横から声をかけると、婿殿は驚き、酔客はいよいよ盛り上がった。とうとう文淵は2人に両脇から引っ張って立たされて、しかたなくというふうによく通る声であたりに声をかける。
「それではどなたかお手合わせを。めでたい席ですのでくれぐれもお手柔らかに」
酒宴を開いていた間から中庭に下りる。池の上に半円の橋がかかっていて、今日は月が満ち、その月の影が池に映って揺れている。半円の橋の上に剣を捧げ持ち、婿殿が立っている。ほどなくもう1人、若い男がこれも剣を持ち橋に上がる。なんだ、何か始まるのかと、宴の客がぞろぞろと庭に下りてきた。
応じた者は婿殿の友人か何かか、婿殿が気安く肩に手を置いている。
「お主、酔ってはおらぬだろうな。酔って受けられては、うっかり腕の一本ぐらい落としかねない」
「寝ぼけたことを。お前の一撃くらい、酔っ払っていても何ともせぬわ」
「おいおい、めでたい席だ。俺に華を持たせてくれよ」
そういうと、まるであらかじめ打ち合わせでもしてたかのように2人は背中を向けて数歩相手から離れると、身を返しつつ剣を構える。さっきまで肩に手を置いて笑い合っていたのに、顔が変わり空気が張り詰める。周囲がそれを見て、大いに盛り上がった。
月を背景に若い二人が剣をはらう。二人ともまるで踊っているかのような滑らかで美しい動きだった。
キィーン
剣と剣がぶつかり合って音を立てた時、突然、古い記憶とその場面が重なった。
もしかして……いや、まさか
それで、剣を構え、攻めを受け、受けては返し、体を翻し、また打ち込む、その姿を食い入るように見つめた。
己が武術を嗜んだことなどもちろんなく、あれから時間も経っている。同じ人だと思いたいから、そう見えるだけなのではないだろうか。
いや、でも、やっぱり似ている気がする。あの時も、鬼気迫る中で思わず他と群を抜く美しい剣筋に、自分の置かれた状況をすっかり忘れて見惚れてしまったのだ。
どうしてわたしは忘れていたのだろう?今の今まですっかり忘れていた。
剣舞を見た後に、場の女たちは疲れたといってあてがわれた部屋へと引き下がり、それに合わせてわたしも引き下がった。自室の前の回廊に出て、少し離れた宴席から伝わってくる賑わいを聴きつつすっかり真上に上がった月を見ていた。どのぐらいそうしていたであろうか。
「この屋敷では物足りないでしょう」
声がしたのでそちらを見ると、文淵が立っていた。
「物足りない?」
「蕭家のお屋敷はそれは立派だと伺いました」
「あ、いや……」
そこで、文淵はわたしから目をそらし池の水面を眺める。そこには睡蓮の花が夜にぼうっと浮かんでいた。視線の先の睡蓮をつられて見ているわたしの隣で文淵はそっと言った。
「王都中に嫌われている家に嫁ぐのは嫌でしたでしょうね」
「……」
「しかし、貴方が来てくださったことで、我が家は安泰です。お礼申し上げげる」
池を見ていた体をきちんとこちらに向け、婿殿は両手をきちんと合わせて、わたしに頭を下げた。
「貴方が望むことでわたしにできることであれば、なんでもして差し上げます。もちろん、この婚姻は形のみで構わない」
そして、わたしは今夜はこの奥の書院で寝ますから、貴方はここでゆっくり休んでくださいと立ち去ろうとする。慌てて呼び止めた。
「あの」
「なにか?」
呼ばれて振り返る。口を開くと少し声が掠れる気がした。
「数年前の話なんですが」
「はい」
「王都から北へ抜け寺へと続く道で賊に襲われたことがあって」
「賊」
「あの時、馬で通りかかり助けてくださったのは貴方様ではないですか?」
「……」
注意深く顔を見つめていると、一瞬、迷っている様子があった。しかし、その後、婿殿はこう言った。
「いや、どなたかと間違われているかと」
「当時もずいぶん探したんですが、見つからなくって。若い方だったんです。貴方様ほどの」
「そうですか。もしかしたら、王都に住んでいる人ではないのでは」
そして、結局認めずに立ち去ってしまった。その後ろ姿を見送っている最中に、眩暈がした。眩暈がして倒れて、目を開けてみると、わたし付の侍女が覗き込んでいる。
「玉桃様、ああ、驚いた。突然倒れられるのですもの。今、お医者様がいないか探して参ります」
泣きそうな顔でぱたぱたと出ていった侍女の背中を見ながら、半身を起こす。さっきまでいた奥の間ではなくて、別の部屋の床に倒れていた。ゆっくりと立ち上がってみた。少しフラフラするものの、特に問題はなさそうだ。
それから、回廊に出て外の風に触れながら、欄干に体を預ける。そして、また、自分が攫われかけたあの時のことを思い出した。
金品狙いの単純な盗賊だった。渡せるものを全て渡して終わるはずだった。だが、賊の中に渡した宝飾にかたどられた家紋を見てとれるものがいて、蕭家の者とばれてしまい攫われそうになった。目の前で従者が斬られて、もうダメだと思った。
攫われたとしても金品と引き換えに命は助かるかもしれないが、辱めを受けるかもしれない。例え受けなかったとしても、こういうことのあった以上、何かあったと想像するのが人というものだ。いくら名家の出でも傷物となる。嫁の貰い手はなくなるだろう。
普通の安穏とした人生を送れなくなる。さっきまで呑気に天気の心配をしていたのに、突然真っ暗なところへ放り出された気がした。
その時、数人の供を連れただけの若い貴族の子息が通りかかり、助けられた。賊の人数の方が多くて、数名では歯が立たないだろうと思ったがその子息は数に臆せず剣を抜き、そして、あの思わず見惚れてしまうほどの美しさで剣戟を繰り出し、あっという間に賊を倒してしまったのだ。その場で名を聞いても名乗らず、王都に戻ってからあちこち手を回し探してもとうとう見つからなかった。
もう諦めていたのが、あれは韓家の若様、韓文淵のしたことだったのか。
回廊伝いに左手の方を見ると、侍女が医者を探しているのが遠く見える。しばらくしたら彼女は医者を連れて戻り、わたしは|新娘<しんにゃん>の姉として朝までここに留まる。
例え、文淵が遠慮して雪梅と同室で寝なかったとしても、婚姻を済ませた今夜が明ければ、二人は皆が認める夫婦となる。
満ちた月に雲がかかる。明るかった夜が少しかげる。
文淵はわたしの命の恩人だ。だが、文淵がたとえ姉の恩人だったとしても、あの阿梅が献身的に文淵に仕えるだろうか。
考えている暇はない。
わたしはそっと衣の裾を持ち上げると、右へと進む。この館の主人たちの眠る寝所へと繋がる回廊をかけてゆく。前へ前へと進むと、阿梅つきの侍女が回廊をこちらへと向かうのに出くわした。
「玉桃様、どちらへ?」
「阿梅のところよ」
「あら、ダメです。お邪魔されるなんて」
「大丈夫よ」
侍女の制止を無視して前へ進むと、侍女が青い顔でわたしを追いかけてくる。気にせず駆け続けとうとう阿梅の部屋にたどり着いた。
「お姉ちゃん」
妹は寝台に突っ伏して泣いていたようだった。それを無視して命じる。
「阿梅、きているものを脱ぎなさい」
「は?なに?突然きて何を言い出すの?」
泣いていた妹はぽかんとした。
「いいから脱ぎなさい。わたしと交換するのよ」
「どうして?」
「今からあんたは玉桃で、わたしが雪梅よ」
「何言ってるの?」
「いいから、わたしのいうとおりにしなさい」
「お嬢様、一体何をなさるおつもりですか?」
先に侍女をどうにかしないとお父様に言いつけるかもなと思う。
「阿春、心配しないで、まぁここに座って」
腕を取って捕まえ、傍の茶机に座らせ、お茶を淹れる。
「お嬢様、お茶ならわたくしが」
「いいから、いいから」
お茶を淹れてそれを持たせる。
「あなた、この前、蘭心姑姑の首飾りがなくなってあなたが疑われた時、大変だったわよね」
「ああ、あの時は本当にありがとうございました」
しばらく他愛もない話をしているうちに、阿春は茶机に突っ伏して寝てしまった。それを見た阿梅がつぶやいた。
「呑気なものね」
本当は、先ほど飲ませたお茶に眠くなる薬が入っていたのだけれど。
「さ、阿梅、着物を脱ぎなさい」
「お姉様、わたしと服を取り替えてどうするの?」
「あなたはわたしと服を取り替えてここにいて、夜遅くなってからわたしの部屋へ行ってわたしのふりをして寝なさい」
「ええ?」
「それで、みんなが起きたら、服を取り替えた話をしたらいいわ」
「それでお姉様はどうするの?」
「それはあなたは知らないでもいいのよ」
阿梅は眉間に皺を寄せて考えている。
「あなたは悩まないでいいのよ。今までわたしのいうとおりにして何か間違ったことあった?」
「ない」
「じゃあ、お姉ちゃんのいうとおりにしなさい」
「はい」
阿梅はおとなしく服を脱ぎ、わたしはその花嫁の赤い服に袖を通した。わたしたち姉妹は背丈もほとんど同じで顔立ちも似ている。もしかしたら、入れ替わったことに気づかないんじゃないかと思いながら、わたしは回廊をさらに奥へと向かった。ここから先は客人は入り込めない韓家の人たちの住むところだ。
夜も遅くなってきて、灯りのついた部屋は少ない。その中の一つをそっと覗くと、奥の方に何か読んでいる婿殿が見えた。できるだけ音を立てないようにそっと中へ入り忍び寄ってゆくと、あと数歩というところで俯いていた文淵がぱっと顔を上げた。
「文淵様」
「どうして……」
驚いた顔で立ち上がり近寄ってくる。
「ここで何をされているのですか?玉桃様」
「あら、わたしの名前をご存知でしたか」
「それに、その格好」
阿梅の顔もろくに見ていないのではと思っていたが、あてが外れた。
「姉妹でふざけるのにもほどがすぎます。万が一、よくない噂でも立ったらどうされるんですか」
そう言いながらわたしを促してもといた部屋へ帰そうとする。
「確かめたいことがあるのです」
「確かめたいこと?」
「わたしをかつて助けたのは文淵様でしょう?」
「……」
「なぜ、ずっと名乗り出なかったのですか?」
わたしを出口へと導こうとするのに逆らいその顔を見上げた。
「そんなことを確かめるために、わざわざこんな手の込んだことを?」
「嘘をつかれるのは嫌なのです。正直におっしゃって」
「人として当たり前のことをしただけです」
「はぁ」
「それをわざわざ名乗り出るのは憚られただけです」
「蕭家の娘を助けたのだもの。名乗り出ればそれ相応の見返りを得られたのに」
「そういうことは嫌いなのです。わたしのような者がそのようなことをしたら、周りの人達にどう思われるか」
「まぁ」
「わかっていただけましたか?」
「あきれました」
「……」
文淵はわたしのその言葉にムッとした。
「真っ直ぐなのはいいことですが、そうあまりにも真っ直ぐすぎると、この都では生き残っていけませんわよ」
「ほっておいてください。我が家の家風です」
「ほっておけません」
「なぜ?」
わたしは文淵の前に真っ直ぐ立つと、右手を上に両手を合わせ身を屈めて礼をした。
「その折は命を救っていただきありがとうございました」
それから姿勢を戻すと顔をあげ、笑った。
「やっとお礼が言えました。一生、見つからないのではと思っていた」
「気が済みましたか?それではお戻りください」
「いえ、まだです」
「まだ何か?」
「恩に着せてものを言わないのが韓家の家風ならば、我が蕭家の家風は受けた恩は返すこと」
縁は異なもの、味なもの、妹の婿となる人が我が命の恩人だったとは……、今朝目覚めた時にはまだ知らなかった。
「文淵様がいなければ消えていたかもしれないこの命、こうして再び出会ったからには、これからは貴方様に捧げます」
わたしの言葉を聞いて、文淵はぽかんとした。
「なにをおっしゃってるのですか?玉桃様」
「妹はですね。こう申し上げるのもなんですが、韓家に嫁ぐのをそれはもう嫌がってまして」
「え?」
「ですから、わたくしが代わることにしました。妹では受けた恩に報いきれないと思いまして」
「それはダメです」
「なぜですか?」
「長女と次女では重みが違います。玉桃様は蕭家の長女として評判の方。もっと家柄の良い家と縁組をしなくては」
わたしは小首を傾げて彼を見上げた。
「わたしたち、今日から名前を取り替えます。わたしが雪梅で、あの子が玉桃と」
「そんなことできるわけがないでしょう?」
「あら、良家の娘なんて、あってないようなものなんです。玉桃という名前がついていれば、中身がどんなでも構わないんですよ。わたしたち、顔も結構似ていますし。近しい方以外は見分けがつかなくてよ」
文淵はしばらく怒っているとは言えず、ただし楽しそうとは決して言えない顔でわたしをまじまじと見つめた後にこう言った。
「困った人だ……」
その日の夜、文淵は結局わたしを追い出すことができなかった。
翌朝
阿梅はよく眠ったなと思いながら目覚めた。そして、見慣れぬ部屋に寝ていることに気づいた。
「あれ?」
むくっと起きる。しばらくして思い出した。そうだ、自分、結婚したんだった。
それから、周りを見渡す。いや、でも、ご主人がいないなと……。なんで、いないんだっけ?
それからたっぷりとぼーっとした後にはたと気づいた。そうだ。わたし、お姉ちゃんと服を交換して、それで?それで……、そうそう、真夜中になってからお姉ちゃんの部屋に戻って寝てろと言われてたんだった。まずい、忘れてた。
それで取るものも取り合わず立ち上がると、家族のいる方へかけてゆく。
髪がボサボサのまま父母と姉が滞在している部屋へと入ると早朝からてんやわんやの大騒ぎになっていた。
「どうしたの?みんなで」
阿梅が横から声をかけると、皆、阿梅を見てギョッとした。
「阿梅、なんでお前玉桃の服を着ているのだ」
「え……」
父親にガシッと両肩を掴まれ、その剣幕に一瞬唖然とする阿梅。
「玉桃はどこぞに攫われたのではあるまいな」
「ああ、なんであの子ばっかり、そんな目に……」
傍で侍女に支えられて母がよよと崩れそうになる。……昔っから人の話を聞く前に早とちりする夫婦なのである。
「お姉ちゃんは別にどこにも行ってないよ」
「じゃ、どこにいるの?」
「あっち」
「あっち?」
「わたしと服を交換して、あっちの方へ行った」
「……」
今いるところは韓家の客人をもてなす棟で回廊伝いに伝っていけば、昨日皆で集まった広間がある。そこをさらに奥へとゆけば、韓家の家人が住んでいるところだ。
「お前と服を交換したということは、花嫁の格好をして奥へ行ったというのだな」
「うん」
「それで戻ってこなかったのか?」
「うん。朝まで一人で寝てた」
蕭家の御当主、娘がとりあえず無事らしいのを聞いて安心したものの、その先を聞いたり考えたりしたくないなと思いながら妻と顔を合わせた。
「阿梅、それ以外にお姉ちゃんは何か言ってなかったか?」
「ええ?」
阿梅、斜め上を見上げながら考える。なんだっけ?
「ああ、なんか、不思議なことを言ってました」
「不思議なことって?」
「今日からわたしが玉桃で、お姉様が雪梅だって」
「……」
そこまで聞いて、御当主、くらっときた。慌てて侍従が椅子を置く。どさりとその上に収まった。
「大事な娘を助けてもらった御礼に報いたいとは思ってたが、長女を差し出すつもりはなかったのに……」
「何の話?」
ことの成行がいまいちわからず、父親の様子を眺めている阿梅。気を取り直した夫人がご主人の傍に立ち肩に手を置いた。
「いいじゃないですか。あなた。あの娘が自分で選んだのですから」
肩に置かれた手の上に自分の手を重ねると、御当主はため息をついた。
「自分でこうと決めると親に相談もせずに勝手になんでもやってしまうのだから」
「それでも、元気で幸せでいてくれるのなら、いいわ」
まだ言いたいことがありそうなご当主とにこにこと笑う夫人。いまだにいまいち腑に落ちない顔でいる次女。侍従と侍女が並んでいるのが庭へと開け放たれている窓から見える。
「あ、お父様、鳥です。鳥が鳴いています」
阿梅が指差して、皆がそちらを見る。美しい白い鳥が花の枝と枝の間をちょんちょんと飛んでは移るのを皆でしばらく眺めていた。
都で才女と評判の蕭玉桃が妹の婚儀で韓文淵を見初め、妹と取って代わったという顛末は大いに人の好奇心をつつき、後々までの噂話として残った。当の本人の玉桃は全く気にはしなかったが、夫である文淵を長らく辟易とさせたのは後日譚である。
了
汪海妹
2025.10.14




